思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

為になる自由をもつこと

2011年03月19日 | 地震

 中国の戦国時代の思想家韓非子の言葉である。いまから2200年も前の人物であり、昔は昔今は今と言われそうな話だが、大切な何かを教えてくれているように思う。
 
<韓非子>

 人の考えはそのときと事情によって変るものである。
 
 山地に住んで谷底まで水を汲みに行かねばならぬ所ではお祭りの手みやげに水を持って行くが、低地に住んで水に苦しんでいる所では人夫をやとって水はけをよくしなけれはならない。また餞饉年の春のはぎかい期になると幼い弟にも飯を食わせないが、豊年の秋には大して縁のない通り過ぎの旅人にも飯を食わせたりする。
 
 これは身内のものに薄情にし、ゆきずりの旅人に依怙ひいきするわけではなく、ただ物の多いと少ないとの実質が違うだけのことである。されば昔の人が物資を軽視して惜しげもなく他人に与えたのも、人情が厚かったのではなくて物資が多かったためであり、今の人が物を争奪するのは性根が賤しいのではなくて物資が少ないためなのである。
 
 同じように昔の天子がその他位を簡単に離れたのは精神が高潔であったからではなく権勢が小さかったに過ぎないし、現代人が役人の地位の一つを大騒ぎして争うのほ、品性が下劣になったのではなくて権勢が大きいからなのだ。
 
 以上のようであるから聖人は物の多少をよく調べ、地位の軽重をよく吟味して政治を行なうので、罰が軽くてもただちに情けぶかいとほならず、刑が重いといってもただちに残酷とはならないのである。
 
 それぞれの場合と事情に応じて行なったまでだからである。ゆえに何事も時勢にもとづいて行なわるべきであり、対策は事情に従って立てられなければならないのである。

<以上『韓非子のことば』黎明書房中国の知恵5・p33から>

 この災害時に物資の不足しているのは被災地である。大震災前まではモノがあふれていたではないか。「もったいない」そんな言葉が叫ばれていた。

 買占めは略奪に近い。そんな気がしてならない。他国から驚異に思われているが、その実は、賤しさが見え隠れしている。

 簡単な言葉だ。

<ゆえに何事も時勢にもとづいて行なわるべきである>

 時世における理性的な自立。己を律する、自律の時なのかも知れない。他人に良かれとする行為に走りなさいという定言命法を語るつもりはないが、自分の欲するところに従うなそれだけの提案であり、「俺は買占めはしない」という格律をもつだけである。

 そこに如何なる不自由があるだろうか。買占めの姿には、他人に惑わされる不自由な自分があるだけである。

<ゆえに何事も時勢にもとづいて行なわるべきである>

時勢の中になぜ不自由を求めるのか?

時勢に従って為すべき使命に、格律に従うだけのことである。このご時勢に宗教家、思想家は簡単に「人間だから・・・」とその浅ましさを簡単に口にしてほしくない。

 人間だから当然なすべきこと、為になる自由をもつべきである。

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