「かなしい」という言葉を漢字で書くと、「悲しい」「哀しい」となります。そして、「愛しい」は、「かなしい」とも読みます。
日めくり万葉集の3月12日は、選者中西進先生で万葉集巻14の3403の東歌
我が恋は
まさかもかなし
草枕
多胡の入野の
奥もかなしも
でした。
この歌の解釈はしませんが、この歌で語られていた「かなし」について記したいと思います。
中西先生はこの「かなし」について次のように解説されていました。(日めくり万葉集 VO1.3 講談社MOOKから)
「かなし」は、漢字では悲哀の「哀」という字も書きます。しかし、人を愛するの「愛」、これも「かなし」です。むしろこの方が元の日本語なんです。「かなしい」というのは、いとおしみのあまり生じるせつなさを言ったんです。例えば、持ち物を失くすと「かなしい」なぜならそれを愛していたから・つまり、「かなし」とは、我と我が身への愛借ですね。
「かなし」という言葉を万葉集の中で調べてみると、本来は東国の人たちの持っていた単語らしいのです。都の人間が持っていなかったこの言葉に注目したのが、大伴家持です。家持は東国の歌に接し、「かなし」という言葉がいかに素晴らしいかを発見した。「かなし」は、当時まだまだ素朴だった東国に保たれ続けてきた感情や生命感でした。都の人間は、文明がどんどん進んでいて、もっと小利口になっていたのでしょう。
と中西先生は、語っておられました。
この「かなし」という言葉ですが、長野県の南部の下伊那郡方面では、「かなしいよ」という言葉で、この万葉の情感よりも幅広い情感を含んだ使われ方をしています。
悲しい、哀しいという情感の他に、期待したものがない状態を表現する時に使われています。
例えばスパーの食品売り場に出かけ、買おうとした品物が既に売り切れであった場合に、「○○がなくてかなしいよ。」といいます。
タレントの峰竜太さんの出身地長野県下伊那郡下條村では、このような使い方を今もしています。
下條村に住んでいたころ、知り合いが「かなしいよ」というので、はじめ何が悲しいのか全くわからずいたところ、その後いろんな場面でいっているのを耳にしました。
どうも「期待したこと」「そのように思っていたこと」等その期待、希望の度合いの軽いものから、深い(重い)ものまで使うのです。
下條村での生活は長くはなかったのですが、我が家では「かなしい」という言葉をかなり幅広い情感で受けとめることができます。
カタツムリ論という柳田國男先生の方言周圏論の地方における古語の残留からいうならば、早計かもしれませんが、これは素朴な感情や生命感、文明とは関係のない、日本語の感情という心の感覚の幅広い使われ方が、漢語的に合理的な、端的な感情概念の相互共有に編成されてきたものと思います。