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自縄自縛日記

山本義隆『近代日本一五〇年 ― 科学技術総力戦体制の破綻』

2018-03-25 10:06:03 | 政治

山本義隆『近代日本一五〇年 ― 科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018年)を読む。

本書では近代日本のはじまりを明治元年(1968年)に置き、そこから150年間の科学と技術のありようを追っている。実に多くの示唆に富む本である。読んでゆくうちに、2011年の原発事故を含む現在の原発を巡る状況も、軍需産業の推進も、トータルな知性や倫理の蓄積が十分に涵養も共有もされないままいびつに発展をしてしまったことの結果として視えてくる。

驚きも再発見も多い。たとえば。

●かつて科学と技術とは別物であった。18世紀後半からのイギリス産業革命において、エネルギー利用の形を創り上げたのは大学ではなく、高等教育には無縁の職人であった。
●それは明治日本でも同様であり、蓄積がない分、極端な科学技術幻想を生んだ。士族出身者が、それまでヒエラルキーの下にあり蔑んでいた工商の教育を受け、仕事を始めるようになった。
●こと科学技術に関しては、根拠なき精神論は早い段階で棄て去られ、国家予算を合理的に投入して、国力の強化(戦争という意味で)のために、合理的に推進された。理科系の研究者たちは、戦時中にも恵まれた環境にあった。つまり、「竹槍でB29を」といった言説は、政治の決定や社会の構造には当てはまったのかもしれないが、それを実現させようとした科学技術については異なったということである。(たとえば、保阪正康『日本原爆開発秘録』には、戦時中に原爆を開発させようとする政府と、それを利用して自己実現する科学者たちの姿が描かれている。)
●敗戦を機に、そのことを反省とともに直視する動きは少なかった。満州国における縦割りを抜きにした戦争経済の推進、戦時中の科学技術の推進、そして官僚組織がほぼ温存された戦後における経済発展(朝鮮戦争とベトナム戦争がエンジンとなった)、それらの構造は驚くほど似たものだった。
●ところが、敗戦の理由は誤れり精神論にあったとして、その対極には、科学技術が明るい将来のように置かれたのだった。「原子力の平和利用」もその文脈で喧伝され、言説が再生産され、共有されていった。欺瞞であった。
●科学技術の最先端が求められる軍事技術で海外の企業と競うためには、どうしても大学の協力が必要となる。研究者はふたたび「科学動員」に直面している。歴史の直視から反省へと結び付けられるのか。

近代型の経済成長の持続と国力の強化はこれからも必要なのか、それとも最近の流行りの言説のように別の形の社会を実現できるのか、それはノリと勢いだけで進めていく議論ではない。しかし、反省も倫理もなく無理矢理突き進む(そして、そのためにエリート独裁を強化する)ようでは、いずれろくなことにはならない。必読。

●参照
山本義隆『私の1960年代』
山本義隆『原子・原子核・原子力』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
山本義隆『熱学思想の史的展開 1』
山本義隆『熱学思想の史的展開 2』
山本義隆『熱学思想の史的展開 3』
山本義隆『知性の叛乱』
石井寛治『日本の産業革命』
保阪正康『日本原爆開発秘録』


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