献立日報

二人の息子は自立して家を出て、子育て終了感満載な私。
食事を作る気が失せてしまいました。

2199

2015-01-03 15:08:57 | エッセイ
「2199年地球は滅亡の危機に瀕していた」

まだ幼かった私は ノストラダムスの大予言の番組に恐怖で震えていた。
1999年に地球は滅びると 小学校低学年の教室ではまことしやかにささやかれている
その頃に兄が観ていた「宇宙戦艦ヤマト」
地球が滅亡する とか 攻撃されるとか 怖くてたまらなかった
その「宇宙戦艦ヤマト」が大流行となり テレビに登場してくる回数も増えていったのと 私が少し大きくなったこともあって怖さはなくなっていった

小学校では昼休みに流されるお昼の放送にヤマトのBGMが流れ職員室で問題になり(テレビ主題歌は小学校の放送ではかからなかった)
中学の体育祭の看板は大きくヤマトが描かれ(翌年は999だった)
クラスで義務的に書かされていた班ノート(クラスの班ごとの交換日記のようなもの)はページを埋めるためにテレサやメーテルがこぞって描かれていた

下校途中に友達とふざけながらの寸劇
「守・・・15秒数えるんだよ~いち、にい、・・・愛しているわ」
よそのお宅の石垣にランドセルごともたれておしゃべりしていた背中の感触

ホームルーム前の全校掃除の時間 それが終わってホームルームが始まるまでの教室でのおしゃべり
「映画では雪のまつげはたくさんあるのに テレビのは3本しかまつげがないよね」
「テレサが服着てたよね」
埃っぽい教室の床
廊下から入ってくる西日
担任が入ってきて慌てて降りる 教壇の段差

月日が流れ 思い出す事もなかったのに
リメイクされた「宇宙戦艦ヤマト2199」を観て昔の記憶が噴出してくる

今日 主人と二人で「星巡る方舟」を観に行った
お正月の映画館は 40~50代の男の人か 私たちのような熟年の夫婦ばかり
子連れはたった一組だった

そういえば 前回本編の映画に行くときは映画館で食べるポップコーンにつられて次男がついてきたが
今年中学に上がる彼はもうポップコーンにはつられなくて ついて来なくなってしまった

映画館も昔とは違う
子供の頃は 席を取るのが一苦労で ひとつ前のエンディングの頃から会場に入って 席を取っていた
一番最初に観たのは 「ヤマトフェスティバル」という名前で 「海のトリトン」と「宇宙戦艦ヤマト」と「さらば宇宙戦艦ヤマト」の3本立てだった
今や全席指定で お尻が痛かった昔とは 雲泥の差だ
おばさんになった私は
「病人にお茶を入れさせたらイカン」
「飲んだらカップは洗って帰らないとね」という感想を主人に言いつつ そういえば昔の映画館はもう無くなっている事に気づく
いつもヤマトの映画は センター街のジュンク堂のある建物の上の方にあった・・・
今日行った映画館は 震災後にできた国際会館だ
もう 街が大きく変わってしまって それと同時に昔の街の風景を忘れてしまっていた

ずっと神戸に住んでいる
現実に壊滅しかかった街を見た

昔のヤマトのコスモクリーナーは放射能を除去する装置だったが コスモリバースはどこまで昔の記憶をたよりに再生するのだろう








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