名古屋に向かう朝、地下鉄の吊り広告を見て、矢も盾もたまらず、東京駅で林真理子『RURIKO』(角川書店、2008年)を入手した。浅丘ルリ子、『男はつらいよ』でのリリー役のファンなのだ。
浅丘ルリ子は満州生まれ。何と、満州国官吏であった父親が、満映の理事長である甘粕正彦に可愛がられ、ルリ子のことを将来女優になるべき人間だと言われ続けていたという。大杉栄・伊藤野枝を虐殺した甘粕大尉である。この、ぬれぬれとした大きな目やぼってりとした口を持つ稀代の美女を、林真理子は特別な人間として描く。銀幕スターをまるで天上界の存在であるかのように扱う作風は、筒井康隆『美藝公』を思い出させる。
あまりにも小奇麗にまとめているのでちょっと物足りないような気もするが、石原裕次郎が登場したときの衝撃、小林旭や美空ひばりの特別さや人間くささなんかを見せてくれて、とても面白い。何しろ、自分にとって彼らは最初から過去の存在であり、なにが良いのだろうと思っていたからだ。(読んだからと言って、リアルタイムの実感ができるわけではないが。)
ついでに、恋人役として登場する蔵原惟繕(名前は明示されないが)の日活映画を2本、デビュー間もない石原裕次郎が北原三枝と共演する『俺は待ってるぜ』(1957年)、それから浅丘ルリ子を添え物ではなく本格的な女優として扱った『愛の渇き』(1967年)とまとめて見た。たしかに、ムクムクとしてしまった裕次郎がルリ子と共演した『夜霧よ今夜もありがとう』(江崎実生、1967年)と比べれば、前者は意味不明ながらその10年前の裕次郎が新鮮ではあるし、後者は同年の作品だが、ルリ子の「顔」の魅力がとてつもない。
横尾忠則も、当時『愛の渇き』にやられてしまったようだ。
「(略)今までの日活の石原裕次郎や小林旭と共演の、アクション映画の清純娘の彼女とガラッと異なり、ここには完全に成長した女、浅丘ルリ子があった。この時、ぼくはただただ画面の彼女に魂を奪われたように、彼女の妖しい恐ろしいような魅力に、そうだ、この女(ひと)を持つことにより何か自分の未知なるものが引き出され、その結果、己れを発見するのではないかと、彼女を内なる女にすることを心に決めた。」
横尾忠則『未完への脱走』(講談社文庫、1978年)
同書より(イラストは横尾泰江)