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自縄自縛日記

「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie その2

2015-06-14 08:03:23 | アート・映画

先週(丸木美術館・岡村幸宣さんと壷井明さんの対談)に続き、Nuisance Galerieにおける「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」での対談。今回は、大來尚順さん(浄土真宗本願寺派僧侶)が登場した。大來さんは、英語で平易に仏教を説いた『英語でブッダ』という著書も出したユニークな方である。山口市(旧・徳地町)のお寺のご出身。

今回の大來さんの発言は、たとえば以下のようなもの。なお対談のなかには、震災後の福島におけるナマの具体的な情報がとても多く、それらは、ここには書かない。

○現地の実態は、オモテに出てきている話よりも遥かに過酷である。
○震災を「前世の報い」だと言った住職がいたが、そうではない。仏教は「過去の業」を気にしないものであり、「カルマ」(業)とは、現在生きる私たちの行動にのみ結びついている。被災者たちに、罰を受ける因果があったのではない。私たち皆が起こした結果である。無関係に思える人たちも、それと知らずに因果関係に入っており、そのことを勉強せずに無自覚の状態に甘んじている(縁起思想)。それでは現在・これから何をするのか、ということが重要となる。そうしなければ同じ過ちをおかしてしまう。
○東京などではそうではないが、地方では、何かあったときに宗教家が頼りにされることが少なくない(「駆け込み寺」的)。教育にも、サマースクールや法話などの形で関わっている。そのときには、特定の教えを布教せずに仏教の考えを伝えるようにしている。
○全日本仏教会は、震災後、脱原発の宣言文を出した。宗教・宗派を超えて宗教家同士が寄り添う動きもある。また、「宗教臨床師」という資格も整備されている。
○仏教では、ブッダによる『法句経』(ダンマパダ)がすべてのオリジンである。
○(壷井さんたちの取材)震災により生まれ育った場所を離れざるを得なかった人たちが、何人も自殺している。このことを取材していたはずのNHK・ETV特集『住民帰還~福島・楢葉町 模索の日々』でも、触れられていなかった。また、東京新聞が特集した「震災関連死」でも、十分には捉えられていない。

特定の宗教を心に持たないわたしではあるが、現在の仏教のあり方や、宗派を超えて連携する宗教家というあり方には新鮮な驚きを覚えた。カルマや縁起思想は、「天罰」論への明快なひとつの反論になっている(高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』と同様に)。

「真実」と大上段に構えないとしても、実態の話に触れるためにも、ぜひこの場に足を運んでほしい。対談やイベントは今後も予定されている。また、その他の日でも、Nuisance Galerieはなんと夜の24時まで開いており、壷井明さんの作品をじっくりと観ることができる。

●6月20日 ライヴ『唄・息・人間』: 3C123(即興前衛楽団)、壷井明(録音データ使用)、安田哲
●6月27日 島明美『現地から見たFukushima ー現在(いま)ー』
●7月4日 栗原みえ『チェンマイ チェンライ ルアンパパーン』(8ミリ映画)上映
いずれも18:30から
https://www.facebook.com/events/1636706993211991/

●参照
「FUKUSHIMAと壷井明 無主物」@Nuisance Galerie(2015/6/6、丸木美術館・岡村幸宣さんとの対談)
三枝充悳『インド仏教思想史』
室謙二『非アメリカを生きる』
末木文美士『日本仏教の可能性』
仏になりたがる理由


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