ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

浦和 美園周辺 スタジアム2002

2013-05-22 18:03:04 | 建造物

この風景に、一累の感慨を持って眺めている。

走っている道路は、東北自動車道。脇を今や物流の大動脈となった、三桁ながら国道122号線、奥に光る丸屋根の建物は日本のサッカーの聖地、埼玉スタジアム2002、そして周辺は延々と続く整地中の土地・・・。いずれ、5年先10年先に、この河原は高層マンションが建ち並び、新興住宅が犇めく地に変わっているのだろうか。その準備にか、大型ダンプが大量の土砂を満載に積み、ひっきりなしに行き交う。たぶん土砂は河原湿地帯の底上げや地固め用なのだろう。・・・今、浦和美園駅・埼玉スタジアム2002の周辺は、大造成工事が進行中です。


昔、荒川が岩槻辺りを流れていた頃、洪水で乱流した流れは、見沼の湿地帯と綾瀬川の川筋を分けて流れていたらしい。その間に野田から安行に続く台地があった。また更に昔は江戸湾(東京湾)がせり上がり、この近辺まで海であったらしい。浦和はその名残りでもある。
江戸時代、幕府の名官僚の伊奈忠次とその一族は、荒川を瀬替えをし、熊谷から入間川に流れを変えた。洪水の危険が去ったこの地は、井沢弥惣兵衛為永が伊奈流の土木工事と違ったやり方で耕作地に替えた。
伊奈家の官僚内容は今の農林大臣、建設大事、大蔵大臣、警察を併せ持った職務のようだ。また、井沢弥惣兵衛為永は紀伊(和歌山県)の治水灌漑のエキスパートであるそうな。

この見沼田んぼの風景は、急激に変わろうとしている。

先に、一累の感慨といったのは、四季の美しい見沼田んぼを懐かしがっての感慨というのでもない。

一累の下にぶら下がる思いの累累だが・・・
3.11の大災害が起こり、福島の原発がやられた時、みんなが、そして自分も、こんな危険な原発など要らない、と思った。今でもそう思うが、安全で安価で、きれいな代替え発電が直ぐ不可能だと分かった時、今まで通り空気を汚す石油でいいのか、当然予想される電気料金の値上げに我慢できるのか、電車は間引きで不便になり、頻繁に起こるだろう停電にも耐えられるのか等々、突きつけられる課題に、ついつい日常性回帰の方を選択してしまう自分に、いらだちを覚えてしまう。
こんな感慨の根っこの部分は、変わりゆくこの写真の風景を見ての思いと共通している。なれてしまった便利性に拒否ができない自分に。

野田から安行に続く台地は代山とか寺山とか山のつく地名が多い。この低い台地も湿地帯から見れば山なのだろう。

撮影は、寺山陸橋の付近から撮影。

追伸、拙い一文、技量のない写真も、多少楽しんでくれる人確認し、励みになります。



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