セントの映画・小演劇 150本

観賞数 2024年 映画 73本、 演劇 45本

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007/日)(若松孝二) 85点

2008-03-26 16:04:39 | 映画遍歴
この映画は題名のとおり実録ものです。かなりの書物、書簡からこの映画を構築したと思われる。でも、その時代を生きていた僕でさえ膨大な状況から彼らの行動を理解していたわけではないので、この映画は当時の新左翼という一つの一面ではあれ、まさに整理(総括)されたものになっている。

まず、学生たちの政治闘争を時代を据えて文字で語ってくれるのは分かりやすくて感心した。あれだけ彼らが闘争し、悩んでいた革命ごっこが10分程度のテロップであっさり説明されると何か悲しいものもあるが、それはそれでまがうことのない真実なのであろう。

テロップの後はいよいよかれらの政治的アジトでの何故こういうことになっていくのか分からない(僕たちも彼らも)総括シーンの連続である。やはりこれが僕たちが一番知りたがっていることである。なぜ彼らは総括という名の粛清を受け、又は命令していったのだろうか、、。

映画では、事実を淡々と表記していく。この描写は当時の新聞記事のほうがむしろ怖かったような気がする。あの、埋められた後を示す白い体の線が今でも目に焼きついている。理不尽な死。閉塞的な環境、思想に追い込まれていくと、人間は身内に敵を見ることになるのだろうか、、。敵が何者なのかさえ分からなくなるのだろうか、。

だから、あさま山荘での銃撃戦までをずっと実録していた若松孝二も、最後で16歳の少年に敢えて「こうなったのもみんなに勇気がなかったからだ」と情緒的に言わせる。ここで初めて、実録から達観した若松の感情がほとばしる。

僕はここでは初めてほっとしたような、あるいは彼らの悲しみを共有したような一筋の涙をはらりと流してしまったが、彼らが初めて人間に戻ったこのシーンはこの映画の重要なハイライトシーンであろうが、おそらくフィクションなのであろう。

ラスト、森の遺言書に彼も「勇気がなかった」と言ってはいたが、それは少年の勇気とは違うものではなかったかと思う。

当時の活動家すべてが世界共産主義同時革命を考えていたわけではないだろうが、ノンポリ、通常の若者、誰もがすぐ彼らの世界に入り込むことが出来たというのも事実なのだ。それを人は時代だというのかもしれないが、一体全体当時は何だったのだろうか、、。40年近くたってもまだ当時の彼らの真実の行動、感性、思想は解明されていないのではあるまいか。

映画としてはそれぞれ本名が出されて爽快でした。気持ちいいです。俳優もそれぞれ風貌の似た人が起用されリアリティを感じました。

ちなみに一番風貌が似ていないARATA演ずる坂口弘は現在刑務所に服役しており、数年前まではよく新聞の短歌欄でその心情を窺い知ることができました。やはり当たり前ですが、一時代が終わった気がします。

映画は本当に若松孝二が真剣に取り組んだ力作です。観客席は満員を越えて通路にも人が溢れ、3時間強その時代を強くみんなで感じ取りました。観客一同、共有時間を持ちました。

団塊の世界が実社会を去るこの時にこの映画が出現したことの意味は大きいと思います。実際活動をしていたのは団塊の世代の一握りとは言え、彼らも社会に適合するために、また社会でビジネスマンとして闘うために、ある意味転向のような強い意識を持った後、まさに今まで敵だった世界に強姦されてゆくのである。

若松孝二は終始強姦されずに一人闘って来た人である。その彼でさえ、後世のために当時の状況を実録という形で記す必要があったのだ。それは日本赤軍の北朝鮮での秘密のヴェールが剥がれたこと。世界同時革命の美も伴う象徴であった重信房子の逮捕、それに続く同じく彼女への失望感、その他もろもろの活動家の老いもこの映画を作る動機づけになったことだろう。

今でこそ記録として残すべき時だったのだ。それは当時を現代から眺めるために必要であっただろうし、何よりも彼個人として生きて来たことへの印を刻む最良の手段であったことだろう。それは私ごとき一市民にもいつかは当時を記す(総括する)必要があることを呼び起こさせることにもなった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マイ・ブルーベリー・ナイツ ... | トップ | 映画日記(3/24~3/25) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画遍歴」カテゴリの最新記事