興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

適応障害 (Adjustment Disorder)

2016-01-02 | プチ臨床心理学

 私たちは、人生において、様々な変化を経験します。何しろ人生は生涯をかけて日々変化し続けているのですが、それでも人生には、一見すると何の変化もないように感じるくらいに安定していて穏やかな時期と、誰が見てもわかるような大きな変化のある時期とがあります。大体はその中間ぐらいに収まりますが。人は、そうした変化に対して、日々、順応して生きています。その変化が小さければ小さいほど、私たちは、自分たちがその変化に適応していることにも気づかないくらいに適応しています。逆に比較的大きな変化に対しては、それ相当の調整が必要となります。

 人生におけるあらゆる変化はストレス因(Stressor)であり、それはたとえその人にとってポジティブなできごとにおいても言えることです。たとえば人は、仕事の昇格でも、結婚でも、また、海外旅行でも、ストレスを経験します。しかし、ストレスのレベルには、非常に大きな幅があり、たとえば海外旅行へ行くというストレスは、そのなかで、比較的低いものです(脚注1)。逆に、人生における非常に強いストレスとして知られるのは、配偶者の死、離婚、家族の死などの喪失体験です。このように、ストレスにはいろいろなレベルがあります。そして、大事なのは、そのストレス因をその人がどのように捉えるか、そのストレス因によって、その人がどれ程な困難を経験しているかという問題です。

 今回のテーマの「適応障害」(Adjustment Disorder)というこころの問題は、実のところ、非常にありふれたものなのですが、これは前述のように、私たちの人生は変化の連続で、常にストレスは存在している、という事実を考えれば、不思議なことではないと思います。実際、私のところにも、適応障害の診断を受けた方がたくさん来られます。特に多いのは、仕事関係のストレス因です。それは職場の異動であったり、新しい上司との関係であったり、昇格による新しい任務と責任である場合もあれば、新規で採用された方が、学生から社会人という大きな変化に反応している場合もあり、本当に様々です。

 日本の精神科、心療内科でも広く使われている、国際的精神疾患診断基準のDSM最新版、DSM-5によりますと、適応障害とは、「はっきりと確認できるストレス因に反応して、情動面または行動面の症状が出現すること」(p.285)、とあります。この「はっきりと確認できるストレス因」(identifiable stressor)という言葉もポイントで、適応障害の診断には、特定可能なストレッサーの存在が条件となります。ストレス因としては、失恋など、ひとつの出来事である場合もあれば、引っ越しと仕事の問題と実家の問題など、複数の出来事である場合もあります。また、ストレス因は、反復する場合(たとえば一定の周期で苦手な任務に従事しなければいけない場合、特定の季節に特定の苦手な地域で暮らさなければならない場合など)もあれば、新しい嫌な上司との関係性など、続く場合もあります。また、人生における特定の発達上のできごと、たとえば、入学、就職活動、入社、ひとり暮らし、結婚、親になる、退職、親の介護、などである場合もあります。

 さて、具体的な診断基準は、A~Eの5項目に分かれています。実際の診断には、精神医学や臨床心理学の知識と経験が必要であり、自己診断には注意が必要ですが、もし以下の項目を読んでみて、思い当たるふしがあったり、もしかしたら、と思ったら、なるべく早いうちに、心療内科、もしくは精神科を受診されることを強くお勧めします。さて、以下がその具体的な5つの項目になります。

A.特定可能なストレス因に対する反応で、そのストレス因の始まりから3カ月以内に情動面や行動面の症状が出る。

B.こうした症状は臨床的に重要で、それは以下のうち1つまたは両方。

 (1)そのできごとの背景や文化的要因を考慮しても、そのストレス因に「不釣り合い」な程度や強度の苦痛。

 (2)社会的、職業的、あるいは本人の人生におけるそれ以外の重要な領域における機能の著しい障害。

C.この症状は、他の精神疾患を満たしておらず、既存の精神疾患の単純な悪化ではない。

D.この症状は、正常の死別反応に見られるものではない。

E.この障害のストレス因またはその結果が終結すると、症状がそれからさらに6カ月以上続くことはない。

そしてこの診断には、以下の6つの症状のうちのいずれかが特定されます:

「抑うつ気分を伴う」、「不安を伴う」、「不安と抑うつ気分の混合を伴う」、「素行の障害を伴う」、「情動と素行の障害の混同を伴う」、「特定不能」。

 具体的な診断名としては、たとえば、「適応障害、不安を伴う」、「適応障害、抑うつ気分を伴う」、というようになります。ただ、これはテクニカルなことなので、適応障害の診断をもらった方でも、医師から単に「適応障害」と言われただけで、具体的なものは聞いていない、という方もいると思います。その場合、診断をされた医師に質問してみるとよいでしょう。

 さて、比較的シンプルな診断基準ですが、これにはいくつかの説明が必要です。まず、基準Bですが、(1)は、その人が現在経験しているストレス因の背景となる要素です。その背景、文脈的なものを無視しては、その人の症状を正確に把握することはできません。そして、すべての人は、その人が生まれ育った土地の文化的な影響を受けています。ある土地では自然な反応も、別の土地では、尋常でない反応であったりします。こうしたことを踏まえて、当人の経験している苦痛が、そのストレス因に対して「不釣り合い」な程に強いことがポイントです。

(2)は、情動、行動面の機能障害についてであり、このストレス因に対する症状(たとえば抑うつ)のために、それまでの夫婦関係の機能に支障がでていて、本人や配偶者、あるいは2人において、問題になっている、というようなことです。具体的な例は、夫がその仕事による新しいストレスで抑うつを経験していて、妻との会話がきちんとできなくなっていたり、性生活に問題がでている、といったケースがあります。職場の任務がその症状によって遂行不能だったり、ミスが目立ったり、効率が著しく落ちているという場合も、これに該当します。

 診断基準Cですが、これも非常に重要です。ちなみにこれもテクニカルなことで、これは精神科医の方でも知らない場合が少なくありません。これはどういうことかといいますと、DSMのシステムの診断基準には、いくつかの「優先順位」があり、適応障害は、前述のように、精神疾患のなかでもっともありふれたもののひとつであり、これはつまり、適応障害の診断を受けた人は、精神疾患としては、比較的軽症の場合が多い、ということです。

 このストレス因によって、その人の経験している抑うつが、「大うつ病性障害」、いわゆる「うつ病」(Major Depressive Disorder)の診断基準を満たしていたら、その人の診断名は、適応障害ではなくて、うつ病になります。これはつまり、うつ病という精神疾患が、適応障害よりも強く、また、適応障害の抑うつの症状を含んで超えているためです。しかし、専門家でもこうしたことを知らない方は少なくないようで、他所で適応障害という診断をもらって来られた方が、うつ病の診断基準を満たしている、ということは良くあります。

 ただ、それは広義には、「反応性抑うつ」であり、環境に対する適応の障害でもあるので、まったく間違いというわけではありません。しかしここで私が懸念するのは、本当はうつ病の診断基準を満たす深刻度の方が、適応障害とされることで、その人にとって適切であり、十分な治療が受けられていない、という可能性です。

 ちなみに適応障害は、あらゆる精神疾患において、一番偏見の少ない病名のひとつなので、患者さんに気を遣って、本当はうつ病だけれど、適応障害という診断名をとりあえずつけて、実際はうつ病の治療をされる方もおられますし、これについては一概にはいえません。

 それから、たとえば、何らかの不安障害の診断を既に受けていた方が、その環境の変化によるストレスによって、症状が単に悪化している場合は、新たに適応障害の診断はされません。

 診断基準Dは基本的にB(1)の具体例です。大切な人との死別によって、著しい精神的苦痛を経験し、その結果、一時的に、情動面、行動面、あるいは両方において、その人生における大きなストレス因にふさわしい、「自然」に考えられる、正常な喪失体験が起きている場合には、この診断はされません。

 死別反応が正常かどうかの判断にも、専門的知識と経験が要求されるので、いずれにしても、誰か大切な方を亡くされた方が、見兼ねるほどに強い反応をされていることが強くようでしたら、速やかに心療内科を受診されることが望ましいです。

 これはこころの問題一般にいえることですが、あなたが、「何かおかしい」と思った時点で、心療内科を受診することが、早期発見、または、予防に繋がります。

 最後に診断基準Eですが、適応障害は基本的に、比較的短期間の、新しい環境やできごとに対する適応における問題なので、期間も6カ月と限定されています。ちなみに、もしこのストレス因がそれ以上続く場合は、「持続性」(慢性)という条件が加わります。具体例としては、「適応障害、持続性、不安を伴う」、というようになります。しかしこのように適応の障害が長く続く場合、通常は、より深刻な精神疾患が伴う場合が多いので、受けている治療が十分でなかったり、適切でない可能性があります。

 さて、適応障害はサイコセラピーではどのように克服していくかということですが、まずは、その人がその環境の変化、新しい出来事を、「どのように受け止めているか」、「どのように解釈しているか」、について理解を深めていきます。この記事のはじめのほうでも述べましたように、同じようなできごとでも、それを個人がどのように受け止めるか、また、どのように経験するかは様々で、ある人にとってはそれほどでもない、つまり、大したストレスにならない要因が、他のある人にとっては、とても大きなストレスである場合も少なくありません。これはつまり、捉え方を変えることができると、ストレスが改善し、適応しやすくなる、ということでもあります。面接を通して、もしその人に、何らかのソーシャルスキルが欠けていたり、不足していることが明らかになった場合は、ソーシャルスキルを伸ばすこともします。その人が気づいていないけれど、利用可能なリソースがその人の周りにあるようでしたら、そのリソースにアクセスすることを促すこともあります。そのストレス因が恋愛関係の終結などの喪失体験の場合、その喪失について、対話によって喪の仕事を進めていきます。不安が伴うようであれば、不安について扱いますし、抑うつが伴うときは、抑うつの改善もしていきます。もしその人が、人生における発達的課題で不適応を起こしている場合は、その発達段階における、アイデンティティの修正、再構築を促進していきます。

 このように、一口に適応障害と言っても、その人の経験しているストレス因は、その強さも性質も様々です。そして、適応障害が治る頃、つまりその人が環境に上手に適応できるようになったとき、その人は、大きく成長することになります。


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参考文献: 

American Psychiatric Association,(2013),Diagnostic and statistical manual of mental Disorders(5th ed.). Washington, DC : American Psychiatric Association,

(米国精神医学会 日本精神神経学会・高橋三郎・大野裕(監訳)染谷俊幸・神庭重信・尾崎紀夫・三村將・村井俊哉(訳)(2014).DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル 医学書院)


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脚注1.これにも当然個人差があり、また状況的な違いもあります。たとえば、あなたが親友や仲の良い恋人と二人でずっと行きたかった国に行くことと、反抗期の高校生が、支配的で無神経な親や不仲のきょうだいと一緒に、ほとんど無理やり連れていかれる形で、嫌いな国に行くという旅行とでは、そのストレスのレベルに相当な違いがあるのがよくわかると思います。

 

 

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批判が嫌ならば何もしないことです ("Do nothing if you don't want any criticism")

2016-01-01 | プチ臨床心理学

 冒頭の言葉は、少し前にFacebookで見かけたものです。誰だったかアメリカ人の友人が、何かのリンクを投稿していたもので、具体的な言い回しは覚えていませんが、だいたいこのような英文だったと思います。

 言うまでもありませんが、この言い回しは反語であり、これを言った人の意図することは、"Do what you want in spite of any criticism"、批判を恐れずに、行動しよう、ということです。Facebookを閲覧していると、異口同音に、これと同じような考えをよく目にします。こうした発言をしている友人は、そのほとんどがアメリカ人ですが、近年、こうした考えが日本でも広まりつつあるように思います。アドラー心理学の『嫌われる勇気』がベストセラーになったことからもわかりますが、これはいかに多くの人たちが、周りの目が気になって、自分がしたいこと、本当によいと思うことをできていないかということの裏付けだと思います。

 他人と自分は「違う」ことが当たり前であるという前提の個人主義アメリカ社会でも、実のところ、多くの人たちが、他人の批判を気にして思うように行動できずにいるので、他人と自分が「同じ」であることが前提である集団主義社会日本で、人々がこうしたことに苦しむのは、ごくごく自然なことだと思います。思えば私も、LAにいたときは普通にしていたことで、日本に住むようになってしなくなっていったことはたくさんあります。そのひとつひとつは小さなことですが、日本にいると、アメリカではほとんど感じなかった「周りの目」を不思議と感じるようになります。周りとの「和」を重んじる日本社会には、公共の場における様々な「ルール」が存在します。たとえば、電車のなかでお化粧をしている人たちですが、別に周りに迷惑を掛けているわけでもなく、私としては、正直本当にどうでも良いのですが、男女ともに、こうした女性たちに批判的な人たちが相当いますね(匂うとか、パウダーが横から飛んでくるという話には正当性があるとは思いますが、そういうこととは別に、「品格」だとか「礼儀」などを問題にする人たちです)。電車内でやむを得ない理由で電話している人に向けられる視線も。街でサングラスを着用することについてもそうですね。

 今回の記事で私が言いたいのは、日本社会は窮屈だとか、そういうことではもちろんありません。確かに窮屈なところはありますが、こうした「和」の力が社会の隅々にまで働いていることの良い面もたくさんあります。組織の結束力や生産性もそうですし、日本社会に遍在する思いやりの精神も、人々が常に周りの人を見ていることの表れです。たとえば道でお財布を落としたら、日本ではかなりの高確率で、誰かが拾ってくれて、そのまま交番に届けてくれます。このあいだも、ある方が高級鞄にラップトップのPCを入れたものを電車の網棚に置いたまま下車し、後になって気づいて思い当たる鉄道会社に片っ端から連絡していったら、後日そのバッグがそっくり見つかったと聞いて、日本ってすごいなあと思いました。スターバックスでタブレットで仕事をしていてトイレに行って戻ってきたら、そのタブレットは普通にそこにあります。LAではこれは保証の限りではありません。

 このように、人々の批判性は、多くの場合、配慮という側面も持ち合わせています。それから、世の中には、周りの人たちにまったく無遠慮に、自己中心的に振る舞っている人たちが時々いますが、そういうあり方は良くありません。以前別の記事でお話しした、自分の人生を生きている人たちと、自己中心的に生きている人たちの違いです。

 私たちは、ひとりひとりが社会の一員であり、互いに思いやって生きていくことは大切です。

 今回のテーマは、そのように、周りと調和して生きていく中で、自分を押し殺さずに生きていく、ということです。周りの人たちの意見や、考え、立場などを気にしすぎるあまりに、あなたがあなたの人生において本当にやりたいことをやれなかったり、正しいと思うことをできなかったり、間違っている、不本意であると思うことに従事することを余儀なくされているような状況が問題です。こういうとき、あなたは自分の人生をきちんと生きていないことになります。その時人は強いストレスを感じますし、こうしたことが続くと、その慢性的なストレスで心身に支障がでてきます。

 ストレスを感じているのはわかるけれど、家族やパートナー、仲の良い友達、同僚、上司からの批判されたり、非難されたり、拒絶されたりすることが怖いからできない、諦めるしかない、そういう風に感じて苦しんでいる人たちに向けて、冒頭の言葉は放たれたのだと思います。

 近い人たちからの批判というのは怖いものです。なぜなら、その関係性から、そうした人たちの言葉は私たちのこころに強い影響力を持っているからです。そうした影響力のある人たちからの批判や非難に、こころを傷めない人はいないでしょう。傷つきます。しかし、だからと言って、そういう人たちの意に沿うように、そういう人たちの価値観や考えに相反することのないように生きていては、あなたはいつまでたってもあなたの人生を生きられません。その人の人生を生きることになります。

 あなたとその人は、別人格であり、当然、価値観も考え方も、立場もバックグラウンドも異なります。その人たちにとってベストなことが、あなたにとってもベストなこととは限りません。共通するところはあるかもしれませんが、大切なところで異なる場合は多いです。異なるのは当たり前ですし、もし彼らが批判的な人たちだったら、そのときに彼らはあなたを批判するでしょう。支配的な人は、あなたに罪悪感を抱かせるようなことを言ったり、強制的に、あなたを彼らの思うように軌道修正しようとするかもしれません。

 人はそれぞれ違うから、あなたが何かを選んだ時に、すべての人がその選択を支持してくれることはそうそうないということです。その決断が大きければ大きいほど、その傾向は強くなるでしょうし、風当たりも強くなります。こういうときに、覚えておくとよいのは、あなたが何かを自分の意思で選んだときに、批判をする人は必ずいる、ということです。しかしあなたはなんといってもあなたの人生を生きています。彼らの目を気にして自分がしたいことをあきらめて、彼らを恨んで生きるのは、誰にとってもよくありません。

 批判されて傷つく恐怖と、自分の人生を生きられない、自己実現ができない恐怖。長い目でみたときに、どちらが本当にあなたにとって害になるか、よく考えてみないといけませんし、どちらがあなたのより良い未来に続くのか、考えてみる必要があります。

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