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自縄自縛日記

松山巖『乱歩と東京』、鈴木博之『東京の地霊』、陣内秀信『東京の空間人類学』

2024-05-13 20:26:29 | 関東

久しぶりに気が向いて東京論を3冊。たまたま、すべてちくま学芸文庫。

松山巖『乱歩と東京』では、1920年代の東京が江戸川乱歩の世界にいかに密接に影響を与えていたかという分析。「家」制度の矛盾がみえてきた時代にあって、独身者こそ都市生活者の特質であり、明智小五郎もまたそうだった。性のありようも無縁ではなく、『D坂の殺人事件』における妻の姦通もSM趣味も20年代乱歩ならではのものだとする。

大正期には自己と社会の関係性を問いなおす動きがあった。たとえば武者小路実篤が宮崎に建設した「新しき村」もそのようなもので、これが経済的に失敗してゆくことと、乱歩の『パノラマ島奇談』とを関連付けて論じるくだりはおもしろい。(ところで「新しき村」は昭和に入って埼玉の毛呂山に移転する。何年か前に訪れてみたら十人の住民によるコミュニティが存続していた。)

鈴木博之『東京の地霊』を読んでへええと驚いたことは、上野公園の東叡山寛永寺について。これは江戸城鬼門の鎮護のために設けられたのだが、「江戸における延暦寺」として東の比叡山=東叡山、と名付けられた。上野の山からは下町が見渡せるから比叡山、山の下の不忍池は比叡山のふもとの琵琶湖。かつて下谷にあった下谷坂本町も比叡山のふもとに坂本という町があったからつくられたのだとか。

それから、貝塚爽平『東京の自然史』と並ぶ古典ともいうべき、陣内秀信『東京の空間人類学』を再読。ここで強調されるのは東京が「水の都」であるということ。水際にこそ都市空間を生きる人々の活力が漲っていた。その観点からは、日本橋も、冨岡八幡も、洲崎もまたちがってみえてくる。水運だけでない。橋のたもとは「無縁」の性格があって、見世物や小芝居の興行が行われていた。すなわち河原では商業活動と結びついて演劇空間も成立しており、悪所・非日常的な場でもあった。そして都市の拡大とともに、こういったアジール的空間が辺所に追い立てられていった。たとえば、根津の遊郭は東京帝国大学に近すぎて風紀上よろしくない、という理由で、洲崎の海辺に移されたという歴史がある。なるほど、映画『洲崎パラダイス』にはたしかに水際の雰囲気があった。


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