思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

確信を避け続ける日本・人間性から浮き出るもの

2011年08月12日 | 地震

 朝方の午前3時22分ころ福島県沖でマグニチュード6.22、震度5弱の地震がありました。津波の恐れはなく、今のところ原発その他の被害の発生はないようです。

 松本でも同じ規模の地震が最近あったばかりで、震度5弱のいう揺れの怖さは実際に経験しているだけで実が凍る思いがします。

 サイトの「ちび丸地震情報」(見出し写真に使用)で毎日の地震発生状況を見ていると、震度1という小さなものも含め日本全国のどこかで必ず揺れています。

 地震大国とはこういうこと、必ず近い未来に大きな地震が松本市にも発生するという予想がされているだけに準備はしているとはいえ、私の場合平日の昼間は松本平に居る事が多くビルの中か、車の中、時々の居場所における心構えが重要だと当然ながら考えていますが、仕事に集中している時は念頭になく、瞬間の機敏な判断しかそのすべはないと考えています。

 冷静沈着な態度と、「言うは易し」ですが、全ての行動において重要なことに思います。

 機敏な判断=冷静沈着

 培われている知識の中から最善と思われる考えに基づき行動する。

 こころの動揺を抑え行動する。

 本当に言うは易しです。

 さて3.11東日本大震災に関する報道などから受けた印象深い話を時々書いています。そのなかで宗教学者の山折哲雄先生のお話にどういうわけかめぐり会うことが多く、山折先生の言葉を紹介しています。

 地方紙信濃毎日新聞は8月に入り3回にわたり山折先生と歌人の道浦母都子(みちうら・もとこ)先生の「3・11後を生きる」対談を掲載しました。

 その中の2回目(8月2日付け)に次のような会話がありました。

<引用信濃毎日新聞「3・11後を生きる」から>

【道浦】 今回の震災で、日本のテレビや新聞は、遺体の映像や写真を全くといっていいほど映さなかった。海外メディアは映しているので、この落差はなぜだろうと気になります。あるテレビ局幹部に尋ねたら「自粛です」との答え。実態を覆い隠すことになっていないでしょうか。

【山折】 戦争中の新聞には遺体の写真が載っていましたから、日本の報道機関が遭体を生々しい形で表現することをタブーとし始めたのは戦後のはずです。

【道浦】 ベトナム戦争のときには、米軍の空からの攻撃にベトナム人が逃げ惑う映像や、ベトナムの兵士が銃殺される映像がお茶の間に流れた。新聞もテレビも血や死体を映していた。そうした報道と反戦運動の広がりには深い関係があったはずです。でも湾岸戦争やイラク戦争になると戦場も死体も映さなくなっていた。戦争と災害という違いはありますが、実態を報じないことで何かを隠蔽してしまうという意味では同じだと思います。


(上記信毎記事から)

【山折】 死体を映さなくなったことと、日本人が死と向き合うことを避け始めたことは無関係ではないと思います。死に限らず、戦後の日本社会は核心的な問題を避け、嫌なものや汚いもの、危険なものを辺境の地、弱者のいる世界に疎外してきた。

今回の問題の核心は「東北の災害」ということでしょう。例えば福島第1原発で事故が起きたが、あそこでつくった電力は関東の人たちが使っていた。人、物、金、そして意識の東京一極集中を変えなければ、根本的な解決には至らない。

【道浦】 私は東北に住んだことがなく、それゆえか、憧れがあります。若いころ

  北指向にわかに生(あ)れて黄昏の木綿のごとき心を開く

という歌を作りました。石川啄木や斎藤茂吉といった優れた歌人も生まれています。

【山折】 啄木と茂吉、宮沢賢治の3人の詩人に、近代文学の精髄があると私は思う。一方で、東北の文化は縄文的であり、古代的。私は花巻から仙台、東京、京都と住まいを移してきたわけですが、実感としては縄文文化から弥生文化へ、古代から近代へと心理的な移動をした気がしています。

・・・・・・略・・・・・

<以上>

 「確信を避け続ける日本」と題が付けられています。

 リアルな部分を避けようとする。衝撃が強すぎるのでという思いやりからかも知れませんが、一方では真実を隠し伝えるべきものが伝わらない。人間性において必要なものが育たない・・・・そうかも知れません。

 「遺体・屍」それはリアルです。目を覆いたくなりますが、実際はそうなのです。

 現在深夜にNHK総合では太平洋戦争の番組を放送しています。リアルな光景が出てきます、それだけに説得力がある。なぜ戦争に向かうのか。死体が多く発生すると指導者は引くことができない・・・・そんな心理があると語っていました。

 リアルな光景は非常に行動力に影響します。リアルなものを見ても冷静沈着でいられるかと問われると・・・・「そうはいきません」と答えることになるかも知れませんが、指導者は実際の目で見ていません。報告を聞くだけです。現場の人々が一番知っています。

 「こんなことはもう止めよう」

それが人間性から浮き出る出る本音なのだと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。