四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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「お別れの会」へ

2024年03月31日 10時15分55秒 | お出かけ

 八代亜紀さんについては、1月のブログでも触れさせて頂きました。昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことを所属事務所が公式サイトで発表しましたが、その際、別途「お別れ会」を開催する旨の発表もありました。

     「咲き初める あんずの花」

 その「お別れの会」が『八代亜紀 お別れの会 ~ありがとう…これからも~』と題して、蒲田にある「日本工学院大学・日本工学院専門学校」の「片柳アリーナ」で開催されました。このアリーナは約4,000名を収容できコンサート等で活用されているとのこと。

     「片柳アリーナ」 (ネットから拝借いたしました)
 
 たまたま休日だった近くに住む次男夫婦と共に車で出かけました。この日は朝から「春の嵐」にも似た土砂降りの雨。「雨の慕情」で「あめあめ、ふれふれ」と歌っていた八代さんにふさわしい「涙雨」の下での式となりました。12時開場に合わせて出発しましたが、着いた時には、もう芸能関係の方も含め沢山の方が集まっていました。

 
 この日は2回に分けての「お別れ会」でしたが、総勢で約3,000名の方が集まったとのことでした。私たちは「1部の会」に参加できましたが、この会には里見浩太朗、研ナオコ、小林幸子、山本譲二、五木ひろし、高見沢俊彦らをはじめ多くの芸能関係者の方が、出席されるとのことで、多くのテレビ局や、メディアの方々がカメラを構えて待ち受けていました。
 身分証明書を提示して中に入りましたが、式場までの通路に八代亜紀さんが着ておられた舞台衣装の数々、そして写真パネルが展示されていました。それを眺めながら涙する方が多く見受けられました。
 
 この「お別れ会」は平服で、さらに香典は受け取りませんとのことでした。細君はその香典分の「グッズを買わせて」とのことで、バック等も含めて思い出の品を買い求めていました。
なお、この売上金は地震などの被災地支援等を続けてきた八代亜紀さんの想いを継ぎ、今回も「能登地震」支援に活用させて頂きますとのことでした。

 席に着くといろいろな方にお会いし、ご挨拶することが出来ました。お会いしたいと思いながら中々会えずにいた人にも、思いがけなく20数年ぶりに出会うことができました。長男は若いころ「俳優座劇場」、「シアターVアカサカ」等を拠点に、劇団を率いて、自らも舞台演劇をしていました。その時代、良く舞台演劇を観に出かけていましたので、多くの役者さんにお会いしてきました。その時に出会った人たちにも会えて、それぞれの道で頑張っている様子も伺え嬉しく、懐かしく感じました。始まる1時近くになると芸能人、特に歌手の方たちが沢山入って来られ、会場もほぼ埋まりました。

      「ネモヒラ」

 祭壇には、八代亜紀さんのピンク色のドレス姿の写真が遺影として飾られ、八代さんが生前コンサートで使用していた美術セットや、愛した花で埋め尽くされていました。
 そして…、1時にまるでコンサートかと錯覚するような演出で始まりました。「皆さんお元気ですか、八代亜紀です。昨年残念ながら歌手人生に終止符を打ちました…」との八代さんの声が会場に流れました。一瞬、八代さんが舞台に立ったのかとの錯覚に陥りました…。
 これは、八代さんが4年前、400余の文章を朗読した際の音声を残していましたが、これを基にAI音声合成技術を用いて新たに生成された八代さんの“肉声”とのことでした。

 舞台中央に飾られた八代さんの舞台衣装を着たひと形に、ライトが当たり楽団の人たちによる生演奏が始まりました。「舟唄」を皮切りに、八代さんのヒット曲が次々流れ…八代さんが出てくるのではと錯覚するほどでした。八代さんの生い立ち、歌手人生を映像と、ヒット曲等により紹介しながら、コンサートさながらの演出で、しみじみとしながらも、心に沁みる舞台に思わず涙を誘われる場面もありました。

 途中、献花の時間になり、先ずは芸能関係者の人たちでテレビで見知った方々が次々献花して席に戻りました。私達も、それぞれピンクのカーネーションを受け取り献花させて頂きました。出席の皆さんの献花が終わるのには1時間ほどかかりましたが、その間は八代さんの歌がずっと流れていました。皆さんの献花が終わるといよいよコンサートの後半・・・何曲か思い出深い曲が流れ、締めの曲は「ダンチョネ節」でした。この日に会場で流れた曲は20曲とのことです。

     「雪柳」

 そして、フィナーレ。八代さんの声で「八代亜紀は幸せでした。本当にありがとうございました」「それでは皆さんありがとうね・・・バイバイ」との言葉で幕が下りました。最初から、締めまで八代亜紀さんらしい「お別れの会」でした。悲しみと共に心に響く、心温まる時間が過ごせました。「八代亜紀さん…には、私たちはいつも元気をもらってきました。本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。そして、先に逝った愛してやまないお父様、お母様と楽しく語らい、歌い続けて下さい」・・・と祈らせて頂きました。
 会場内では全ての写真撮影はご遠慮くださいとのことで、写真はかろうじて入り口のみを撮ることができました。八代亜紀さんのピンク色のドレス姿の写真が、遺影として飾られた祭壇は素敵でしたが、この映像も残念ながら撮れませんでした。


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (1948of)
2024-03-31 19:35:53
感動を有り難うございます。
私も八代亜紀さんが大好きでした。
返信する
1948ofさんへ (ポエット・M)
2024-03-31 21:22:43
1948ofさん こんばんは。
早々にコメント頂きありがとうございました。

1948ofさんも「八代亜紀さんが大好きでした」とのこと。
同好の士を得て、嬉しい限りです。

コンサートや、ボランティアの場面で知る「素」の八代さんは
底抜けに明るく、優しい方との印象がありました。
コンサートで歌う際にまとうオーラは別格のものがありますが…。
これからもよろしくお願い致します。
返信する
大切な思い出がたくさん・・・ (fumiel-shima)
2024-04-01 09:58:54
ポエットMさん、おはようございます。

数々のヒット曲とその人柄で多くのファンの心を掴んだ八代亜紀さん・・・
ポエットMさんたちにとっても忘れることなど到底できない大切な思い出がたくさんあるのでしょうね。

会場に流れる曲を耳にして込み上げるようなものもあたことと想像しています。

雨などまったく気にならない・・いや、むしろ雨だからこそのいい思い出の一日になりましたね。
返信する
fumiel-shimaさんへ (ポエット・M)
2024-04-01 10:35:03
fumiel-shimaさん おはようございます。
ついも、タイムリーに温かなコメントを頂きありがとうございます。

おっしゃる通りですね。演歌を越えた演歌ゆえでしょうか、クラシックや、
ジャズフアンの方にも愛された八代さんの歌は、演歌のイメージを変えた
とも思っています。
日々の生活に追われながらも懸命に生きるこの国の基盤を支える多くの
人々の哀歓や、呟き、さらには嘆きをも丁寧に掬い取り、その想いを謳い
あげる。これは演歌のもつ本来の機能でもあると思っています。
文字通りこれらの想いの代弁者として、八代さんは心をこめて歌った
歌手と思っています。
コンサートで「よいとまけ」を歌う八代さんは、代弁者と言うよりも
正に「憑依」の歌手との印象を受けました。

酷い雨の中でしたが、おっしゃる様に「涙雨」を思い、思い出の
お別れ会になりました。細君もずーと涙、涙でした。
これからもよろしくお願い致します。
返信する
ポエット・Mさんへ (西BOO)
2024-04-01 14:31:23
「雨の慕情」、よく聞かせて頂きました。

八代さん ちーたんともに有難う 涙よ雨よもっと降れぇ~
返信する
お別れ会 (夕庵)
2024-04-01 17:19:36
ポエット・Mさん
こんにちは。

八代亜紀さんのお別れ会にご出席されたのですね。
急速進行性間質肺炎とは恐ろしい病なんですね。
すこし画面で見かけないと思っていたら、突然の訃報になぜ何故?何故?と繰り返したのを、覚えています。
思い起こせば大阪のデパートのギャラリーで、思いがけなくお会いしたことがありました。
突然の出場に知らず知らずに拍手でお迎えしました。やはり輝くオーラに身を包みあの甘えるような声で話掛けられたことでした。

お別れ会でのAIの挨拶はTVで見ました!
亡くなったとは今も信じられませんが、あの艶歌節は後世までも残る偉大な歌手であったと思います。

改めて八代亜紀さんのご冥福をお祈りいたします。
返信する
西BOOさんへ (ポエット・M)
2024-04-01 19:08:27
西BOOさん こんばんは。
コメント頂きありがとうございます。

「雨の慕情」をよく聞いておられるとのこと。この歌は
阿久悠/浜圭介コンビによる、「舟唄」「港町絶唱」と合わせて
「哀憐三部作」と言われているとのことで、八代さんの代表曲でも
ありますね。
心に沁みながらも、明るく前向きな曲に私も心惹かれます。
返歌させて頂きますね。

☆八代さん ちーたんともに有難う 涙よ雨よもっと降れぇ~
★八代さん 雨あめふれと唄うゆえ 別れの式も どしゃ降りのなか
これからもよろしくお願い致します。
返信する
夕庵さんへ (ポエット・M)
2024-04-01 19:13:27
夕庵さん こんばんは。
心温かくなるコメントを頂きありがとうございます。

夕庵さんは、大阪のデパートのギャラリーで八代さんにお会いしたことが
あったとのこと。絵画展の際のことと思いますが、おっしゃるように纏う
オーラは強いものがありながら、人を包み込む優しさも溢れていたと感じます。

「お別れ会」で聞いた生成AIの最初は挨拶は、八代さん本人かと思うほど
肉声に近かったと感じました。背景と、実態を知り喪失感を強めたことも事実でしたが…。

おっしゃる様に、「舟唄」「雨の慕情」等の歌は「八代演歌」の代表曲として
後世までも歌い継がれると思っています。
返信する
ポエット・Mさんへ (西BOO)
2024-04-02 17:06:12
素晴らしい返歌を頂戴し、誠に有難う御座います。
返信する
短歌投稿 (knsw0805)
2024-04-03 03:03:49
24年4月3日分です。
Shouさん、おはようございます。
浅間山明鏡止水です。
短歌投稿します。

「詞書」源氏物語や紫式部日記・紫式部集には和歌(巻名歌等)が沢山ありますが、その和歌の返歌を口語短歌で提出します。返歌は源氏物語の内容や進行に合わせてではなく、短歌に沿った言葉・単語や自然・地名からヒントをもらい詠みます。今週は源氏物語巻名歌から2首、紫式部集より1首の計3首提出しますのでご指導よろしくお願いします。

源氏物語巻名歌・12朝顔(あさがほ)
歌の背景
光源氏三十二歳。長い年月、朝顔の姫君に心を受け入れてもらえない源氏。朝霧の中、秋深い気配の中で、花も小さく衰えて咲いている朝顔を折らせて、姫君へ届ける。

「見し折の つゆ忘られぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ」 

「秋果てて 霧の籬(まがき)に むすぼほれ あるかなきかに 移る朝顔」

返歌
「朝顔の 美しい景 忘れずに あざやかに残る 穏やかな愛」

「しみじみと 長い年月 省みて 二人の日々に 過ぎ去りしこころ」

紫式部集・12 
12 ゆかずとも なほかきつめよ 霜こほり 水のそこにて 思ひながさむ 

返歌
「お考え 聞きたい気持ち 楽しみで 思いめぐらす 悩みの工夫」
返信する

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