庚申信仰 ・・第二話 秀吉
庚申信仰は、三尸説に基づいて、人間の胎内に、生まれながらにいる三匹の悪い虫が、人間の睡眠中に体外に出て悪戯をする・・という信仰で、その悪戯で寿命が縮まるという伝えられ、庚申の日には、宴会をやって眠らないようにするとか、三尸の虫は、青面金剛を怖がって出てこないとか、明治時代まで本気で信じられていた信仰で、今では嘘のような話だが・・・先述の青面金剛像や庚申信仰の話・・・
・・青面金剛像
続きは、・・・秀吉の話です。
青面金剛の使いは猿で、これは庚申の”申”は”さる”と言うところから、猿田彦神社も庚申信仰の対象とされたようです。
日吉山王神社も、御神体は”猿田彦神で、庚申信仰の対象でした。
川越日枝神社(猿田彦)
・・日吉山王神社・滋賀・・転用
織田家家臣時代、秀吉は、信長から”猿”と呼ばれていた話は有名です。顔が、猿に似ていたという身体的特徴から、と思っていましたが、そればかりでは無いのではないか、という着想が、彼の幼年の名前から浮かびました。
まず、秀吉の幼年の名前の日吉丸が、なぜ付けられたのか。猿の神様に日吉山王神社があります。日吉神社は日枝神社とほぼ同じです。単独で山王神社もあります。
『絵本太閤記』によれば、豊臣秀吉の母が男子を授かるよう日吉神に願ったところ、懐中に太陽が入る夢を見て秀吉を身ごもったとあり、秀吉がサルとあだ名されたことは近江の日吉信仰や猿神信仰に関係しているとの説もあります。
この話のもとは・・釈迦が日本の日吉に神として現れ、サルの形を借りて吉凶を示すと知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字の「神」を発明したことや、蒼頡は実は釈迦の前世であり、釈迦が日吉に祀られてまもなく、サルたちが日吉大社に集まったことが記述されている。これはたぶん創作と思われますが、先に信仰があってのこじつけと思われますが、日吉神社に猿と縁があることは確かなようです。
嘘か誠か、秀吉も庚申日生まれ、とされています。
・・*蒼頡(そうけつ)・中国・黄帝の官吏で漢字の言語を整理した人。伝説上の人物とも言われる。一部に漢字を作った人の説もあるが、あの膨大な漢字が、一人で作り得るのかは、物理的に不可能のため、整理・取捨選択して、中国の文字として普遍化に最大限貢献した人物と見た方が説明が付く。
戦国大名の代表格の織田信長が、庚申の日に、家臣と”眠らずの宴会”を開いていたことといい、日吉丸こと秀吉の出生に纏わる話、家康の日光東照宮や秩父神社の三猿の彫刻等々、戦国武将の庚申信仰の保護を含めて、本気で信じていた痕跡が、今でも多く残っているところを見ると、これは侮れないと感じます。
・・信長、秀吉、家康・・転用
・・三猿(東照宮)
たまたま、仏教と習合し、あるいは神社と習合しますが、どうも神社仏閣と異質で、輸入されたものといえ、日本的なものを内蔵して、それを祖先らが、すべからく信仰していたとなると、青面金剛像を改めて見直してしまいます。