Sightsong

自縄自縛日記

岡村幸宣『非核芸術案内』

2015-06-19 00:25:59 | アート・映画

岡村幸宣『非核芸術案内 核はどう描かれてきたか』(岩波ブックレット、2013年)を読む。

広島での原爆投下直後、丸木夫妻はその惨状を描いた。それが30年以上続き、連作「原爆の図」となった。このことは、著者の岡村さんの話を聴いたばかりである。同時期に原爆被害の実情を描いたのは丸木夫妻だけではなかったが、そのなかで丸木夫妻の作品をすぐれたものにしていた特徴は「人間の存在」を中心に描いたことであったという。

実体験をもとにした芸術家たちには、この悲惨な事件をとにかく可視化しなければならないという衝動やエネルギーがあった。さまざまな表現があった。中沢啓二は骨太な絵で『はだしのゲン』を描き、戦争犯罪や体制にすり寄る者たちへの怒りをかつてない形で示した。のちに『ウルトラマン』で有名になる高山良策は、復興が被害を覆い隠していく姿を見出した。

原爆直後だけではない。丸木位里の母・丸木スマは、被爆後に70歳を超えてはじめて絵筆をとり絵を書き始めたし、位里の妹・大道あやは、21世紀になってはじめて原爆の絵を描いている。彼女たちを駆り立てたものがいかに苛烈な体験であったかということだ。

また芸術家にとっての駆動力は一次体験だけではなかった。Chim↑Pomは、広島の空に飛行機雲で「ピカッ」というカタカナを描き(『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』)、あえて騒動を巻き起こした。この芸術家集団に、「3・11」がどれだけの衝撃を与え、あらたな創作を行わしめたのか、それはあとでわかる。岡本太郎の壁画「明日の神話」にイタズラをするような形で事故を描き、さらには福島に入り、放射能マークの旗を日の丸のように掲げる様子を映像に撮る(わたしはこの映像を、ブルックリンのMOMA PS1で開催された「ゼロ・トレランス」展で観た)。この一見軽薄な活動が何を企てているのか。著者は、「等身大の日常と核との距離を鮮やかに縮めていく手法」だと書いている。なるほど、気になってしかたがない理由を説明してくれているように思える。

本書では、壷井明による「無主物」シリーズについても言及している。壷井さんの作品は、現在Nuisance Galerieで展示してあり、そこでも本書を販売しているようだ。会期中にぜひ足を運んでほしい。

●参照(本書で言及)
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2 (2015/6/13、僧侶・大來尚順さんとの対談)
『魯迅』、丸木位里・丸木俊二人展
過剰が嬉しい 『けとばし山のおてんば画家 大道あや展』
『はだしのゲン』を見比べる
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(Chim↑Pom)
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(Chim↑Pom)
岡本太郎「明日の神話」
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
纐纈あや『祝の島』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』


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