ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

五百羅漢 in 喜多院

2013-07-21 19:51:02 | 史跡

五百羅漢 ・・・7月21日(日) 川越 喜多院 にて

様々な羅漢・・・まず表情を・・そして仕種を・・

   

   

   

談笑しているのでしょうか・・とにかく、顔の表情が身近です。

寝ているのか、泣いているのか・・のもあります。

    

   

               

 

ひそひそ・・・内緒話でしょうか、話題が気になります。

 

     荒々しくて力強い、これ好き  おどけて・・これも好き

 

お休みですか、お疲れですか、ではおみ足を擦りましょう。ごゆっくり・・・・・

 

                          中央に鎮座します。

 

これはこれは、酒盛りですか・・・・・いやいやこれは般若湯という。では般若とは・・??

それにしても、どの羅漢も、耳が大きいですね!・・高僧はみな”耳デカ”なのでしょうか

 

         考えている羅漢、笑っている羅漢、悩んでいる羅漢・・・     

            

                  ・・・羅漢らも、この世も同じ 夏の風・・・

*羅漢(=阿羅漢)・・・悟りをひらいた高僧。サンスクリット語・・しかして仏にあらず・

 

随風と北院・・

・・昔、随風という旅の僧がおった。随風は生臭で、その上独尊で生意気であった。随風は、誰彼いとわずに論戦を挑み、そして政治を説いた。・・・随風のこの性根を好んだ大名が2人。小田原北条家と徳川家である。どうも随風は、小田原北条により肩入れしていたらしい。やがて、小田原が秀吉に滅ぼされると、随風は天海と名を改めて、当時川越の大寺院の無量寿寺の北に位置する宿坊を借りて偶居する。この宿坊は北院というあばら屋であった。やがて、家康が天下を取ると、家康は昔からの知遇で話の馬が合う天海を、江戸城に呼びだしては話すようになる。江戸城には、家康同様、昔からの知り合いの春日もおり、春日の局が家光の乳母だったことから、家康の宗教方面の参謀になり、それで北院は所領をもらい、寺院として独立する。これが、北院建立の起源だが、北院が春日との関係で、三代将軍家光の産所となり、名を改めて”喜多院”となる。・・

<写真は、Wクイックで拡大できます。> ・・・羅漢の表情観察にどうぞ。 

場所;川越市小仙波町1-20-1


 



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2 コメント

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RE; (店主 庄次郎)
2013-07-25 16:51:45
あれは何でしょうね・・・そう、なんでしょうね・・
石工達は「モデル」がいたのでしょうか、
和尚達の”くつろぐすがた”は人間的でほほえましいですね
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五百羅漢 (比企の村人)
2013-07-25 09:29:34
五百羅漢の一人に欧米系の外人さんみたいなのがいました。
あれは何でしょうね、
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