今朝は、飛行機雲がちょうど陽と重なりました。松本空港の近くにボルデメ(名称に誤りがあるかもしれません。)という誘導設備があり、航空機は松本平の上空で進行方向の修正を行なうため空を見上げると昼夜を問わず見ることができます。
さて最近「普遍」という言葉が気になり始めました。普遍的無意識というユング派の言葉があり、万人の深層部分には共通する元型がある。
そのようなことを思考の前提にしていましたが「やまと言葉」、言葉の世界に足を踏み込み始め、他の人の考え方を知り「普遍」とくに「普遍性」というものに疑問を持つようになりました。
諸行無常の世界、仏性、仏心を私自身は、普遍性を前提にして思考をめぐらしていました。考えてみれば「普遍性」の観念的なものをもつこと自身、禅とかけ離れている、このように考えることもまた然り、かけ離れている。それが体感としてもつようになりました。
「うつろい」、これに尽きるものが「世」であり、「空」の世に「色」という身をもち生きる私であるからこそ、うつろいゆく今日にまた意が生ずる。