興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

Joker

2019-11-08 | プチ・映画レビュー

Joker、先日遂に見てきました。

後ほどお話しますが私はここ2年ほど映画館とは無縁の生活をしており、今回も行く予定はなかったのです。

しかし、日々のカウンセリングのセッションで多くのクライアントさん達が熱心にこの映画のお話をし、私にも見るように勧めてくださる事もあり、重い腰を上げて久々に映画館へ行きました。

いやぁ、映画って本っ当に良いですね!!

今回の記事は、内容に触れることは最小限にしようと試みましたが、それでも読み返してみるとだいぶ内容について書いているので、これから見る予定の方はここで引き返して見てきてください!

この映画、私はすごく好きですが、すべての方にお勧めできるものではありません。

暴力的な描写が苦手な方、感受性が高く繊細な方、未解決なトラウマがあるという自覚のある方、現在鬱や不安、パニック障害、統合失調症、双極性障害など患っている方は要注意です。

行くのであれば、どなたか信頼できる人と一緒に行かれることをお勧めします。

こうした事に該当しない方は、ひとりで見に行く事をお勧めします。

アーサーに対する同一視や投影が促進され、映画がより深く味わえるのではないかと思います。それからできればIMAXで見たいですね。

もうひとつ、バットマンの本名や生い立ちについて少し調べていくと、映画の理解度が深まりやはりより楽しめると思います。

この映画、ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力をはじめとするこの作品の凄まじい完成度はもちろんですが、今回ここでお話したいのは、ホアキン・フェニックスが演じる大道芸人のアーサー・フレックの半生です。

映画であり、エンターテインメントなので、視聴者に分かりやすくするための強調や簡素化は当然ありますが、この映画は精神病理学やメンタルヘルス、精神分析学や臨床心理学的観点からもよく作られています。

幼少期の家庭環境での深刻な虐待やニグレクト、その後も続く母子家庭の貧困と母親の精神病理、学校でのいじめなどによる複雑性PTSD、妄想、慢性うつ病を抱えながらコメディアンとして大成する事を夢見る若き大道芸人のアーサーは、貧民街のぼろぼろのアパートで母と二人暮らし。

心身を病んだ母親の介護をする、子供好きの心優しい青年として描かれています。

しかし彼の優しさには危うさがあります。

虐げられて生きてきた彼は、恐らく人生の最早期に、怒りや攻撃性を他の幼児のように自由に表現する事が許されないと学んだのでしょう。

小さな子供は自分のニーズが満たされない時、怒りや攻撃性を自然に表現しますが、彼の置かれた環境では、表現する事で養育者から寄り添ってもらえるどころかさらに虐待され、そうした感情は持たない事がサバイバルに必要だと幼心に学んだのかもしれません。

アーサーは、人間が適応的に生きるための自然な怒りや攻撃性を無意識に抑圧して生きているので、他者から不当な扱いを受けた時にも本来あるべき攻撃性が意識できずにやられっぱなしです。

非常に自虐的で敗北主義的なライフスタイルです。

しかし彼はある時、人でなしの同僚から拳銃を渡されます。

この拳銃を手にした時から彼の心の中の抑圧の防衛規制が破綻し始めます。

最初は拳銃に対して拒絶反応を示していた優しいアーサーですが、次第に拳銃に抗い難く惹かれていきます。

拳銃はアメリカ社会における自由と暴力の象徴です。アメリカは、今日に至るまで、銃を中心に発展してきましたが、現在では最大の社会問題の一つです。

拳銃は、アーサーのパンドラの箱を開けることになります。

彼がずっと心の奥底に抑圧して否認してきた怒りと攻撃性が次第に意識化されていき、やがて爆発的に解き放たれます。

私がこの映画で特に好きなのは、青年アーサーの心の動きのきめ細かな描写です。

彼は「笑い発作」の持病を持っているという設定ですが、よく見ていると、その笑いは決してランダムに出てくるものではありません。

彼が誰かから拒絶されて傷ついた時、本当は悲しい時、憤りを感じている時、動揺している時、不安な時、怖い時など、心が動く時、そうした感情が全て笑いに転換されてしまっているように見えます。

その笑いは悲壮感に満ちていて、心が痛むものです。

笑いは彼の感情の唯一の表現手段です。

彼がお人好しでドジで要領が悪くて貧乏くじばかり引いていたのは、自分の感情をうまく感じられないからであり、自分の気持ちをうまく認識できなければ自分のニーズもわからないからだと思います。自分自身とうまく繋がれない彼は他者とも繋がれません。極めて孤独な人生です。

でも彼が自身の怒りを強烈に感じられた時、彼はあらゆる呪縛から解き放たれ、心と体が一致します。ブレがなくなります。極めて俊敏でパワフルで効果的な殺戮が可能になります。ほとばしるエネルギーと破壊衝動です。

それにしても、なぜこのように陰鬱で残忍な映画が世界中で大反響になっているのでしょう? 

そこにはいくつもの理由があると思います。

トランプ政権の台頭から始まった世界中の大混乱や後期資本主義のもたらした修復不能な副産物などの社会情勢もありそうですが(例えば、技術的にあり得ないですが、この作品が20年前に上映されたらここまで話題にはならなかったと思います)、やはりそれだけ多くの人々が、国境や民族や文化を超えて、アーサーに同一視しているからだと思います。

この映画を見た多くの人が、アーサーに同情や共感してしまうと異口同音に言います。

心優しい気弱な青年が殺戮の悪のカリスマになっていくのには理解できる理由があります。

この映画を見て思い出したのは、町田康氏の小説『告白』の題材にもなった、河内十人斬りです。

なぜ11人もの人が惨殺された事件が河内音頭として現在まで人々に愛されているのか。

町田康の『告白』の主要なテーマにひとつに、「なぜ人は殺すのか」というものがあります。アーサーと『告白』の城戸熊太郎には実際多くの共通点があり、ストーリーラインも似ています。

Jokerの主題のひとつには、「生まれながらのサイコパスはいない」というものが含まれているように感じます。

虐げられ、いじめられ、馬鹿にされ、搾取され、極限まで追い込まれた弱者が自分のために立ち上がるというテーマです。
(言うまでもなくアーサーの方向性は間違っています。この記事での内容は、殺人はいけない事である事は前提で、倫理やモラルは別として書いています)

多かれ少なかれ、人間誰でもいじめられた過去があります。また、世の中あまりにも多くの人が、直接的、間接的に、暴力に晒された経験があります。何らかの未解決なトラウマがあります。

アーサーの孤独感、抑鬱、惨めさ、屈辱感、無力感、怒り、かなしみ、虚無感が全く理解できない人はあまりいないでしょう。

自分の中のこうした要素を自覚でき、ある程度受け入れられている人はアーサーと自身を重ね合わせてある種の代理体験を意識的、無意識的にするので不思議な浄化作用を経験するのでしょう。

一方、そうした自分の要素に無自覚であったり、それがあまりにも受け入れ難いものである人は、そうした自分自身の見たくないものを突きつけてくるアーサーに嫌悪感を感じたり、防衛的に無関心になるので、この映画が嫌いだったりつまらなかったりするかもしれません。

最後に余談ですが、私自身のこの映画の体験です。

うちはまだ子供が小さいので、私は随分長いこと映画館には行けていませんでした。

妻にお願いすれば映画館ぐらい行かせてくれます。

でも、家族を置いてまでみたいと思う映画はあまりなかったのです。

もちろん、見たい映画、気になる映画はこれまでもたくさんあったけれど、自分にとって家族との時間の優先順位は非常に高いので、それを超えるほどのものがなかったという事です。

ただこの映画に関しては、どうしてもこのタイミングで見ておきたい、見ておくべきだという直感や抗い難い欲求を感じたので、妻にお願いして出かけました。

たまにそういう種類の映画があります。

ちょうどその日は妻の実家の地元のお祭りで、一人で映画を見に行くにはまたとないチャンスでした。

直感が当たりました。

本当に見れて良かったです。

ただ、この映画のインパクトはあまりにも強烈でした。

この映画は、主人公の内的現実(妄想)と、外的現実(いわゆる現実)が絶妙に織り混じって展開していきますが、見ているうちに、どこまでが彼の妄想でどこからが現実なのか分からなくてなっていきます。

早朝でIMAXだったためか、館内はガラガラで、客は20人ぐらいしかいませんでした。エンドロールが終わって館内の照明が点いた後もなんとなく立ち上がれず、自分は最後の一人でした。

映画館を出ると、軽い離人感というか非現実感を感じている自分に気づきました。

目眩がするのでベンチを見つけて座り、しばらくじっとしていました。

早くこの感覚から脱却したいような、もう少しこの感覚を味わっていたいような、妙な感じです。

いずれにしても自分は映画を見たら妻に頼まれた買い物をしてとっとと帰る予定だった事を思い出して、非現実感を感じながら、アカチャンホンポに行きました。

すると一気に現実に引き戻されました。

そこは明るくて、周りはママとパパと赤ちゃん、お腹の大きな女性と浮かれた男性、楽しげなじいじばあばで溢れたなんとも平和な世界です。

多分アカチャンホンポは、Jokerの余韻を楽しみたい人はまず行くべきでない場所です(笑)。ある意味Jokerの世界とは対極にある場所です。

私はホッとしたようなちょっと残念なような気持ちでオムツを買って家族のもとに帰りました。異様に家族が恋しくなったのです。
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万引き家族 レビュー その2 (本編)

2018-07-03 | プチ・映画レビュー

(結構なネタバレが伴うので、まだここ映画を見ていない方で、これから見る予定の方は、以下は映画をご覧になってからお読みください。)



けっしてはなればなれにならないこと。みんなもちばをまもること。(「スイミー」より)



小学校低学年の頃に国語の教科書で読んだ「スイミー」には心惹かれるものがあった。しかし、「今回はそれでうまくいったけれど、次にうまくいくとは限らない。いつかバレるんじゃないかな」と、子供心にその小さな魚たちの今後に不安を覚えていた事を、「万引き家族」を見ていて思い出した。

映画の中で男の子がこの話について熱心に「父親」に語りかけていたが、「スイミー」はこの「家族」の性質や、家族システム (family system) について如実に表している。むしろ、スイミーの物語にある意味この映画のすべてが集約されているように思う。

とても強い絆で結びついているように見えるこの大家族は結局のところ疑似家族に過ぎず、家族(目の黒い赤い大きな魚)に擬態しているものの、実態は張りぼてである。この巨大で強靭に見える魚の黒い目は、この男の子なのだと思う。赤い魚の中核で居続けるのは、この小さな男の子にとって、あまりに酷であったし、そんな役割をこの子が担い続けねばならなかった事自体が本当に悲しくて痛ましい。

樹木希林さん演じるおばあちゃんは全てを見抜いていて、こんなものは長続きしないと呟く。しかし死期の迫る彼女が浜辺で海遊びをする「家族」達に向ける眼差しは慈悲深く、どこか満ち足りたようにも見える。

赤くて大きな魚は、「けっしてはなればなれにならないこと。みんなもちばをまもること」が掟であったが、実態がなく、動的平衡状態で保たれているに過ぎない集団なので、ひとたびこの平衡状態が崩れると致命的となる。

男の子は、新しくできた妹が自分を真似て万引きを覚える事に対して強い葛藤を覚え、その葛藤に取り合ってくれない「父親」に対して不信感を募らせる。この不信感をこの子は今まで一生懸命見ないようにしていたが、その「否認」の心の規制もやがて破綻しはじめる。抑制していた罪悪感がやがて絶頂を迎える事になる。

この「父親」は、男の子が投げかける素朴でいて鋭い本質的な問いに答えることができない。「スイミー」の物語で、追い払われた大きな魚もかわいそうだ、という男の子の感性は鋭いが、浅はかな父親はこの問いがうまく理解できない。

(この「追い払われた」大きな魚がかわいそう、というのもこの映画の重要なテーマだと思う。

共感性とは、相手の立場に立って想像したり感じたり考えたりする能力だけれど、この父親には本当の意味での共感性が欠落している。自分の犯罪行為が他者にどのような影響を及ぼしているのか想像できない。

この「追い払われた大きな魚」は、少年の実親かもしれないし、妹の実親かもしれないし、被害にあったお店や人々かもしれない。しかしこの父親にはそんな事は関係ない。頭にあるのは、今日いかにして生き延びるかのみだ。

それにしてもこの父親もまたただの悪人では決してない。少年を救い出し、女の子も救い出した。目の前にたまたま困っている子供がいると助けるのだ。しかし、救い出して育てる事はするけれど、関りは中途半端で、基本的にニグレクトフルだし、いざという時に保身を選んでしまう。これがまた男の子を混乱させ、傷つける。少年は直感的に何か違和感を感じ続けているから、彼を「お父さん」とは呼べない。そう呼びたくても。でも自身の言動が少年を傷つけていたことにこの父親は気づけない。)


万引きという犯罪行為を繰り返す自分たちに疑問をもち、問いかける男の子に対して、「母親」は、「お店が潰れなければいいんじゃない」と無責任なことを言うが、少年が万引きを繰り返していた駄菓子屋がある日潰れてしまった。(正確には、主のお爺さんが亡くなって閉店したのだが、この子に「忌引き」の文字の意味はわからない。少年は、自分がお爺さんの店をつぶしてしまったのだと思い、彼の罪悪感は頂点に達する)。

少年の万引きをずっと前から見抜いていて、最後はお菓子まで与えてくれて、妹を巻き込まぬように優しく戒めてくれたお爺さん。その姿は父親とは非常に対照的だった。

この物語の父親に、致命的に欠落しているのは、父性だと思う。

父性とは、社会のルールや道徳、倫理観を示して教えてくれる存在だ。前作「そして父になる」でリリーフランキーさんは、一つの理想的な父親を演じていた。貧しいけれど、温かく、誠実で、正直で、家族を何よりも大切にする父親だ。一見すると、今回のリリーフランキーさん扮する父親は、前作の父親とそっくりであるが、決定的に異なるのがこの父性だと思う。

この映画のテーマはたくさんあるけれど、貧困と格差社会、幼児虐待、ネグレクトなどの自明なものとは別に、「正義だとか正しさの相対性」というものがあるように思う。

事実(fact)は一つでも、真実(truth)は決して一つではない。

彼らが共に戦っていた大きな魚はなんだろう。いろいろある。弱者にとことん冷たい格差社会、暴力、虐待、裏切り、搾取、そして法律。

警察が彼らに突きつけてくる正義は、正論であり、客観的事実であるけれど、それらは必ずしも真実ではない。だけど、その事実は厳然たる事実であり、それは彼らが意識的、無意識的にそれまで合理化し、否認して見ないように、考えないようにしてきた事実だった。その事実を意識化せざるを得なくなった時、それに向き合わざるを得なくなった時、父親を筆頭に、彼らは持ち場を守る事も、離れ離れにならない事も、できなくなった。悲しいほどにバラバラになった。

それでは彼らの共同生活は、共に過ごした日々は、無駄だったのか? 無意味だったのか。

決してそんな事はない。

彼らは力を合わせて大きな魚になる事で生き長らえていたし、そこでの互いの繋がりや親密さはそれぞれの心の中に内在化されて生き続けるのだろう。

あの小さな女の子が、その小さな手のうちの小さなビー玉の中に見た宇宙は絶大であり、そこには無限の可能性がある。

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「万引き家族」のレビュー その1

2018-07-03 | プチ・映画レビュー

先日、映画「万引き家族」、見てきました。思うところは多く、とても全てを書ききれませんが、個人的なログとして書いてみます。

いやはや、凄まじい映画ですね。非の打ち所がないクオリティです。今回のパルム・ドール受賞は受けるべくして受けたというところですね。この映画、本当に素晴らしいですが、私としては、衝撃も非常に大きく、見てから3日経った今でも正直消化しきれていません。プロセス中です。この映画のとりあえずの全貌を理解して自分なりにきちんと消化するのには少なくとも1週間は掛かりそうです。

私の隣に小学校中学年ぐらいの子が座っていましたが、この年代の子にはオススメできませんね。多分その子の親御さんもこの映画が具体的にどんなコンテンツかご存知なかったのでしょう。ポップコーン食べまくっていました。そのままお腹いっぱいになって熟睡のうちに映画が終わる事を密かに願っておりましたがダメでしたね。ポップコーン食べ終わってガン見しているようでした。皆さんも、お子様を連れていかれる時はご注意ください。お子様の精神年齢にもよりますが、少なくとも中学生以上であることが必要だと思います。

また、この映画は全ての人が楽しめるものではないかもしれません。想像力のない一部の大人達が、「日本人は万引きで生計を立てたりはしない」、「日本人は真面目で勤勉だ」、「日本人のイメージダウンだ」といった、的外れで頓珍漢なバッシングをしているようです。

この映画、本当に良いですが、ディズニー映画のように無害なものではありません。精神的にかなり堪えますし、それなりの覚悟をもって行くべきです。

と、レビューを書く前に時間切れです。レビューは次のエントリーで行います。よろしくお願いします。

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"LA LA LAND"

2017-04-11 | プチ・映画レビュー

映画はホラー映画以外、洋画、邦画問わず、何でも見るほうで、ここで感想を書きたい映画も本当にたくさんあるのですが、書こう書こうと思っているうちに時間はどんどん過ぎていき、それはなかなか実現せず、気づいたら今に至ります。しかし今回紹介する映画"LA LA LAND"は本当にすごいです。奇しくも前回書いたレビューはこの監督の前作『セッション』で、この若き奇才の作り出す映画は、見たらどうしても何か語らずにはいられないものがあるのだと、改めて実感しました。ネタバレは最小限に心がけますが、これから書くことには、ある程度のネタバレはどうにも避けられないので、この映画をまだ見ていない人は、こんなブログは後回しにして、直ちに映画館にいきましょう。このブログは待ってくれますが、映画は待ってくれません。この映画は、絶対に映画館で見るべき作品です。ある方から、「絶対4DXで見た方がいいですよ」と勧められて、そうしようと思っていたものの、ここ2カ月ぐらい異様に忙しくて、映画館に行く隙もなく、先日遂に行く機会があり、上映している映画館を調べていたら、残念なことに4DXでやっているところは既になくなっていて、仕方なく普通の映画館で見ましたけれど、それにしても信じられないくらいすごい映画でした。想像以上に良かったです。私がここ半年でみた映画のなかで一番良い部類に入るものです。(続く)





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『セッション』 (”Whiplash,” 2014)

2016-05-09 | プチ・映画レビュー

これはやばいです。稀に見る名作です。マイルズ・テラー、そして何より、J.K.シモンズ の鬼気迫る演技は目が覚めるようですし、音楽的にも、ジャズ好きには堪りません。これだけでもう言うことないのですが、それでもやはり心理学者として僕が一番面白く思うのは、この完璧な音楽と演技で展開されていくストーリーと2人の男の精神力動でした。

直接のネタバレは最小限にしますが、僕なりに解釈するその骨格というか根本のところのお話をするので、これを読まれる方で、まだこの作品を見ていない方は、読む前にまずはこの作品を見ることをお勧めします。ただこの作品は、これからお話するように、ある意味非常に病的であり、シモンズ扮する天才指揮者の主人公たちに対する凄まじいモラハラ・パワハラ・暴力を含むものであり、たとえば『海街Diary』や『インサイド・ヘッド』のように、すべての方にお勧めできる映画ではありません。こうしたテーマに敏感な方は、鑑賞は控えた方が良いかもしれません。

さて、本題に入りますが、この作品を面白くしているのは、やはりシモンズの鬼気迫る名演によって表現されている天才指揮者の著しく病的な人格であり、この病的教師のターゲットとなり、狂気じみてくる主人公とその名演です。名演についてはもう良いですね。

とにかく演技がすごいのですが、この2人の何が起きているのかといえば、S&Mです。エスエムです。この病的教師の音楽的才能や、指導に対する熱意も凄まじいのですが、彼は熱心なだけではありません。熱心すぎて生徒を駄目にしてしまう、という種類のものでもありません。彼の問題は、極めて病的なサディズムと自己愛であり、破壊性です。極限状態に生徒を追い込んで、その生徒の潜在能力を最大限に引き出す、という彼のロジックは合理化であり、結局のところ、彼の指導の下で本当に大成した生徒はほとんどいません。なぜなら、「熱心すぎて生徒が駄目になってしまう」のではなく、「生徒が駄目になるような指導をしている」からです。具体的には、彼は重度の自己愛性人格障害をもっていて、そこに反社会性が加わっている感じです。

さて、サディスティックな自己愛性パーソナリティ障害者は、その病的な心的ニーズを満たしてくれる相手を見つけるのが非常に上手です。被害者と加害者は、まるでカギと鍵穴、磁石のS極とN極(M極ではありません)のように引き合います。これは以前お話した、「投影」と「取り込み」のお話にも通じるものですが、サディスティックな人は、自分のサディズムにうまく反応してくれるマゾキズムを持った人をほとんど直感的、無意識的に探しています。投影する者は、その投影を取り組んでくれる、受け入れてくれる相手が必要です。「お前本当に能無しだよなあ」と言った時に、相手が「は、馬鹿じゃね。能無しなのはお前だろ」とか、「そんな発言できちゃうあんたの頭がおかしいでしょ」という反応では、投影する方は、自分のパワーを感じることもできず、面白くありません。相手が投影を取り込まないからです。逆に、相手が落ち込んだり縮こまったりして、「能無しでなくなるように頑張ります」、「もっと仕事できるように努力します」「ご指導よろしくお願いします」という風に反応すると、投影者はパワーを感じます。自分の投影が相手に影響を与えているのを感じますから。

このようにして、主人公は教師にどんどん追い込まれていくのですが、その彼にも激しい攻撃性があり、教師に対して激しい憎悪と尊敬を抱きながら才能を開花させていきます。このように、生徒のほうにも、傷め付けられること、追い込まれることに対する心的ニーズがあります。互いの心的ニーズがかっつりマッチして、主人公はどんどん自虐的、自己破壊的になり、教師は万能感を感じ続けるのですが、やがてその関係も主人公の大怪我で破たんします。

SMの心理で非常に重要なのは、サディストが、マゾキストを生かし続けることです。マゾキストに致命的な怪我をさせたり、本当にほとほとその関係性にうんざりさせてしまわぬような、絶妙なさじ加減が必要です。激しいむち打ち(この映画の原題whiplash。彼らが演奏しているジャズの曲名もwhiplashです)には、程よいアメも必要です。教師はこのアメとムチを絶妙にこなしていたのですが、加減を間違えて、破局が訪れました。マゾキストも、本当に無力なわけではありません。無力で従順な「役割」のなかにいます。そしてその役割を演じる中で、相手の心的ニーズを満たすことで、実際のところ、相手をコントロールし、相手から何らかの心的ニーズを受け続けます。しかし教師が「一線」を超えたことにより、本来の破壊性が自虐性に勝ってしまいました。

しかしこの二人の結びつきはそう簡単に切れるものではありません。切っても切れないものです。二人はしばらくして再会しますが、このときにふたりは再びS&Mの関係で結びついてしまいます。この時の教師は毎度のことですが、いつになく非常に巧みに操作的(manipulative。人間関係で自分のニーズを満たすために相手の心や行動を巧みに操作するのも自己愛性や反社会性パーソナリティの特徴です)で、主人公の折れてしまっていたドラムへの情熱を再燃焼されます。

ここからがクライマックスで、教師に陥れられ、ドラマー生命を破壊される間際まで追い込まれた主人公の非常にパワフルな生命力がでてきて、その圧倒的なドラム演奏で、今度はなんとそのサディスティックな教師を支配し始めます。セッションを完全に乗っ取ります。このラストセッションはまさに息をのむような白熱の演技で圧巻なのですが、その有無を言わせない完璧でパワフルなドラムに、教師はその憎悪を超えて、歓喜を経験し始めます。ふたりの既存のS&Mの関係が打破されます。加虐性と自虐性の病理の彼岸の、ジャズを愛し、その演奏の卓越を至上とする二人が共演を通して真に結びつくその瞬間は、本当に爽快で、すがすがしい気分になりました。

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映画『マイ・インターン』とフロイトの「愛と仕事」 (The movie "The Intern" and Freud's "Love & Work")

2015-11-02 | プチ・映画レビュー

(注意: ネタバレ、大いにあります! この映画をまだご覧になっていない方は、まずは視聴してからお読みになることを強くお勧めします!)


 先日、久々に映画館へ行き、『マイ・インターン』を見ました。

 私はこの映画に関しては何の前知識もなく、なんとなく見てみようと思ったのですが、予想外に素晴らしい映画で驚きました。

 映画が始まるや否や驚いたのは、フロイトの名と彼の思想がでてきたことです。

 かつてフロイトはいいました。「(大人の)人間性の中核となるものは、愛と仕事である」 "Love and Work are the cornerstones of our humanness."と。つまり、私たちの人生において一番大切なのは、愛と仕事である、ということです。そしてこのフロイトの言葉が、この映画全編を通した主題となっています。

 この映画には、2人の主人公がいます。ロバート・デ・ニーロ扮する、退職して、妻に先立たれた、かつて成功したビジネスマンであった70歳の男性と、アン・ハサウェイ扮する、仕事と家庭をなんとか両立しようと奮闘する、極めて有能なバリバリのキャリアウーマンです。

 ロバート・デ・ニーロとしては、退職し、妻に先立たれた、ということで、仕事も愛も失ってしまい、この2つを取り戻していく過程の物語であり、アン・ハサウェイとしては、現在、献身的な専業主夫(育メン、Stay-at-home dad)と可愛い小さな娘のいる家庭と、自らが指揮を取り自分の潜在能力をフル活用している仕事という、まさに、愛と仕事の両方を手に入れた人生において、その非常に困難な両立がやがてある事件により、破綻しかけ、その奮闘の中で何とか本当の意味での愛と仕事の両立に到達するという物語です。

 このふたりの主人公が、互いに強く影響しながら、それぞれの人生における大切なものを取り戻していく物語は、とても微笑ましく、時に胸が痛いのですが、見るものに勇気を与えてくれ、見終えた時、とてもすがすがしい気持ちにしてくれます。

 これは一見すると、気軽にみられるコメディーですが、この映画が実際に含むところは深いです。

 この映画には、現在のアメリカ社会の様々なテーマがでてきます。たとえば、女性の社会進出などに伴う、結婚の性質や、人々の結婚に対する価値観の変容ですが、離婚率が50%を上回るアメリカ社会で、たぶんにもれず、この夫婦も離婚の危機に瀕します。フルタイムで高収入の女性が増えるなかで、男性が家庭に入り、伝統的な男女の役割が逆転する家庭も増えていますが、こうしたカップルの葛藤もよく描かれています。

 このカップルは、妻であるアン・ハサウェイが、自らの上に、CEOを迎え入れ、仕事量を軽減することで、夫婦の時間が増え、自分たちの置かれた結婚生活の危機を脱出できると信じていたのですが、ロバート・デ・ニーロの鋭い指摘により、仕事量そのものが根本的な問題ではなかったことに気づかされます。

 Stay-at-home dadの夫も、会社に行ってはいないものの、育児や家庭の切り盛りという大切な仕事があり、しかし、この仕事にうまく適応できずに、また、極めて多忙で帰ってくるといつも疲れている妻との愛を維持することにも困難を覚えていたわけですが、自らが犯した過ちを通して、真に自分自身と、また、妻と向き合えたことで、彼も、愛と仕事の両立に到達します。

 ところでこの映画は、人間の無意識の防衛機制、「隔壁化」(Compartmentalization)という機能が、アン・ハサウェイによって、非常にリアルに表現されていて、それも見ていて興味深いものでした。

 隔壁化とは、私たちが、心の中にいくつもの隔壁を築いて、心の中にいくつもの部屋を作ってしまうことで、不安や葛藤などから逃れてこころの平衡状態を保つ無意識の作用です。この壁のおかげで、その人は、さもなければその自己矛盾や罪悪感、不安、恐怖感などで同時にできないことを、強い葛藤なく両立させることができます。具体的にいいますと、アン・ハサウェイは、仕事とプライベートを傍から見ると不自然なぐらいにくっきりと分けて生活していました。彼女の人生には、その二面性がありました。隔壁化によって、それが可能になっていました。しかし、ロバート・デ・ニーロが彼女の直属の部下として配属されることで、彼とのその初めは望まなかった交流によって、「防壁化」の防衛機制がうまく働かなくなっていきます。

 彼女はその初期の兆候で不安を感じて、ロバート・デ・ニーロを他所に異動させてしまいますが、直感的に、自分にとって彼が必要な存在だと気づいて、引き戻します。

 愛と仕事を両立させるためには、その統合が必要なわけですが、彼女はその2つをうまく統合させることができずにいました(夫に仕事のことをシェアしたり、できる範囲で育児に参加したり、その努力はしていました)。しかし彼女は、自分はそれができていると思い込むことでなんとかやっていました。周りもそのように思っていました。ロバート・デ・ニーロを異動させたときの彼女は、この既存のライフスタイルからの脱却を恐れていたわけですが、同時に、今の自分が変わらなくてはいけないことも、直感的に気づいていたようです。

 ロバート・デ・ニーロを迎え入れてからの、「隔壁化」の防衛が利かなくなっていく様子はコミカルで、母親との関係性に問題のあるアン・ハサウェイは、今までの彼女だったらまずやらないような「失錯行為」をします。母親とのネガティブな電話の後で、母親の悪態をついたメールを、間違えて母親に送信してしまいます(これはまさにフロイトのいうところの失錯行為で、彼女は母親にダイレクトに怒りを向けることができずに旦那に愚痴るという形で表現しようとするのですが、メールの「誤送信」という形で母親に送ってしまいます。しかし書いているときりがないのでこれについてはこれ以上の言及はやめます)。そして、職場の部下に助けてもらうことで、その秘密にしていたプライベートの不手際をうまく処理します。この様子がコミカルなのは、それまで「完璧」で、「非の打ち所のなかった」彼女に、本来の彼女や、その人間味が戻ってきたからなのであり、この事件もまた彼女のこころの統合を促すことになります。

 アン・ハサウェイのキャラクターも非常に魅力的ですが、何といっても素晴らしいのは、ロバード・デ・ニーロ扮するインターンの人格だと思います。この男性のパーソナリティは、非常に健全で、成熟しています。共感的で、慈悲深い性格でありながら、他者の自主性や成長、境界線をとても大事にします。同期の若い男の子が実家を追い出される、どうしよう、という時も、彼が持ってくる物件情報を一緒に見てアドバイスしてあげながら、温かく見守っています。いざとなったら直接助ける用意はあるけれど、自ら親切を買って出て彼の学びや成長の機会を奪ってしまうようなことはしません。本当の意味で親切です。これはアン・ハサウェイ夫婦の危機においても同じです。

 彼のように共感的な人がこのようなスタンスに首尾一貫性を保つためには時に相当な苦痛も伴うもので、そこにも彼の強さが現れています。彼にはブレがありません。この映画を見ていて視聴者が癒され、元気付けられるのは、彼の人柄によるところも大きいと思います。 ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイの心の交流、ミューチュアル・リスペクトも素晴らしく・・・・・何だか書いているとキリがないので今回はこの辺にしておきます。いやぁ、映画って本当に良いですね!


 


 

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