昨日は万葉集の歌を話題にしました。歌というと音楽をイメージしそこで語られるのは詩です。万葉集の歌も死のように長い長歌もあれば短歌もあります。そして歌には俳句もあれば、川柳もあり、当然古くから和歌もあります。
最近では野田総理大臣の「ドジョウ」が有名になり相田みつを記念館を訪れる人が増え、ドジョウ鍋を求める人も多くなったようです。私は文芸評論家ではありませんので専門的な知識は持ち合わせていませんが、短い文章に秘められた不思議なパワーがあることは確かだと思います。
文章を書くときに、意味の無いことを書く、意味の無い単語を並べるとします。そうすると作られた文章は意味がないかというと、本人がそうだと自認したところで、分析心理学の立場から見れば、言葉の連続性の自己の表出の片面を診(み)ますし、ゲシュタルトで診れば、無意味を行動するあなたを診ることになります。
それは何故か、身体と精神は引き離すことができないということではないかと思います。人は肉体を離れることはできない。肉体から離れたところに超越的な存在を想定したところで、また感じたところで「想」であり「感」であり、肉体を離れてはいない。
13世紀の神秘キリスト教者マイスター・エックハルトの光明(火花)の思想はそこにあるように思います。ニーチェの凄さはそこを完璧に「神は死んだ」と述べたところにあり、だから人の発動力を「力への意志」に求めたのだろうと思います。
最近フランスの哲学者メルロ=ポンティに魅かれているのですが、私自身の理解では同じ路線にあると思いますし、西田幾多郎先生の思想も最近では、ポンティとの比較論文を目にすることができます。
この点この境界を離れてしまったと思えるのが、鈴木大拙先生の思想で最晩年は、その某霊能者の翻訳の姿勢からもうかがうことができます。
さて今回はそんな話を中心にしようとするものではなく、いつものように、これもまた最近読んだ本からの衝撃を語りたいと思います。
手元に2011.5.20に第四版二刷の『静塔文之進百物語 第四版 真蹟集』(石川文之進著 近代文芸社)という本があります。俳人でもあった精神科医平畑富次郎(静塔)先生の俳句思想を後輩の医師である著者が語ったものです。
勝手に俳句思想と言ってしまいましたが、私の私見です。「五七五」の俳句の世界。時々子規の世界をブログに書いていますが、この著書のパワーには恐ろしほど深みを感じました。
<過去の子規に関わるブログ>
平気で生きる・正岡子規・河野裕子・「NHK視点・論点」から
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/28bead3ad01e918015c0fc3d0407172b
正岡子規と宮崎奕保禅師・平気で生きる
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/b7000c7a4bc8cd008b7e8e67c4d7fb8a
NHKL教育Jブンガク・正岡子規・病牀六尺
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/ebbc1f45dea1dac8f05e949e9e231b75
さて本論に入りますが、思い出の名句の一つとして、
「狂ひても 母乳は白し 蜂光る」
が揚げられ、次のように書かれています。
<引用上記著>
静塔は天下の句聖。ある時、永らく勤めた宇都宮病院に句碑を建てんとして「狂ひても母乳は白し蜂光る」と綴字して示す。文之進(著者)その句意を解さず、かつ、これが静塔の代表作であることも知らず、「別の良句なしや」と問うに、静塔ただ一言「これでよし」と。文之進不承不承、句碑建立を手配す。
さて、一人の元小学校教師の欠陥分裂病の患者があって、二日中無為、茫乎であったが、句碑の成ったのを見て、突然色をなして怒り出す。「私たちを動物視するのか」と。
また、別の女子患者、病棟屋上より句碑めがけて身を翻し自殺する。
いずれも痴呆化、荒廃が著しく、外界から閉ざされた精神であったが、それが句碑の一文によって大いに揺り動かされたわけで、それに引き換え、句の力を感じ得なかった我が鈍感さに恥じ入る思いをしたのであった。それにしても文之進には句の意味が判然とせず、白き母乳と蜂との関連に、なにやら分裂病者の述語思考によらずしては分からぬものがあるやに思い、精神科の先達でもある静塔に「何の意味や」と問うに、静塔澄まして日く「初乳にプンと蜂が飛んで釆た。それだけだ」と。文之進には却って分からず。・・・・
ここまで読み進めて「何だこれは」とそのリアルな状景に言葉を失います。著者によると
静塔の『自註』を見る。
日く「教師を止め本来の臨床医になってからの作。産褥性精神病者、乳房が張って絞ってもらう母。私は蜂となって天空から彼女を見守るだけ。」
さらに、
静塔俳句『自解』(句集『かりがね』昭和四十八年)に日く、
戦前のホトトギスに川端茅舎が、「花杏受胎告知の虻びびと」という聖母マリア礼讃の 宗教画のような一句があった。その句が余りにも印象が強かったので、いつか私の心の底に潜みつづけて居たため、私のこの句が出来たのかも知れない。
昭和二十四年か五年の作である。お産の直後精神を病んで入院したまだ若い母のことである。授乳を中止した乳房は痛々しいまでに張って熱をもったので、看護婦さんが乳しぼりをしたという。こんなに白く美しいおっぱいが出ましたと見せられたのは医師である私であった。この際の蜂、陽光に光る蜂は院庭を飛ぶ蜂にすぎないが、この狂へる母、白妙の母乳をしたたらす人にまとふのにふさわしい虫と思ったので、この場に登場さした。茅舎の句の虻が受胎告知を知らせる声を発して居るが、私の蜂は蜜とも覚し母乳に慕ひよったやうだ。母二句とも祝福図である。(但し狂の一字は私の持論で抹消したい字であるが、この際は止むを得ない。)
と静塔先生の思いが書かれています。そして最後に俳人の山口誓子(やまぐち・せいし)著の『鑑賞の書』(東京美術)に書かれているこの句の批評を最後に紹介しています。
<引用>
平畑静塔は精神科の医者である。
静塔が「狂ひても」とうたいだせば、それは狂人のことである。
つづいて「母乳は白し」とあるから、狂人は女で、母である。その母の乳房の乳が白いことを、授乳のときにみたというのか、子を引き離され、乳房より乳のひとりでにこぼれるのをみたというのか。
いずれにしても「母乳は白し」である。
この「母乳は白し」の上に「狂ひても」が置かれると、読者の私ははげしいショックを受ける。精神に異常をきたしたとはいえ、子を育てる母乳はいぜんとして白いのだ。
そんなときにも母乳が白いということ、そのことから私ははげしいショックを受けるのだ。人間が悲しい生きものであることをその白い母乳によって知らされるからだ。
「狂ひても母乳は白し」で充分だろうか。いな、それではたりない。その上に俳句の場として「蜂光る」が必要なのだ。
精神科の環境は草木生い、春になると、そこにきてとぶハチが、きらりきらりと光る。
そのハチの光が「狂ひても母乳は白し」をいっそう切ないものにする。
『旅寝論』に「はいかいの眼ににらみ出す」ということが書かれている。「蜂光る」は俳句の目ににらみだしたのだ。
<以上>
『旅寝論』とは、蕉門の代表的俳論なのですが、この「眼ににらみ出す」という言葉に相手なしの身体の独白のような感覚を得ます。
相手ありての告白ではなく、相手なしの独白。
相手に分かりやすい俳句もあれば、そうでない俳句もある。
「狂ひても 母乳は白し 蜂光る」
最初は、とんでもない俳句だ感じたものが、独白の心底を垣間見ると恐ろしいほどその句に、患者を診る精神科医平畑富次郎(静塔)を見たように思います
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