思考の部屋

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人を裁くということ(14)「仏の戒め」と「人の定めし戒め」

2010年02月26日 | 仏教

 今朝は、「戒」には罰則がない旨を解説したブログをみて、日本語の言葉の世界から私の思っていることを書いてみました。

 「戒め」と言う言葉があります。もともと古語の世界ではどのような意味をもっていたのか、今朝は昨夜に引き続き古語辞典を開いてみました。

いましめ【戒め・警め】①注意、訓戒②禁制。禁止③用心して備えること。警戒。④こらしめること。懲罰。⑤捕らえて体の自由を奪うこと。縛ったり閉じ込めたりすること。

とにいうように解説されています。

 この意味合いから、主体、客体との関係から守るべき側の者と、守らせる立場にある側の者の視点があります。

 ここで注目したいのは④の意味です。ここには間違いなく懲罰という罰則を伴う概念があります。

 従って人の定める「戒」には懲罰を含む「罰則」が規程されることが前提になります。

一方仏が定める戒めはどうでしょうか。遺教経に書かれている「戒」です。

 ここに、この世においては、よくととのえられたる戒をこそ、学び習うがよい。なんとなれけ、戒はこれを行なうものに、あらゆる幸いを与えるからである。

 戒を持(じ)する者は、よく自ら制することによりて、多くのよき友を得るであろう。戒を破る者は、悪しきことを行ないて、よき友より遠ざかるであろう。

 戒は第一の依りて立つ処である。これはもろもろの善の母であり、諾法のうち最もすぐれたるものである。されば、まず戒を浄くたもつがよい。

 戒は無比の力である。戒は最上の武器である。戒は最も尊き荘厳である。戒は稀有なる甲冑(かっちゅう)である。
 
 戒は第一の旅資である。戒は最上の路銀である。戒は最もすぐれたる乗物であって、人はこれによって、此方(こなた)より彼方(かなた)へとおもむくことができる。

この言葉は、宗教家の増谷文雄先生の『阿含経典による 仏教の根本聖典』(大蔵出版P307)から引用しました。

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 このように仏の戒めには罰則はありません。一方西洋の宗教には厳格な守りと罰則、神の怒りを伴います。

 人が人に罰則を与える。これはとても重大なことです。それは専門家に任せ、専門家はその自覚とともに最大の尊敬を受けなければなりません。

 現代は、尊敬すべき一部が悪さを行い、残りの多くの尊敬されるべき人も批難される社会になってしまいました。

 庶民のための裁き、これは人が定めた「戒め」が根拠です。人が作った宗教と同じく怒りを持つのが普通です。人が処罰権を持つととんでもないことになる歴史的事実がたくさんあります。法治国家内においては専門家にお任せするが最善だと思います。

 このような当たりまえのことが形骸化される、とても怖いことです。

 「仏の戒め」と「人の定めし戒め」それはそれは深いものだと思います。

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