四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

 「あの子の分も」みたび

2023年03月10日 15時22分17秒 | 鎮魂

 東日本大震災を被災された皆様へ―

  2011年(平成2 3年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、明日で12年となり十二支の一周年となります。
朝日新聞の3月10日の報道によりますと、この東日本大震災での死者は15,900人、行方不明者は6県で2,523人とのことです。この大震災で被害に遭われ身罷った御霊に哀悼の誠をささげるとともに、未だ行方不明となっている方と、そのご家族に改めてお見舞いを申し上げたいと思います。
 この間、被災された皆さんの筆舌に尽くしがたい労苦と闘いの日々を、そしてそこから立ち上がり前を向く多くの皆さんの歩みを、私たちも改めて想い起したいと思います。


昨年も、このブログで掲載させて頂いた内容ですが、再び巡りくる3.11を前に、改めて「共にある」ことの確認を込めて、重複となりますがこの記事を掲載いたしと思います。

 今から12年前、多少でも手助けになればとボランティアで訪れた福島の海辺の町は、すべてを破壊しつくされた瓦礫の街でした。廃墟とも言えるその地で、 しっかりと日々の生活を立て直し、明日を見据えて踏ん張る多くの方たちに接し、 私たち自身が励まされる思いがしました。
 お手伝いの合間に、現地の皆さんのお話を聞くことが出来ました。言葉少なに、自らの現状に折り合いをつけつつ、 絞り出すように語ってくれた多くの方達の言葉は、 私たちの想像を遥かに超えていました。
 目の前で、大津波にご主人も、お子さんもさらわれたと言われる一人の女性。
立ち直ることも出来ないであろう厳しい状況に直面し、涙も枯れ果てたと言いながら、
それでも気丈にふるまう方。 その方の想いに寄り添い「あの子の分も」との題で、
私なりに詞に紡いでみました。 ずーとしまっておいた歌詞ですが、東日本大震災からの
節目に当たって「共にある」ことを再認識するとともに、 あの想像を絶する事態を改めて心に刻む意味で、詞を少しブラッシュアップしてみました。

 その詞の作曲・歌唱依頼を含めてYokiさんに提案させて頂きました。
今回もYokiさん、じいじさんの多大なご尽力で、歌詞に命が吹き込まれました。
先に本ホームページで紹介させて頂いた、Yokiさん作曲・歌唱の二曲の延長に、
「あの子の分も」の楽曲を、皆さんにお披露目出来ることに感謝したいと思います。

「あの子の分も」の楽曲公開に当たっては、工藤慎太郎さんの楽曲「旅の途上(なか)」の作詞の際、 ペンネームとして「ショー・ジロー」を頂きましたので、今回も前二曲に続いて、それを踏襲させて頂きました。 作曲&歌はyokiさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂きました。改めて感謝申し上げます。

今回は、2022年3月11日に、改めて Yokiさんに歌って頂いた曲を掲載させて頂きます。

画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

ユーチューブの背景画像はYokiさんに選んで頂いた「ニゲラ」という花で、
花言葉は「未来」です。

 「あの子の分も」
     作詞*ショー・ジロー  作曲&歌*yoki  ギター*じいじ

  1.あの子の声がこだまとなって 
    今でもはっきり響いてくる  
    目の前で波に呑まれ さらわれた
    あの子が今でも目に浮かぶ
    あんなに身近な海なのに
    今は見るのも つらい 
    切なくて 悲しくて 
    眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
    でも・・・涙はお日様に預け
    もう泣かない   
    あの子にもらったこの命 
    抱えてしっかり 生きて行くわ

     2.あなたの声がこだまとなって 
       今でもはっきり響いてくる
       目の前で波に呑まれ さらわれた 
       あなたが今でも目に浮かぶ
       あんなに好きな海なのに
       今は見るのもきらい
       寂しくて 苦しくて
       眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
       でも・・・涙はお日様にあずけ
       もう泣かない
       あなたにもらったこの命 
       抱えてしっかり生きて行くわ

  3.あれからもう10年たつのね 
    やっと探した写真には
    あの子とあなたの笑顔が写ってる  
    家も町も光の中輝いてる
    津波が全てを奪っていった
    あの日々が 愛おしいまでによみがえる
    辛いけど 寂しいけれど
    私の愛したあなたと あの子の思い出を
    抱えてしっかり生きて行くわ
    あなたの分も あの子の分も
    私のこの胸にずっと ずっと

 「あの子の分も」の楽曲作成に当たって作曲&歌はyokさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂いた旨は先に申し上げました。ギター&ハーモニカを担って頂いた、じいじさんに「あの子の分も」をカバーして頂きましたので、一挙に公開させて頂きます。

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

 なお、拙い詩ですが、著作権は放棄していません。
無断転載等はご遠慮願います。転載いただけるのであれば、あらかじめ当方へ
連絡を頂き「ポエット・M」の作者名を明記して頂ければ嬉しいです。
                        了


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9 コメント

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Unknown (夕庵)
2023-03-10 22:52:03
ポエットMさん、こんばんは。

決して忘れてはならない、あの東日本大震災から12年もたつのですね。今まで自分の生きてきた時間と被災された方の時間の重さを改めて感じました。

お歌をしみじみと拝聴しました。
YOKIさんとじいじさんお二人のそれぞれの表現に心打たれ思わず胸が熱くなりました。
自分だったらと思うと涙がこぼれました。

何があっても日は沈みまた日は昇ります。
いつかは前向きに歩いて行かねばならないのですね。大震災という歴史の中に埋もれることなく詩は曲に乗って歌い継がれ、生きるエールを送り続けていくことでしょう。

ポエットMさんの詩
「私の愛したあなたとあの子の思い出を抱えてしっかり生きてゆくわ」
東北魂に溢れたこの詩に救われました。
素晴らしい詩と楽曲 ありがとうございました。
Unknown (行雲流水の如くに)
2023-03-11 08:57:46
四季の彩さん、おはようございます。
今日で12年ですね。
良い歌をしみじみと聞かせていただきました。
ありがとうございます。
画像も素晴らしいですね。
下向きに咲きながら上を向こうとしているクリスマスローズのけなげな姿に心を打たれます。

丁度12年前、次男夫婦が仙台在住でした。
幸い無事でしたが、あのころの記憶がよみがえりました。
夕庵さんへ (ポエット・M)
2023-03-11 12:00:15
夕庵さん こんにちは。
いつも心温まるコメントをタイムリーに頂き、ありがとうございます。
今日の新聞報道によりますと、震災、原発事故等による避難者は今も31,000人にのぼり、
福島県からがその9割を占めるとのことです。

かつて、私たち横須賀の地域から「ボランティアバス」が、連日福島県等、
被災地に向けて出ましたが、現地の方たちの姿に触れ私たち自身が励まされて
帰路につきました。しかし、現地の状況は私たちの想像をはるかに超えるものでした。
そなん想いを詩に記しましたが、「ともにあること」と、言葉で語ると
現実から遊離する想いも一方で抱いてきました。

震災から10年の節目で詩を冷静に読み直し、それでも歌にして残せればとの想いから
ブログ仲間のKenさんの紹介で、yokiさん、じいじいさんに作曲・歌唱の依頼を行いました。
詩としては、素人のものですので中々曲に乗らなかったでしょうが、yokiさんの感性と、
技で心に沁みるものに仕上げて頂きました。

「東北魂に溢れたこの詩に救われました」とのコメントは何よりも嬉しいものです。
詩を紡いだことに自分なりに、少し納得することが出来ました。
ありがとうございました。
行雲流水の如くに さんへ (ポエット・M)
2023-03-11 12:03:29
行雲流水さん こんにちは。
早速にコメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
おっしゃる通り、今日で12年ですね。
行雲流水さんから「良い歌をしみじみと聞かせていただきました」とのコメントは
恐縮しますが、嬉しいです。

また、クリスマスローズの写真に目を留めて頂きありがとうございます。
この花は今最盛期ですが、おっしゃる通り下向きに儚げに咲きながらも、
しっかり自分を主張する健気さを秘めているとも感じます。

12年前、次男さんご家族が仙台在住だったとのこと。
ご心配もあったことでしょうがご無事で何よりと思います。
仙台も含めて宮城、岩手、福島の激甚災害の様子は今でも鮮明な記憶として
脳裏に焼き付いています。

十二支も一周しましたが、未だなお行方不明者が2,523人がおられる事実は、
そのご家族の心労を思う時、忘れてはならないとも思っています。
汚染水の海洋放棄も地元の漁協の方々の反対を押し切って行われようとしていますが、
この事態もしっかりウオッチしていくことも必要と思っています。
これからもよろしくお願いします。
2011年(平成2 3年)3月11日14時46分 (チョウキチ)
2023-03-11 16:39:57
あの日、私はアメリカから帰国しました。成田に着陸した直後、 機長より地震発生、滑走路で待機のアナウンスが流れ、機体はやっと滑走路に止まりました。それから1時間もそのまま、やっとタラップまで移動したのですが、揺れがひどく飛行機を着けられません。6時頃やっと到着ロビーにたどり着きました。交通手段がなく、当日はロビーの床でごろ寝でした。名取の海岸の映像に車が駐車場に整列したみたいになっているのを見、津波の激しさに改めて驚きました。現地で地震に遭われた方々に改めてお見舞い申し上げたいと思います。
チョウキチさんへ (ポエット・M)
2023-03-11 18:57:37
チョウキチさん こんばんは。
コメント頂きありがとうございます。

今思えば、貴重かつ大変な経験をされましたね。被災された方はもとより、
多くの方が「人生で一番長い日」を経験されたことと思います。
でも、ロビーでごろ寝とは二度と経験したくないですね。
私は、たまたま定年退職後で、次の職場が4月からと決まっていましたが、
当日は関りを持っていた地域の公立中学校に、生徒たちの避難のお手伝いに駆け付けた記憶があります。
おっしゃるように宮城県の名取も津波により海岸林等を始め大きな被害を受けましたが、
未だ経験したことのない災害の大きさに驚愕しましたね。
何よりもこの被害を「我が事」として、胸に刻んで参りたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
Unknown (ninomiki)
2023-03-16 20:23:39
こんばんは。はじめまして☆
福島県民です。海沿いの地域ではないので 津波被害はありませんでしたが 甚大な地震被害と原発関係の被害がありました。今でも我が家のマルチーズ・ニノさんのお散歩道には 放射線の線量をはかって毎回書いてある看板が立っています。県民にとってはなかなか辛い言葉を見る事もありましたが(風評など)みんな元気に過ごしています(^-^)東北、福島に心を寄せて頂いて嬉しく思いましてコメントさせて頂きました☆
Ninomikiさんへ (ポエット・M)
2023-03-17 13:02:34
Ninomikiさん こんにちは。
こちらこそ、初めまして。コメント頂きありがとうございます。
マルチーズ・ニノさんは可愛いですね。見ていてホッとします。

福島県も中通り、山通り等では津波の被害はそれほどでもないものの、震災と原発被害は甚大のものがあったと聞き及んでいます。
大変な中、よく頑張ってこられましたねと申し上げたいと思います。
未だ放射線の線量掲示板が日々更新されているとのこと。

風評被害はとんでもないことですが、何よりもこの災害の記憶が薄れ他人事に
なっていくことだと思っています。原発被害の大半は人災でもありますが、
当事者のいずれもが責任を取らない現実に憤りが湧きます。汚染水の海洋投棄もしかりです。
ただ、「みんな元気に過ごしています」とのお言葉には救われる思いです。

これからもよろしくお願いします。
こんばんは^^ (yoki)
2023-03-18 20:56:06
大変ご無沙汰しております。
家庭の事でバタバタとしておりました。
「この子の分も」は、毎年この時に唄わせていただく予定にしておりましたのに、時間が作れず申し訳ございませんでした。
それなのにこのようにブログで紹介いただき有難うございました。

歌詞を読ませて頂きながら、また胸が熱くなりました。来年は是非また歌わせて頂きたいと思います。

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