Sightsong

自縄自縛日記

『風の歌を聴け』の小説と映画

2008-04-19 23:36:32 | アート・映画

村上春樹のエッセイはわりと好きでよく読んだのだが、小説となると、大学生の頃に赤と緑のハードカバーが話題になった『ノルウェイの森』を、友だちに借りて、読んだきりである。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、やはり大学生の頃、別の友だちに何故かプレゼントしてもらったのだが、今に至るまで読んでいない。

この間、CSで『風の歌を聴け』(大森一樹、1981年)を録画したので、観る前に、図書館で借りてきた小説も読んだ。村上春樹の文章は、空気も間合いも絶妙で、現在形であっても<ノスタルジイ>が付きまとっていて、それなりに心に浮遊して残る。映画をさっき観たら、印象がさらにどこかに浮遊していってしまった。

主人公が、とても大学生に見えない小林薫ということは置いておくとして。友人の<鼠>が巻上公一。<彼女>が真行寺君枝(何でも、村上春樹が真行寺君枝のファンだったとか)。昔の<彼女>が室井滋(映画デビュー)。バーのマスターが坂田明。音楽担当が千野秀一で、浅川マキが挿入されていて、8ミリの映像も使われていて、ATGで、面白がる条件はそれなりに揃っている。でも別に・・・。

村上春樹は紙とテキストでこそ魅力的な面があるのかな。よくわからない。

●参考 沢渡朔+真行寺君枝『シビラの四季』

kakko

『ルオーとマティス』での色の違いと変遷、どら焼

2008-04-19 19:12:10 | ヨーロッパ

ツマに行こうと言われて、家族でずんごろずんごろと『ルオーとマティス』展(松下電工汐留ミュージアム)を観てきた。ルオー、マティスともにそれほど熱心なファンでもないのだが、今回は足を運んで良かったとおもった。特に、共通の師匠であるギュスターヴ・モローの作品数点からはじまっていて、モローの鮮やかな青緑、ルオーの沈んだ色、マティスのピンクなど、それぞれの持ち色を同時に楽しむことができた。

ジョルジュ・ルオーの初期作品群には救いがない。裸婦たちは色も形もグロテスクな怪物のようだ。1911年の『悩みの果てぬ場末』という、3人の家族らしき人物を描いた作品など、沈みきって濁った色で、どうしようもなく絶望的な印象である。それが30年代、40年代の、ルオーの特徴をなす厚ぼったい塗りの作品になってくると、色もやや明るさを増してきている。それはたぶん、画家の内面の反映といってもいいのだろう。たとえば、1912年の『エクソドゥス』は、出エジプトを扱ったものだが、同時期の『悩みの果てぬ場末』と同様にモーゼ一行の先の見えない彷徨でしかないように見える。しかし、1948年の同題の作品(→リンク)になると、希望も一緒にイコンとして塗りこめているようだ。

アンリ・マティスについては、嗜好でいえば、思いつきの絵、大傑作もあるがどうしようもない記録もある天才画家だとおもっていた。あらためて、あたかも感性で筆を走らせただけの作品群が、ことごとくとても良いものに見えてきたのが不思議だ。とくに、有名な『ジャズ』連作20点を楽しんだ。1943年の『白い象の悪夢』(→リンク)、1946年『カウボーイ』(→リンク)など鮮やか。また、ボードレール『悪の華』に、すべて女性の顔を挿絵として入れたものなどもお洒落で、復刻版なんかあったら欲しいなとおもった。

仕事で汐留に行くと、かなりの確率で、香川・愛媛のアンテナショップ「せとうち旬彩館」の2階にあるレストラン「かおりひめ(香媛)」に行く。きょうも讃岐うどんや鯛めしなんかの昼ごはんを食べた。物産館には目がない(何でだ)のだが、例によって1階をうろうろし、結局、小豆島のオリーブオイルと、おやつにどら焼を3種類買って帰った。

今治市・ボッコ製菓の「島いちごどら焼」は思いつかない組み合わせで新鮮。東かがわ市・ばいこう堂の「和糖どら焼」は上品。松山市・うつぼ屋の「みつ豆どら焼」は、名前の通り、小豆、大納言、うぐいすと3種類の餡を混ぜていて楽しい。どれも旨かった。