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自縄自縛日記

佐藤仁『「持たざる国」の資源論』

2013-06-21 22:53:27 | 環境・自然

佐藤仁『「持たざる国」の資源論 持続可能な国土をめぐるもう一つの知』(東京大学出版会、2011年)を読む。

 

「資源」とは何か。日本では、昔も今も、「原材料」や「食料」や「燃料」といった「物的資源」に限定した言説が大多数を占めているのではないか。アジア侵略期、大東亜共栄圏や欧米列強からの解放といった物語を剥ぎ取ったあとに視える「実」は、インドネシアなど「南方」の資源(金属、ゴム、石油など)でもあった。戦後日本の歴史も、石油ショック、炭鉱の閉山、食糧自給率の低下、尖閣諸島問題の先鋭化、シェール革命など、絶えざる「物的資源」の調達をめぐるたたかいであったように見える。

しかしそれは、唯一のあり得た歴史ではなかった。仮にそれが結果的に主流であったとしても、そのパスを変えうるヴィジョンを持つ言説は存在した。いまでも、過去のオルタナティブから学ぶべきことはあるはずだ。それが、本書のメッセージである。

資源はモノ別に独立して存在しているのではない(鉱山と水源など)。物的資源と人間との相互関係、人的資源、共有すべきもの(コモンズ)、知といった視点を含めなければ、私たちは既存の地政学の呪縛からも、可視化しないことを前提とした陰謀論からも、逃れることはできないのである。重要なことは、「あり得た世界」を同時に持っておくこと、常にオルタナティブを抱え込み、絶えず出し入れを試みることだ(ドゥルーズの「逃走線」も想起してしまう)。

本書には、そのような意味で、多くのヒントが散りばめられている。 

○戦前、物的資源の不足が為政者たちの意識の中心を占め、そのために、過剰な精神論が発達したのかもしれない。
○米国のニューディール政策、就中、TVA(テネシー渓谷開発公社)は、戦後の経済復興を希求する日本に大きな影響を与えた。その特徴は、大規模開発計画に、地域住民の福祉と草の根的な民主主義を埋め込んだことにあった。しかし、日本において力を持ちえたのは、「草の根民主主義」というシンボルが、社会主義に対するオルタナティブになり得たからでもあった。そして、結果として、水資源に偏った止まらない公共事業という形となり、国家暴力の姿にも変貌してしまった。
○資源の断片化は、地域の軽視、全体として自然をとらえる視点の伏流化を産んでしまった。資源とは財ではなく、「可能性の束」である。
○1947年に独立的組織として設置された「資源委員会」は、大局的・部門横断的な性質を持ち、多くの傾聴すべき提言を示した。たとえば、「水質汚濁防止に関する勧告」(1949年)は、先駆的なものであった。しかし、鉱業界や既存省庁からの強い抵抗にあい、骨抜きにされてしまう。もしこれが政策として実現していれば、水俣病やイタイイタイ病などの公害も回避できたかもしれないものだった。すなわち、行政の不作為であった。
○「持たざる国」、すなわち、「領土狭隘、人口過剰、資源貧弱」といったキーワードで日本を特徴づける言説は、日露戦争頃にまでさかのぼることができる。もちろん、これが領土拡張を正当化し、のちの植民地政策につながっていく。
石橋湛山の戦前期の主張(「一切を棄つるの覚悟」、1921年)は、植民地を放棄し、その管理費用を節約した上で経済関係を結ぶほうがよいというものであり、極めて大胆かつ時代の空気と対立するものだった。パイの取り分を如何に増やすかに腐心し、威力でのみ国力を考えるのは、何も当時に限ったことではない。石橋の主張は現在でも力を持っている。

「例えば満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか、またたとえば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つを得ぬに至るからである。」

○個々の資源のみを経済的に判断した結果、戦後、多くのものが失われた。炭鉱は、短期的な濫掘と放棄によって、エネルギー資源としての可能性を喪失した。林業は経済的に成立しなくなり、公益的機能も軽視され、もはや公益的政策に戻ろうとしても担い手がいなくなっている。しかし、これらは、予測できた犠牲であり、常に傾聴すべき批判的言説は存在した。
○「違うあり方」の言説は、それが現実的かどうか、実現したかどうかで評価されるべきものではない。物的資源確保や市場経済最重視などの主流派の速度を落とし、再考を促すという点が重視されるべきものだ。単一の言説は危険なものである(たとえば、地球温暖化についても科学的な見方が分かれており、予防原則によって現在の政策が形成されているわけだが、残念ながら、どちらかを選べという踏絵的な言説が多く、その結果、くだらぬ陰謀論が力をもっている)。

袋小路からの脱出のために、過去の忘れさられた視点を再び可視化し、議論を喚起することができる本である。 ぜひご一読を薦めたい。

●参照
早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』(「南方」の資源獲得)
中野聡『東南アジア占領と日本人』(「南方」の資源獲得)
後藤乾一『近代日本と東南アジア』(「南方」の資源獲得)
寺尾忠能編『環境政策の形成過程』(ニューディール政策における「保全」概念)


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