故・高田渡が2001年に出した半生記『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社、2001年)が、ちくま文庫から再発されていた。実は元本はかなりの稀少本となっていて、古本市場でもざらに1万円以上の値を付けていた・・・ということに、今頃気が付いた。売っておいて文庫を買えばよかった(違)
それで、好きな『ごあいさつ』(ベルウッド、1971年)を聴きながら、また読んだ。あの声が聞こえてくるような語り口、衒いのなさ、あらためてしみじみする。それから、好き嫌いが激しく、相当に頑固だったんだろうなと思う。新宿や吉祥寺のことも懐かしそうに書いてある。私が上京してきてうろうろしはじめた時よりもずっと前から、当然、高田渡は、ハモニカ横丁や、「いせや」や、パルコの本屋なんかに出没していた。すぐにでも誰かを誘って、あの辺に飲みに行きたくなってしまう。
高田渡の好きな映画は、『鉄道員』なんかのネオリアリズム、新しめでは『ニュー・シネマ・パラダイス』や『イル・ポスティーノ』だったそうだ。邦画では『キューポラのある街』、『裸の島』、『かあちゃんしぐのいやだ』といったところ。
ついでなので、『かあちゃんしぐのいやだ』(川頭義郎、1961年)を録画してあったのを思い出して観た。『バーボン・ストリート・ブルース』には、高田渡が貧乏な子供時代に、学校の行き帰りに、磁石を紐で引きずって、くっついてきた金物を売ってオカネに換えたとあるが、この映画にも同じようなシーンがあった。福井県の貧乏な家庭の母子の話であり、こちらは切ないを通りこしていたたまれないというか、申し訳ないというか、気分が沈んでしまった。
高田渡が趣味で撮っていたモノクロ写真も、何葉も掲載されている。かなり上手く、人情も味もあって、これも好みだ。50mmっぽいなあと思っていたが、改めて確認したら、やはりそうだった。なぎら健壱が、高田渡の真似をして、同じカメラ・ニコマートFTNにニッコール50mmを1本だけ装着して街々を撮り始めたのが、カメラ遍歴の始まりだったと言っている(『カメラマガジン』no.2、えい出版社、2006年)。
結局、高田渡が歌うのを直接聴いたのは、アケタの店と、吉祥寺駅前での2回だけだった。それでも、大丈夫かというくらい酒を飲んで(大丈夫ではなかった)、歌の合間に飄々と話をする様子が強く印象に残っている。
●参考
○「生活の柄」を国歌にしよう
○山之口獏の石碑