思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

がれきを踏みしめて~気仙沼 港町の絆~・「頑張って」て言いにくい、頑張っている人に・・・

2011年09月20日 | 地震

 9月19日の日曜日にNHK総合で「明日へ~支えあおう~NHK東日本大震災プロジェクト」という番組で「がれきを踏みしめて~気仙沼 港町の絆~」という番組が放送されていました。

 かつては東洋一の魚市場と言われた宮城県気仙沼、3.11東北日本大震災ですべてが失われました。NHKはこの気仙沼の港町を今から2年前の2009年9月に取材していました。

 港町に集まる漁船、そこに働く人たちの日常を取材したもので、港の施設だけが復興されただけでは、港町は息づかないことを知ることが出来ました。

 番組は、震災後気仙沼港に入る一隻の三重県のカツオ一本釣りの船の姿から始まりました。

 語りは俳優の高橋克実さん。カツオの水揚げに従事する漁夫たちの笑顔に、

 水揚げは落ち込みました。それでも笑顔がこぼれるのは、あの日すべてを奪われたからです。

という語りが流れました。はじめはその言葉になぜと思ったのですが、番組を最後まで見るとそのなぜが解消されていきました。

 2年前のカツオの水揚げ終了後の腹ごしらいです。そしてまず真っ先に向かうところが港町にある銭湯「亀の湯」、





そこにはお帰りなさいと迎える銭湯夫婦がいました。

 気仙沼のお母さんと呼ばれていた斎藤ちか子さん「お帰りなさい」と言われて渡されるのは漁船名が書きこまれたふろ桶。全国の漁師に愛された老舗の銭湯の姿がそこにはありました。

 また雑貨を営む女性が営むトラックがあります。




荷台は何と漁師で大賑わい。そこがそこが魚師たちの束の間の安息場所でした。



そして港町のスナックそこにも魚師の笑顔があり人と人の触れ合いがありました。

 当然のことなのですが、港町は船の停泊場所があればよいというものではなく、また漁港ですから当然全国から漁船が集まり水揚げと、休息を求める場所でもあるのです。

 それが今は見る影もない状態になってしまいました。



 大震災ですべてが無くなった今、そこで暮らしていた人々と漁師の絆はどうなったのか、これが取材の目的でした。

 明治19年創業の銭湯「亀の湯」の経営者の夫婦は、近くのビルの屋上に非難し無事でしたが、施設は震災によりご覧のとおりの状態になってしまいました。

 釜の修理だけで500万円で、銭湯全体を再建するとなるとでは2000万円は掛かるそうです。落胆する夫婦、施設を見つめ考えたのは再建のめどは立たないが、銭湯を掃除しようということでした。そしてボランティアに掃除を頼んだところ来たのは外国人の方々でした。

 一生懸命清掃する外国のボランティアの人々。ボランティアに勇気づけられ、ご主人は湯船にできた亀裂の修理をします。タイルはピカピカに磨き上げました。



 叶うなら亀の湯を再開したい。御主人は次のように言います。

 今までいろいろな人に支援されている。それをお返しするのは自分の持っている仕事を再開することが、一番の答え・・・やっぱり今までやって来たことを止めないでやるということだと思うけれどね・・・・なかなかね・・・・

このような思いの中、今年の7月思わぬ話が入ってきます。大阪の池田氏から仮設の風呂を貸し出したいという話が気仙沼に入ってきました。それを亀の湯に設置したいと気仙沼市が頼みにきたのです。

 しかし脱衣場は測られるものの、ピカピカに磨き上げられた風呂場は見向きもされません。結局は循環ろ過器やボイラーの設置場所になってしまいます。

 脱衣場に仮設風呂を置くにしても高さが問題になり床を剥がすことができましか、という話になりますが老舗4代目のご主人はやるせない気持ちからか了承できません。

 御主人は、綺麗にした湯船と洗い場をそのままに仮設風呂用の循環ろ過器とボイラーを借りたいのですが、池田市は仮設風呂を貸し出すことに支援の主眼を置いています。

 早い話が、行政支援が循環ろ過器とボイラーの貸与ではだめのようです。私自身この話を聴きため息が出てしまいました。

 支援とは、見える支援でなければならないのか?



「そうはいかないんだ向こうは(池田市)、セットでやりたいんだよね。・・・」

 仮設風呂を足掛かりに亀の湯の再建を夢見た御主人ですがそれを叶えてくれる支援ではなかったのです。

 ここの再建のめどが立たなければ取り壊される。御主人は了承します。



 2011年07月31日(日曜日)付の河北新聞社の「3.11大震災特集」のには、「気仙沼の老舗銭湯「亀の湯」 “裸の付き合い”来月復活」という記事が掲載されています。

<記事内容>
 日本大震災で深刻な被害を受けた宮城県気仙沼市の老舗銭湯が8月上旬、無料の入浴施設として期間限定でよみがえる。大阪府池田市の支援を受け、気仙沼市が銭湯のあった場所に被災者向けの入浴施設を整備する。地元住民のほか、気仙沼に水揚げする県外の漁師らが足しげく通った憩いの場が約5カ月ぶりに復活する。
 この銭湯は1886(明治19)年創業の「亀の湯」。かつての魚市場に近い気仙沼湾沿いにあり、カツオやサンマのシーズンは水揚げ作業を終えた漁船員が訪れ、疲れを癒やしてきた。
 3月11日の大津波で外壁やボイラーが全壊。銭湯を守ってきた4代目斎藤克之さん(70)は「被害が大きく私も高齢。100年以上の歴史があり未練はあったが、再開は難しいと思っていた」と話す。
 6月になって、池田市が入浴施設の貸し出しを申し出た。池田市と気仙沼市は青年会議所同士の交流があり、池田青年会議所のメンバー10人がボランティア活動で気仙沼を訪れた際に、池田市の意向を伝えた。
 浴槽や給湯設備は8月5日に届く予定で、亀の湯の脱衣所だった部分に浴槽を置く。お盆前には完成する見通しで、開設期間は3カ月程度になる。
 完成後は気仙沼市が管理し、斎藤さんと妻のちか子さん(65)が業務を担う。ちか子さんは「地域の人たちや漁師たちに同じ場所で再び会えるのが楽しみ」と話している。

<以上>

 この仮設風呂は11月には取り壊されます。その後はどうなるか分かりませんが、番組では震災後初めて気仙沼港に水揚げに来た三重県のカツオ一本釣り漁船の仮設の風呂に入る漁夫の姿が映しだされていました。

生きてて良かったな

生きていたら何でもできるもの

仮設風呂でくつろぐ魚師の方々



魚師の方が、

どれだけ気仙沼が受け入れてくれるかが問題(寄港)
「頑張って」て言いにくい、頑張っている人に・・・

と言っていました。

 短時間の休息、また船は出て行きます。そこには見送る老舗の銭湯のおかみさんの手を振る姿がありました。

 いろいろな問題を抱えて再建に臨む気仙沼の港町の姿。

 震災から半年たっても復興のめどはなかなか立っていません。政府主導の復興が期待できない中で、絆を頼りに力強く前に進む気仙沼の市民の姿が紹介されていました。

 東洋一の魚市場と言われた宮城県気仙沼の港町。

 政争に明け暮れる政治家の皆さんはどのように思っているのでしょう。5000万円のお小遣いに気がつかないお坊ちゃま政治家。知らないで世の中を通ってしまい、政治かもやめない。いいのかなあそれで。

 わずかな期間でしたが日本の総理大臣であったこと、本当にそれでいいのだろうか。

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