思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

幸福は絶望のうえに

2009年03月14日 | こころの時代

 哲学者木田元先生の「新人生論ノート 集英社新書」を読んでから木田先生のファンになり「反哲学史 講談社学出文庫」「現代の哲学 講談社学出文庫」「「木田元の最終講義 角川ソフィア文庫」と読み進み「ソクラテス以前」に興味をもったころ、「幸福は絶望のうえに」という題名の木田先生、小須田健先生、フランス人のコリーヌ・カンタンさんの3名の訳者によるアンドレ・コント=スポンヴィルという方の紀伊国屋書店から2004年2月に出版された本に出会いました。

 著者について、この本によると

  1952年生まれ、ソルボンヌ大学で教鞭をとる哲学者。明晰な論理と魅力的な文章で、日常生活に役立つ哲学を提唱し、あらたな哲学ブームを巻き起こした。『ささやかながら、徳について』(ブリュイェール・ド・アカデミーフランセーズ賞受賞)はフランスで30万部を超えるベストセラーとなり、世界20ヵ国で翻訳されている。その他の邦訳に『愛の哲学、孤独の哲学』、『哲学はこんなふうに』(すべて紀伊国屋書店)がある。

と書かれている。

 題名から「絶望」という言葉と「幸福」という言葉がにつながる。どういうことなのか興味がわき早々購入読んで見ました。

 この中で、スポンヴィルは、

 私の理解している意味での絶望とは、不幸の極地でのも自殺したくなるほどに意気消沈した落胆消沈でもないのです。むしろその逆です。私はこの言葉を字義どおりの語源学的な意味で、願望のゼロ度を、純然たる願望の不在状態を指すために使っています。

といっています。
 ようするに、失望とか落胆の意味の絶望ではなく、「望みを絶つ」という意味で、欲望や願望を持たない状態にあることをいっているようです。

 ここまでくると伊那谷の老子の加島祥造さんの「求めない 小学館」と、思いは同じようです。

 求めない
 すると
 求めないでも生きてゆけることが
 どんなに嬉しいものかを知る

 今年は雪が少ない冬でした。ごらんのとおり常念岳もこの季節地肌が見えています。