献立日報

二人の息子は自立して家を出て、子育て終了感満載な私。
食事を作る気が失せてしまいました。

7月31日

2015-07-31 20:25:18 | 高脂血症献立
鶏肉のガーリックソテー ゴーヤの金平 もずく



押し麦入りご飯

鶏肉のガーリックソテー
鶏肉(一人120g)は塩をふってしばらく置いておく
オリーブオイルをフライパンに熱し にんにくのスライスを入れ香りが出たところで鶏肉を皮から入れてソテーする 
ひっくり返し 蓋をして中まで十分に火を通す
エリンギと玉ねぎとホールトマト缶でトマトソースを作る
コンソメ・みりん・白ワイン
暑い日はガーリックの効いた肉のソテーが食べたくなってくる

ゴーヤの金平
ゴーヤは中の綿をスプーンで取り除き 薄切りにして塩をしてしんなりさせた上に熱湯にくぐらせる
水けをきったゴーヤをごま油で炒めて 砂糖・酒・醤油で金平にする
ぶち君は絶賛し とらじまの分まで食べてしまった
ほどよい苦みが疲れた体にちょうどいいのだろう

もずくの酢の物

ベーコンと玉ねぎのコンソメスープ

今日はまだら君もぶち君も 話題が満載だったらしく
大賑わいの食卓だった
エアコンをつけて快適だったせいもあるのだが
ぶち君は部活の試合で三塁打を打ったことを説明しながら まだら君は友達が試験に遅刻してきた話をしながら
二人とも食がすすんだ
このところ 間食をしたり 水分を摂りすぎたりでなんとなく食がすすまない様子だったが
今日は二人ともココロも身体も元気にご飯を食べれた感じがする




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あんかけ焼きそば

2015-07-30 20:28:44 | 高脂血症献立
鰯のソテー あんかけやきそば



白ご飯

鰯のソテー
このところ夕方のスーパーはいい魚が売っていない
鰯も先日のウナギのかば焼きのタレをつかって調理したいのだが きれいな鰯が見当たらない
仕方なく もう衣のついていた「お手軽フライパン調理」とラベルが貼ってあったのを買う
多めの油で炒め揚げするだけ 添えはレタスとトマト
鰯独特のくせがなくて 食べやすいけど物足りない

あんかけ焼きそば
麺とあんかけのスープの素がついているものを買って調理する
以前に普通の焼きそば麺をフライパンに押しつけるように焼き目をつけて 八宝菜の具をのせた事がある
そのイメージで買ったのだが 今回の麺は扱いやすいようにかなり油っぽかったので ちょっとしつこいお味となった
あんかけは豚肉100g・キャベツ・もやし・エリンギ
2食88円で買ったので文句は言えないが 今度は自分で合わせ調味料を作ろう・・

かぼちゃとうすあげのお味噌汁

このところぶち君が夕食をあまり食べない
部活から帰ってきた5時半ごろ ミニラーメンを食べているようだ
お菓子も結構食べている
家にお菓子を置いてはいけないとは思うが ないと勝手にわけのわからないものをお小遣いで買ってしまう・・
だから比較的コレステロールの低そうな「柿の種」だとか「ハーベスト」だとか「あんぱん」だとかを置いているのだが
それでは足りなくてお昼ごはんがちょっと足りない時に使うミニラーメンに手を出したようだ
だから夕食は何だかお腹いっぱいの気分で クレームが多い
これからミニラーメンの代わりにそうめんを置いておこう
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7月29日

2015-07-29 19:56:21 | 高脂血症献立
酢豚 ゴーヤとツナのサラダ 高野豆腐



押し麦入りご飯

酢豚
豚の塊400g 酒と醤油につけて片栗粉をまぶして揚げる
パプリカ・ピーマン・人参・椎茸・玉ねぎ
炒めてから豚肉を加え合わせ調味料を入れる
酢・砂糖・醤油・水・らっきょうの汁
イマイチだったのでケチャップをかなり大量に加える

ゴーヤとツナのサラダ
ゴーヤのスライス(塩もみして熱湯にくぐらせる)にツナとオニオンスライスを加え コレステロールゼロのマヨネーズで和える

高野豆腐の煮物
出汁付きの高野豆腐を煮るだけのもの

ねぎとわかめの中華スープ

今日はすべてイマイチの仕上がり
暑いせいもあるのだが どれもこれも食べる気がしない
酢豚は野菜が多いとぶち君からクレーム
ゴーヤサラダもサラダにしては苦いとぶち君からクレーム
とらじまはサラダは美味しいと思ったが 酢豚はやっぱり思った味にならない
そして確かにパプリカと玉ねぎを入れすぎた
ああ、明日は何にしよう

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中華風冷ややっこ

2015-07-28 19:53:39 | 高脂血症献立
鮭のムニエル 生ハム入りグリーンサラダ 中華風冷ややっこ ミネストローネ



白ご飯

鮭のムニエル
ムニエルが食べたかった 
鮭に塩をして水けをふき取り 小麦粉をつけて焼く
添えはオニオンリングフライ

生ハムいりグリーンサラダ
頂き物の生ハムが4枚だけ残っていた
レタスときゅうりの上に一人一枚づつ乗せる

中華風冷ややっこ
100均で永谷園の「中華風冷ややっこ」が売っている時がある
なんてことない 中華風のたれが2袋入っているだけなのだが まだらくんはこれが大好きだ
冷ややっこにかけるだけ


ミネストローネ
玉ねぎ・ベーコン・にんにくのみじんぎりをオリーブオイルで炒め 大根・ブロッコリーの芯・人参・ジャガイモの角切りを加えてさらに炒める
トマト缶とコンソメスープを加えて野菜が十分に柔らかくなるまで煮る

今日は朝からのどが腫れている
というかのどの奥から耳の下 そして肩にかけて リンパ腺が腫れている感じだ
体温を測ってみると 右わきは37.1度 左わきが36.3度だった
仕事も早めに帰ってきて 夕食も手抜きとなった
もうちょっと元気だったら 鮭のムニエルにはコレステロールゼロのマヨネーズとらっきょうでタルタルソースを作っていたし
サラダにもせめてスライス玉ねぎくらいのせてただろう・・
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五社発7時26分の頃

2015-07-27 20:38:03 | 日記
「乗り鉄」の中学一年生の次男と久しぶりに神戸電鉄に乗る
地下鉄から湊川駅で乗り換える
湊川駅で志染行の電車にとりあえず乗る
乗った電車は一両にドアが二つしかない 次男の説明では「60年前の車両」との事
右側のドアの窓枠の形と左側のドアの窓枠の形が違う
右側は四隅が丸く 左側は四隅が四角い

随分昔 五社から長田まで通っていた
定期は湊川まで買っていて 帰りは急行の停まる湊川から帰ることが多かった
電車に揺られながら今は無い景色を思い出す

湊川のトンネルを超えてすぐ 夏になると右側の窓から子供用の解放プールのような情景が見えた
そして円柱形の小学校の校舎があった
今はもうない

長田に近づくと踏切の前の坂道と線路沿いの歩道が見える
ここを毎日歩いて 踏切の前で坂を上がり高校に通っていた
踏切を渡るのは別の高校の生徒たちだった
いつもここで同じ中学出身のお友達に手を振って 同じ高校に進学した幼馴染と坂を上がって通っていた

丸山の駅が近づくと海が遠くに見える
この海を見るのが大好きだった

鵯越の駅の前のお地蔵さん
日によって向きが変わると噂されたが あまり注意して見た事がない

菊水山の駅の下に下水処理場があって 夏場に扇風機車の満員電車の中でその匂いをかがざるをえなかったが今は下水処理場は閉鎖しているようだ
というより菊水山の駅の看板すら立っていない
電車通学し始めた頃は もの珍しさから菊水山の駅に停車する「鈴蘭台行き」か「西鈴蘭台行き」をわざわざ乗ってみたりしていた
そういえば小学校6年の遠足は菊水山登山で この駅で降りて 菊水山を超え 鈴蘭台まで行くコースだった
登山道は今もあるのだろうか?
電車が停車しなければ 登山道も閉鎖したのだろうか
しかし左手に大きなダムが出来ている
これは昔からあったのか、なぜか記憶にない

鈴蘭台まで線路沿いに川が流れていて その川をよく眺めていた
川沿いの草原にほったて小屋がありどうもその中で生活している人がいるみたいだったが さすがに今はない
そして鈴蘭台へ到着する

鈴蘭台で三田行へ乗り換える
三田行の左のドアに持たれて 同時に発車した三木・粟生方面の車両と近づくのを味わうのが好きだった
今日は残念ながら同時発車ではなかった
右手に見える鈴蘭台駅からコープまでの道は昔はかなり人通りが多かった記憶があるが 今はそうでもない
中学時代は鈴蘭台は大都会に思えて お小遣いを握りしめ小物屋さん「アルル」に友達と興奮して買い物に出かけたことを思い出す

北鈴蘭台はあまり降りた記憶もないのだが
結構友達が乗り込んでくる駅ではあった
セーラー服のリボンを小さくして結ぶのがその頃の流行りだった
もう制服も変わっているだろう

山の街の景色も随分変わっていた
ここに「ピーターパン」(だったと思う)という食パンの美味しいパン屋さんがあって 母からお使い物にするから途中下車して買ってこいと言われたことがある
右手に長屋づくりの平屋が並んでいたが 今はきれいな戸建が並んでいた
それを過ぎると自動車学校だ

箕谷はあまり変わってないような気がする
左手に広がる住宅街はかなり広くなっているハズなのだが 駅まわりの印象があまり変わらない

箕谷を越して谷上へと向かう
どうも経路がかなり変わったような気がする
北神急行が出来て谷上は大きな駅ビルになった
昔はもっと川沿いに線路があって 谷上の駅で停車すると川の流れの音がよく聞こえた
谷上行きの電車があって それに乗ってしまうと その何もない駅でかなり待たなくてはいけなかった
川のせせらぎと小さく聞こえる停車中の神戸電鉄のモーター音が心地よかった
駅の西側の山の上にある大きな病院へ向かう車をぼんやりと眺めていたりした

花山の駅近くの右側の街道沿いに 間隔が狭く高層の団地が2棟建っていた
どこかの社宅だと噂で聞いたが 北と南で平行に建っていたので 北側の棟は前の棟に阻まれて全く日差しが入らないだろうといつも気にしていた
いつの間にか無くなっている
駅から橋があって たもとにパン屋さんがあった その橋の向こうに斜行エレベーターがある
友達の家がその奥にあって 斜行エレベーターに2度ほど乗った事がある
遊園地のアトラクションに乗るみたいにワクワクしたが どうもワクワクしすぎたのか 未だに時折その斜行エレベーターに乗る夢をみる
夢の中の行先はなんだか不思議なマンションだったりするのだが 現実の行先はミニコープがあったような覚えがある

そこから大池まで街道を随分下に見ながら電車は進む
左側に見える街道沿いにラブホテルがあったがいつの間にか「エドモンズ大学寮」になって今は何になっていたのだろう
「元ラブホテルの寮ってイヤだ」なんて話を友人とした
その上に大池見山台があって 長い階段が目につく
そして大池の駅前には大きな池があった・・・が今はない

右手にちらちら家を見ながら少し途切れて「ろっこうとざんぐち」に着く
中学校の時はここで集合してどこかに飯盒炊爨に遠足に行った
あんまり家もなくポツンとした駅だった
急に駅の名前が「神鉄六甲」になって
「これでは阪急六甲をイメージしている人が見たらどう思うだろう」などと思った 
ここから川沿いに電車は走る

急に唐櫃台で住宅街が広がる
駅前では川が流れている
その上に今は「唐櫃の湯」が出来ている
小学校の時 「唐櫃」という地名からして昔の遺跡があるのではないかと担任の先生が力説していた
しかしどうも「唐櫃台」と聞くと五社よりちょっと南で有馬温泉行きの電車にも乗れるので「負けた」と思ってしまう

唐櫃台の住宅街を抜けて北へ走っていくとさらに寂しくなっていく
有馬口の駅は昔から乗り換えの観光客は多いが 周りは何もない駅だ
駅の近くの川にアヒルがたくさん泳いでいたのでそれを見るのが楽しみではあったが
電車の中で少しうとうとして有馬口ではっと目を覚ますと谷上なのか有馬口なのかとっさには判らなかった
駅を出たところはコンクリートの広い階段があって もっと昔 記憶が定かではない時代は ここから有野台行きのバスが出ていた

有馬口をでると急に電車は揺れる
人が乗っていないと つり革が車両の上にある荷物おきの金具にあたってカンカンと音がする
連結部分が大きくゆがむ
どんどん森林の中に入っていく感じがする
そして五社駅にようやく着くのだ

駅を降りると今は高速道路の橋桁が視界を遮る
昔は本当に山が迫って見えた
駅をでて踏切を渡り 山水の湧き出ている歩道を上がってバス停近くの自転車置き場に向かっていた

五社駅はどんどん後退している
昔は降りたら床が木でできていて遊びに来た友達に笑われたが
それでもその頃は駅には駅員さんがいて 小さな売店があった
今は無人駅だ

私が住んでいた有野台の住宅が販売されたとき「五社駅はすぐに複線化する」という話だったらしい
私の両親が家を買ってもう40年以上の月日が流れているが 未だに単線だ
駅の下にあった売店が撤去した時は「いよいよ複線化」といううわさでもちきりだったが 何もなく終わった
バス停まで上がっていく坂道の途中に美容院とカメラやさんがあったが それも今は廃墟と化している
でもその歩道に沿って植わっている桜の古木は今も美しい
山から湧き出る水の流れる溝には沢蟹がいる
自転車置き場はいつも置き場所に困るくらいたくさんの自転車が停められていたが今は少ない
「このバスは63系統有野台団地行きです」
アナウンスの声を今もくっきり思い出せるが 市バスも撤退してしまった
同じ経路を走るバスは今はないらしい

今日は母と岡場で待ち合わせをしていたので五社で降りずにそのまま電車に乗っていく
五社を過ぎるとすぐトンネルだ
「トンネルを過ぎると雪国であった」
と岡場で降りる友達をからかった
以前は岡場は田舎だったのだ
悪名高い「近藤病院」を横目に見ながら岡場の駅に着いていたのだが 今はダイエーに専門店街に・・駅の下にもスーパーがあって地下鉄沿線と変わらない

3年間 五社駅発7時26分の準急の電車に乗って学校に通っていた
結婚するまで神戸電鉄にはお世話になったのだが やはり高校時代の通学の風景が目に焼き付いている
乗り鉄の次男がユーチューブで昔の映像を探してくれるのだが 私が通っていた頃よりは新しかったような気がする

年齢のせいなのか 戻れない頃の風景が苦しい程愛しく感じる


帰りは次男の提案で五社駅から新開地まで出て 山陽に乗り 板宿で地下鉄に乗り換えるというややこしい経路で帰ることとなった・・

新開地も高速そばが改札口に向かって左手にあったのに右手に移動していた
「コトブキ」があって喫茶店があったが その位置がトイレになっていた
北神急行が出来てから本当に新開地で乗り換えることがなかったので あまりの変化(?)に少しびっくり

岡場駅以北は高校時代もあまり行くことがなかったが
神戸電鉄の三田線で激変しているのは岡場~三田までだろう

岡場の次は田尾寺
中学の卒業式をま近に控えた頃 風邪で寝込んでいたら ラジオで田尾寺駅の火事のニュースを聞いた
「田尾寺駅が田んぼのあぜ火が燃えうつり 木造で無人駅の為 全焼」
高熱で唸りながらも 学校に行ってみんなに知らせたらさぞかしウケるだろうなどと考えていた

それから二郎・道場南口・道場河原・横山・三田本町・三田と続く

高校で「神鉄三田線の駅は全部覚えている」と言ったらクラスメイトにかなり驚かれた
毎日湊川から五社まで通っているのだもの 覚えて当然だ
高校は鈴蘭台近辺から通っている生徒が多く 私の家の近くは「イノシシがでるん?」と真顔で聞かれた
担任の先生からも「毎日が遠足や」とからかわれ
トイレは水洗かなどと聞かれる始末だった

私が結婚した年に岡場の専門店街とダイエーがオープンしたので便利になった北神地区には住んでいない
やっぱり今でも「五社から通っている」と言えばからかわれてしまうのだろうか

何だかいろんなことを思い出した一日となった

 














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