興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

2019-04-20 | 戯言(たわごと、ざれごと)
昨夜は平成最後の満月だったそうですね。

静まり返る真夜中、車から降り、光を感じてふいに空を見上げると、遥か上空にこの丸い月が見えました。

雲の多い夜空で、天気予報士が「平成最後の満月を見るのは難しそうです」と言っていたのを思い出し、ちょっと得した気分になりました。

それですかさずスマートフォンを取り出して何度か撮影を試みるもののうまく撮れません。そうこうするうちに月は雲に覆われて見えなくなり。結構な速さで雲が流れていました。

雲が引くのを待って再び現れた月を撮ろうと試みるもうまくいかず、馬鹿らしくなって諦めて、ただ眺める事にしました。

正直なところ、年号とかそれほど興味がないのですが、それでも平成31年間の重みを感じ、感謝の気持ちが湧いてきました。良いことも悪いこともたくさんあったけれど、ただただ感謝の気持ちでした。

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Happy New Year!!

2019-01-04 | 戯言(たわごと、ざれごと)

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

皆さんはどのような年末年始をお過ごしですか?自分は今日が初仕事でした。いやあ、もう少し長く休むべきでしたね。お休みが楽しくなってきたと思ったら。この休暇で、睡眠の重要性を学びました。日本人が世界一眠らないというのもよくわかります。今年は睡眠衛生に気を配りたいけれど、それはなかなかのチャレンジになりそうです。

今日からカウンセリングは早速満員でした。新年早々来てくださるクライアントさん達に感謝です。自分も気合いを入れて臨みました。今年も皆様との交流を心待ちにしております。少しでも皆様のお役に立てればと思っております。

(写真は今朝の電車の窓からの風景です)

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抱っこ紐のトリセツ

2018-11-27 | 戯言(たわごと、ざれごと)

赤ちゃんの抱っこ紐の取り扱い説明書の始めの方に、赤ちゃんの落下と窒息の危険について明記してありますよね。

この「落下」と「窒息」に対する警告は、たとえばエルゴベイビーは、商品にも直接タグ付けされています。国際的に使われているものなので、いくつもの言語で、言語の数だけタグが付いているので、枚数が多く、ちょっと厚みがあります。

基本的に、とても便利で安全性の高い抱っこ紐ですが、赤ちゃんの落下と窒息に対して親が常に注意している必要性は、言語や文化を超えて万国共通だという事ですね。

ものすごく当たり前のことを言っていますね。

ただ、この世のあらゆる事物が象徴的であるように、この取り扱い説明書が象徴するものはなかなか含蓄があるように思います。

というのも、子供の落下と窒息に注意するのは、子供が小さい時に限った事ではないからです。

物理的、文字通りに、落下、窒息の危険があるのは乳幼児の頃ですが、たとえば、成人で実家暮らしの方が、(親との同居が)「窒息しそう!」というのはよく聞きますし、お子様が大学で進級できずに落第(落下)したと嘆かれておられるのもよく聞きます。

他にも、子供が引きこもってしまったり、逆に非行に走って社会的な問題を起こしたりと、家庭的な窒息や社会的な落下という例は枚挙にいとまがありません。

良い育児というのは、子供が窒素する事もなく、落下する事もなく、親子ともに心地の良い適度な距離感です。

それはなかなか難しく、過保護、過干渉は子供を窒息させてしまいますし、放任主義が過ぎるとそれはネグレクトとなり、子供の社会的な落下に繋がります。

万能で絶対安全な抱っこ紐は存在しません。

どんなに高品質、高機能の抱っこ紐でも、子供の落下と窒息の可能性はあります。

だから親は、抱っこ紐という便利なツールを使用しつつも、子供の様子に注意しています。よく子供の様子を見ています。

先ほどの、過干渉が子供を窒息させるというのも、親子の距離が近すぎると、距離がゼロになり、子供は息苦しくなる、という事です。

ここが過干渉の親のパラドックスで、子煩悩が過ぎて、距離が近過ぎて、子供の様子が見えていない、という事があります。距離が近過ぎて、子供の表情も見えません。これはなかなか危険な状態です。

ところで、多くの家庭において、夫婦が一つの抱っこ紐を一緒に使っているわけですが、通常夫婦で背丈も体型も異なるので、紐の長さや腰の位置などの微調整が必要で、つまりは、同じ事をするにしても、父と母で、子供との距離感が異なってくるので、注意が必要です。たとえば母親が使った後の抱っこ紐を父親が調整しないで使用すると、赤ちゃんは圧迫されて苦しくなるかもしれません。父親が使った後の抱っこ紐を調整しないで母親が使用すると、隙間があり過ぎて、赤ちゃんは落下の危険に晒されるかもしれません。

父親と母親が子供に同じ事を言っても、その意味が子供にとって大きく異なったりするのもこのためです。

子供が自由に動けるけれど、安全は守られていて、親から子供の様子がよく見えて、互いの温もりと心の繋がりが感じられる、両者にとって心地の良い抱っこ紐の適度な締まり具合というか弛み具合がベストなわけですね。

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苦手だけれど嫌いではない

2018-11-24 | 戯言(たわごと、ざれごと)
いつだったか、多分帰国して間もない頃、あるクライアントさんとセッションをしていて、その方が、「Aは苦手なんです」と言った時、ふと気になって、「嫌いですか?」と聞いてみた。

というのも、帰国して日本人のクライアントをたくさんみるようになり、多くの日本人が、「嫌い」という言葉を避けて、本当は嫌いなのだけれど、代わりに「苦手」と言っている印象を受けていたのだが、この方はなんだか違う気がしたからだ。

あえて聞き返さない事も多い。ここが微妙なところで、セラピストにとって、相手の話を聞く中で、何かを前提にするというスタンスは避けるもので、「恐らくこういう意味だろう」、という推測で話を進めない方がよい。それと同時に、いちいち正確な意味を求めて聞き返していたらクライアントが自由連想的に話せなくなる。

前置きが長くなったけれど、自分としては、直感的に何かを感じた時以外はあえて確認せずに聞いているのだが、この時は気になった。

「Aは苦手なんです」
「Aは嫌いですか?」
「うーん。そうだな。どうだろう。嫌いではないと思う。嫌いじゃないけど苦手なんです」
「なるほど、嫌いじゃないけど苦手なんですね」
「そうなんです。嫌いを苦手って言っているわけじゃないんです。よくそう言う人いますよね」
「そうそう。そうか、本当にただ苦手なんですね。どういう風に苦手ですか?」

こんな感じで話が深まっていったことは覚えているが、何の話をしていたのかはもはや思い出せない。人混みとかパーティーとかだった気がする。

今朝、外に出たら、思いのほか寒くて、しかし天気は良く、空気は澄んでいて、富士山は真っ白で、自分は冬の寒い朝がかなり苦手だけれど、嫌いではなく、むしろこの感じがすごく好きだった事を思い出し、苦手繋がりで、この古い会話を思い出したのだ。
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Remember when you wanted what you currently have?

2018-11-22 | 戯言(たわごと、ざれごと)
Remember when you wanted what you currently have?--unknown

あなたが今持っているものを、かつてあなたが切望していた時のことを思い出して。(作者不明)

なんとなく毎年触れている気がしますが、毎年11月第4木曜日はアメリカでは感謝祭(Thanksgiving)で、アメリカ人たちは、この時期になると、今年一年の良かったこと、今年一年の恵みについて思いを馳せます。

今回の記事の冒頭の引用は、ちょっと前にFBで見かけた言葉で、心に残ったのでメモしておいたものです。

あなたの人生における、今の生活の中で、普通に存在しているものの中には、かつてはどうしても欲しかったもの、憧れていたもの、必死で努力して手に入れようとしていたものが、実は結構たくさんあるのではないでしょうか?

それはあなたが愛するパートナーかもしれないし、家族かもしれないし、子供かもしれないし、自分の家かもしれないし、車かもしれないし、ペットかもしれないし、居場所かもしれないし、体型や身体能力かもしれないし、今勤めている会社かもしれないし、社会的地位かもしれないし、一定以上の収入かもしれないし、資格かもしれないし、学校の学位かもしれないし、特定の学校かもしれないし、生き甲斐かもしれないし、小さな幸福感かもしれないし、安心感かもしれないし、他にもいろいろありそうです。

毎日悩殺されがちな、めまぐるしい資本主義社会で生きていく中で、私たちは次から次へと何かを獲得したり、到達する事を、多かれ少なかれ、好むと好まざるとに関わらず、求められて生きています。

でも時々思うのです。もったいないなあと。

いろいろなものを持っている人が、自分には何もないと嘆いたり、落ち込んだり。

私たち人間は、今持っているものよりも、失ったものや、まだ手に入れられていないものの方に注意がいきがちです。実際私たちの認知はそのようにできています。持っていないもの、足りないものに注意が向くことは、向上心にも繋がっていますし。

そういうわけで、私達は、このストレス社会の中で、足りないものに捉われながら忙しい日々を過ごしがちですが、感謝祭のこの時期をきっかけに、あえてちょっと立ち止まって、意識して、今あなたが持っている、かつてとても欲しかったものに、また、その当時の日々に、思いを馳せてみるのも良いかもしれません。手に入れたもの、持っているものに対する喜びや有り難みで、しばし感謝の気持ちに包まれるかもしれません。
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2018-04-13 | 戯言(たわごと、ざれごと)
今朝、家の軒先に蛙がいました。早いものですね。蛙の到来は嬉しいものですが、いささか早過ぎるんじゃないかと少し心配です。十分な食べ物があり、夜間の気温が低くなり過ぎない事を祈るばかりです。11月に蛙を見ると、なんだか得したような、しかしやや寂しい気分になり、「また来年だね。おやすみなさい」と、思うのですが、この時期の蛙に覚える主要な感情は不安であり、どうしてかなと考えてみると、自分は晩秋に土に潜って冬眠態勢に入る蛙を見届ける事はできても、まだ寒さの残る春にフライングで土から出てきてしまった蛙を土に戻す事はできないからだと思い至りました。秋の蛙はセルフケアできるものだという安心感があるみたいです。春の蛙もうまくセルフケアできると良いのですが。


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ダルメシアン

2018-04-06 | 戯言(たわごと、ざれごと)
夜、地元のコンビニへ行くと、入口の前に小ぶりのダルメシアンが繋がれていた。珍しいなと思い、店内を見ると、そのダルメシアンとよく似た長身で痩せ型の白人男性がいた。ほかにも何人かの客はいたけれど、彼の犬に違いないだろう。それにしても姿の良いダルメシアン。思わず手を差し出すと、すかさず舐めてくれる。これはやばい。超かわいい。尻尾を振り振り擦り寄ってくる。中腰になってさわさわしていると、「わあ、ダルメシアン!かわいい!」、と、二人の若い女性がこちらに向かって歩いてくるので、なんとなく譲る形で犬から離れようとしていたのだろう、そのうちの一人が、「あれ? ヒトの犬?」、と驚いた風に聞くので、「あ、うん。ヒトの犬。多分あの白人の方のだと思う」と答えると、二人は店内を見て確認するや否や、ダルメシアンを愛撫し始めた。その二人を少し離れたところから見ると、なるほど、彼女たちの犬のようだ。それにしても、「ヒトの犬」という表現が面白いと思った。人間はつくづく非言語的、視覚的な情報に敏感で、「犬と飼い主」も「犬と他人」も相対的で、距離感や関わり方次第でいかようにも見えるのがまた面白いと思った。
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花散らしと梅の実

2018-03-30 | 戯言(たわごと、ざれごと)
今朝は花散らしが吹いていて、路上に落ちたたくさんの桜の花びらを見て少し寂しかったのですが、しばらく歩いていると、梅の木の枝に早くも実ができているのに気づいて嬉しくなりました。生命の豊かさを感じます。それにしても早いですね。



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恵比寿

2018-03-17 | 戯言(たわごと、ざれごと)
恵比寿で好きなのは何といってもJR線の発車音楽「第三の男」です。この曲が聴きたくて恵比寿に行く、というと言い過ぎだけど。

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余も木瓜になりたい。

2018-03-16 | 戯言(たわごと、ざれごと)

クリニックの角の枝垂れ桜と同じくらいこの時期楽しみにしているのは、その通りの反対側の角の木瓜(ぼけ)の花です。

はっとするような赤で、思わず見とれてしまいます。

こうして眺めていると、かつて漱石が「余も木瓜になりたい」と言っていたのもなんとなくわかる気がします。


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