Sightsong

自縄自縛日記

PENTAX M28mm/f2.0 で撮る山西省太原

2007-09-10 23:48:59 | 中国・台湾

日本貿易保険の「e-nexi」と、貿易保険機構の機関紙『貿易保険』(2007/9)に、「CDMとしての排出権取引の海外における現状と日本企業への示唆」を掲載した。読者の対象を狭めた書き方ではあるが(こういう類の媒体なので)、排出権に興味のある方はご一読を。業界用語の羅列なのでつまらないかも知れないが。

e-nexi

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山西省にはPentax K2DMDに、M28mm/f2.0を付けて行った。白黒は後日プリントするが、これは面倒くさいのでカラーネガ(Fuji Venus 400)、同時プリント

●純陽宮(道教の寺院)

●表も裏も総とりかえ感

●北京798芸術区(おまけ、これだけEspio Mini)

いや、撮ってくれと言われたので・・・。


中国で粘膜をやられた、CDM、『悪霊島』

2007-09-09 22:51:49 | 中国・台湾

中国の空気は、山西省に入ると極端に悪くなった。石炭が採れるため、製鉄工場や石炭火力発電所が多く、大気汚染の一因となっている。また乾燥していることも、それに拍車をかけている。実際に、水不足は恒常的であり、市民は風呂にもあまり頻繁に入れないらしい。郊外もそうだったが、省都の太原(タイユワン)でも、ちょっと散歩して戻ると靴は真白になっていた。

それで、鼻、眼、喉の順で粘膜をやられた。もう体調は最悪で風邪っぽい。明日病院に行こう。


山西省の道 昼間であり天気が悪いわけでもないのに向こうが煙っている

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WWFジャパンのお誘いで、「環境・持続社会」研究センター(JACSES)主催のセミナー「クリーン開発メカニズム(CDM)質の向上のための課題」(2007/9/25)で話をすることになった。こういった講演自体は年に何回か引き受けているが、ほとんどは企業対象の「セミナー会社」主催のものか、特定の産業界主催のものだったりするので、環境NGOの主催は珍しい。

といっても、対象はやはり途上国でCDM事業(温室効果ガスを削減するための事業)を行うことに関与する企業の方だと思うが、排出権の良し悪しに興味を持っている方も参加して面白いものだと思う。 →プログラム

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横溝正史『悪霊島』を気分転換に読んだが、暗いしそれはないだろうという話なので、気分転換にはならなかった。これは初めて読んだが、中高生のころ横溝正史の諸作品は好きだったのだ。

映画も、運良く放映したのを観た。市川崑ではなく、篠田正浩が監督を務めている。そして妻の岩下志麻を最重要人物として登場させている。金田一耕助に鹿賀丈史。昔、映画のTVコマーシャルで「鵺の啼く夜は恐ろしい・・・ギャー」といっていたことを覚えている。

改めて感じたこと。横溝正史による、地方の封建的な家やどろどろと繋がりあった血縁を描くには、ゆっくり頭のなかで登場人物の関係性を整理しきれない、しかも2時間程度の映画では難しいのだろうということだ。逆に、いつもの市川崑のモダンでセンス溢れる作品は凄いのだということも。


北京的芸術覗見(3)

2007-09-09 00:59:02 | 中国・台湾

北京798芸術区の続き 「罐子書屋」という書店の入口付近では、孫紅賓(サン・ホンビン)の写真展「夜・山水」を展示していた。あえてブレボケを多用した方法によって、ゆらぎや瞬きの顕在化が試みられていた。

 

オーソドックスな彫刻もあった。「任哲彫塑工作室」では、任哲(レン・ツェ)による昔日の武人の彫刻が並んでいた。格好いいもののそれだけ、若いオタクの作品にしか見えなかった。パッと観に格好いい作品といえば、「鯉設計工作室」に展示された抽象画もあった。

親しみを覚えた、可愛い作品が、「海峰芸術空間」に展示された、老孟(ラオ・メン)作品展。中に入ると若い女性が自分かなと思えるような女の子の絵を描いていた。あの女性が老孟なのだろうか。ちょっとブームになってもいい感じだ。

写真ギャラリーは芸術区には少ないというが、「798 Photo Gallery」と同じくらい面白かったのが、「Paris-Beijing Photo Gallery」における「群展」。4人のグループ展であり、特に亜牛(アニウ)ルー・シャンニによる作品が印象深かった。

亜牛は「Times of Fantasy」シリーズの写真で、暗く澱んだ人々の姿を示している。展示では、人それぞれの中には窺い知れない闇があるとの考えが書かれていた。コミュニケーションに対する絶望が巧みに作品に昇華されているようだ。またルー・シャンニは、中国の苗族の男達を極めて美しい銀塩プリントに仕上げている。


亜牛「Times of Fantasy」、ルー・シャンニ「Black Miaos」

映像作品もあった。張連喜(ツァン・リャンシ)による「東郭先生的”困惑”」(Long March Independent Space)では、小さい部屋のなかで、土の上を這いずり回る様々な小さい虫の映像を延々と流していた。東郭先生とは、中国の故事に出てくる、狼を助けながらも恩を仇で返されそうになる書生のことのようだが、この虫はいかに。

大掛かりなプロジェクトとしては、中国美術学院がチベットを訪れ、そこで住民から得た「絵に対する考え」のアンケート結果用紙を使ったインスタレーションや地図など、さまざまなものを寄せ集めた展示「Why Go to Tibet?」があった(Long March Space)。面白いが所詮は企画もの。


絵に対する考えの回答用紙と、それを使った寺院的インスタレーションなど

北京城にもあった「Red Gate Gallery」では、蒋巍涛(ジャン・ウェイタオ)のテキスタイルのようなピカピカの油絵の展示をやっていた。あまり好きなものではなかった。

ここまでで時間切れ、タクシーの乗車拒否に遭いつつも4台目で何とかつかまえ、北京空港に戻った。数時間ではとてもまわり切れない。また、カフェがいくつもあり、画廊は大抵無料なので、一日中居ても快適に刺激的な時間が過ごせるだろうと思った。北京市内からでもタクシーでアクセスできるので、次にチャンスがあればまた訪れたいと考えている。


北京的芸術覗見(2)

2007-09-08 19:49:40 | 中国・台湾

太原から北京への中国東方航空の便が、前日に突然キャンセルになった。実は往路もそうだった。北京空港がパンク寸前ということが理由だそうだ。それにしても無計画・不親切、きっとオリンピックでもいろいろ騒動があるに違いない。

何とか早朝便で北京入りしたので、成田行きの出発まで時間ができた。それで、空港と北京中心部との中間あたりにある、「北京798芸術区」に行ってきた。もともと東独(当時)の支援で造られた798番目の国営工場跡だそうで、今では非常に多くの画廊がある。

9時半ころ着いたが、早く開く画廊でも10時からだ。カフェは早めに開いているので、芸術書の専門店を併設した「Time Zone 8」でエスプレッソ(18人民元)を飲んで休んだ。

まず「中方角画廊」で、馮効草(フェン・ジンカオ)の作品群を観る。染みのなかに潜む着物のような模様のなかに、さらに何かがある。模様だったり、昔日の人々だったり。アイデアは面白いものの、それ以上の魅力はあまり感じられなかった。

芸術区で最も大きい「798 Space」では、徐勇(シュー・ヨン)が、舒陽(シュ・ヤン)が、解決方案」と題した写真と文章の展示を行っていた。ここで主役を張る女性、ユウ・ナは実際に身体を売っていたとのことで、芸術作品への登場というアイデンティティ転換に伴い、生計も身体の代わりに作品を売ることで立てていく、これが「解決方案」だそうだ。真偽はよくわからないしパフォーマンスとして観るべきなのだろうが、面白かった。中国語の文章が読めればもっとよかった。

「798 Space」斜向かいの「798 Photo Gallery」も大きな空間を利用した場所だ。

1階のメインスペースでは、梁衛洲(リョウ・ウェイツォウ)の写真群「Scenery」を展示していた。象牙色を基調として静物をとりまく空間(室内)を多く取った写真だ。瓶などを撮った作品はモランディのような静謐さを持っているが、静物は穴だったり電球だったりもして、生活感も溢れる面白さ。写真はすべてデジタルプリントだった。1962年上海生まれらしい。

2階のロフトのようなスペースでは、ロバート・ファン・デア・ヒルスト(Robert van der Hilst)による「Chinese Interior」という作品群が数点。この写真家は、福岡、キューバ、上海、メキシコなどでも撮影している(→リンク)。闇の中の人物や家具は魅力的だが、クリアに過ぎて、オリエンタリズム的な視点を感じさせるのは穿ちすぎか。

最も「ああ良い」と思ったのが、胡同(フートン)の壁をパノラマ的な横長写真に収めた、王子(ワン・ツィー)のシリーズだ。写真家の海原修平は上海をおさめるために視界の広さが必要としてパノラマカメラを使っているが、それとは別の視点。失われつつある北京の横丁をこのような形にすることは素晴らしいと思った。


北京的芸術覗見(1)

2007-09-07 23:49:34 | 中国・台湾

北京中心部には、明清代の北京城に造られた角楼がひとつ残っている。四つのうち南東部にあったので、「北京城東南角楼」と称されている。この中は、「Red Gate Gallery」という画廊になっていた。

主に展示されていたのは、王利豊(ワン・リーフェン)の「大明系列(The Great Ming Dinasty)」シリーズだった。この人は1962年内蒙古生まれで、明王朝に限らずこれまでに唐、清、宋などの王朝に触発された作品群を公表しているようだ。

この「大明系列」では、平面的な作品と立体的な作品とがあった。平面的なものは、キャンバスに椅子や寝台などを顔料で描きつつ、さらに金箔や絹布や書が貼り付けてある。平面的でありながら、呪いのような力が奥行きを生み出しているように感じた。そして立体的な作品はパワフルである。ふたつ作品があり、赤と金の椅子と、金の椅子。それらが匂いそうなつや消しの暗闇から盛り上がっている。解説書によると、黒は墨を混ぜ合わせ、それからなんと丁子(香辛料のクローブ)を砕いて、中国の伝統的な顔料に混ぜているらしい。その、可塑的な顔料の彫刻のような作品である。私はこういうのに弱い。


購入したカタログ(50人民元) 本物は5,000ドル~40,000ドルの値がついている

角楼の階段をのぼっていくと、他のアーティストの作品もある。鄭学武(ツェン・セーウ)の模式的な波の形態、周吉栄(ツォウ・ジロン)のゲルハルト・リヒターを思わせる勢いのあるマチエール、朱偉(ツゥ・ウェイ)のユニークな人形「China, China」が面白かった。


鄭学武(ツェン・セーウ)「The East No. 4」


周吉栄(ツォウ・ジロン)「Mirage No. 47」


朱偉(ツゥ・ウェイ)「China, China」


白酒文化

2007-09-06 23:51:33 | 中国・台湾

山西省に行ってきた。北京を取り囲むように西に位置するのが河北省、その西が山西省である。 ほとんど昼夜と、仕事の一環としての宴会だったので、毎回、この白酒が出てきた。だいたい50度くらいある強い蒸留酒で、主にコーリャンから作られている。最近では、飲みやすさのため(笑)、38度のものもあるようだ。

普通は、小さいお猪口で一気に飲む。強く、風味に癖があって、一杯でもかなり「来る」のに、飲むときはとても一杯では終わらない。 これまでの体験と聞きかじりでは、

○中国の北側で飲まれている
○相手に飲むことを要求する
○場合によっては、相手をつぶすための勝負となる
○さらに場合によっては、相手をつぶすための「飲み要員」が参加する

以前訪れた河北省では、前から攻められるだけではなく、いつの間にか背後に乾杯を求める人が立っていて、三杯の一気飲みを要求するやり方だった。これで、日本に帰れないのではないかという程の思い出したくない結果となった。

今回は仕事(本番)もあるので用心して、なるべく飲まないで乗り切った。「三杯一気飲み」はどこでも見られなかったが、これが地域差なのかどうかはわからない。ところで、スッポンを食べた店では、スッポンの血(赤)と胆汁(鮮やかな緑)をこれに溶いて飲んだ。何か効果があっただろうか。

北京ではこの習慣が廃れ、より「スマート」なワインにシフトしているらしい。そのうち周辺の省でも無くなる習慣かもしれないな、と言う人もいた。実は貴重な体験をしているのかもしれない。しかし、実際に亡くなる方もいるそうなので、中華料理屋や中国での宴会に参加するときには用心したほうがよいのだ。


白酒!


山西省の名物、刀削麺。好きなタレをかけて食べる。コーリャンが入った褐色のものもあった。


北京再訪

2007-09-03 08:23:45 | 中国・台湾

都合で北京に一泊した。 あまり時間がないので、昼下がりの胡同(フートン)をうろうろした。昔からの北京の細い路地だ。子供たちが遊んでいたり、お年寄りが四方山話をしていたり。ただ、あちこちで取り壊しが見られたので、いずれ、再開発の波に押し寄せられるのかなと感じた。写真はいずれプリントしたら。

疲れ果てて、同行者と、上海料理の「石庫門酒家」へ行く。帰り道に王府井(ワンフーチン)横の屋台、「東華門美食房」を眺める。その場で焼いたり揚げたりする串に、ひとで、百足、蠍、蝉、ザリガニなどが刺さっている。おそるべき食への貪欲さ。


「石庫門酒家」のがちょうと魚の冷菜、蟹炒飯、海老餃子


「東華門美食房」のひとで、ザリガニ、蝉、蠍とバッタ

ホテルの浴室には「浴槽は大滑りやすいのでおつけてください」の文字が。 朝はホテルの食事を避けて近所を探す。包子と、豆腐に甘辛いタレと香菜(シャンツァイ)がかけられた椀。男2人で15元(250円くらい)は安い。


北京の朝飯 包子、豆腐


北京空港「空港茶楼」の麺と茶


『山の郵便配達』 あの山あの人あの犬

2007-09-01 22:10:15 | 中国・台湾

随分前に岩波ホールで上映されて話題になっていた『山の郵便配達』。原題は『那山 那人 那狗 Postmen in the mountains』、「那」はあの、とでもいった意味のようだ。だから、『あの山あの人あの犬』。こちらのほうが、小説と映画の叙情性をイメージしやすくて良い気がする。

小説は彭見明(ポン・ヂエンミン)という作家によるもので、作品の舞台と同じ湖南省の出身らしい。文庫本で30頁程度の短編である。だから、霍建起(フォ・ジェンチィ)による映画は、エピソードを付け加えているものの、老いた郵便配達人が息子に仕事を引き継ぐ際に3日間かかる配達路に同行していろいろと教えていく、という大筋は同じだ。

彭見明の小説は初めて読んだが、登場人物の内省とともに出来事を綴っていくのがとても巧い。内省は、その時のかみしめるような考えであったり、思い出だったり。それから、自然のなかに居る人々の描写も眼前に浮かぶようだ。

山あいの田園のなかを走っていく犬のさま。

「行け」
 一筋の茶色の矢が、緑の夢の中へと放たれていった。

小説であればJ.G.バラードの『結晶世界』において、結晶化した自然を舐めるように見ていったときに現れる生きた黒人の描写を思い出した。

霍建起の映画のほうでは、その巧みさを、自然そのものを見せることで実現している。踏み固められた土の道、濡れた石、点在する家々の土壁や瓦屋根、棚田。やはり東アジアの自然、人間が長年住んでいることで作り上げられたものだ。高畑勲の映画『おもひでぽろぽろ』に、なぜ生まれ育ったわけでもない田舎の自然が懐かしいのだろう、と疑問に思う主人公に、仲のよい男が、これを理由として説明している。私も、映画での湖南省の生活風景に魅せられた。

小説には、他にも良い短編が収められている。こちらまで内省的になってしまいそうな感じだ。

とくに湖のそばの永遠に思われるほど広く奥深い草原で、仲の良い義姉と妹との少しあやしい気持ちを描いた『沢南』も秀逸だ。ちょっと映画『紅いコーリャン』(張藝謀)で、コン・リーがコーリャン畑に倒れこむシーンなんかを思い出した。