練馬区美術館での刺激的な展示。たしかにマネは印象派の父のように呼ばれながら印象主義に属しているとはいえない。網膜への刺激は躍っておらず、どちらかといえば色彩がタブローにべったりと粘り付いている。ではなにがスキャンダラスだったのか。展覧会に明確な答えは用意されていない。
ミシェル・フーコーが『マネの絵画』で展開した言説を思い出す。すなわち、キャンバスというタブローの存在が、観る者を向こう側の世界に連れ込む前提に疑いをもたらしたこと。絵画が、一方的な世界の供与という権力装置から、絵画を観るあなたは何者かと問いかけ、観る者もそれに応えざるを得ない装置へと転じたこと。それならば向こう側の幻視を遮るマネのありようも納得できそうなものだ。
展覧会ではマネの日本での受容についても模索している。ここで竹橋の近代美術館でなんども観た、石井柏亭《草上の小憩》が出てきて吃驚した。なるほど、自然主義的にすべてが静物のように扱われている。マネはそのような文脈でも受容されてきた(はじめに日本に紹介したのは森鷗外だった)。
タイミングよく、ファッション・音楽ライターの竹村洋子さんと落ち合ってしばらくおしゃべり。大根葉が練り込まれた練馬サブレをいただいた。