ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

氷川神社の鯉!?

2016-02-22 11:51:36 | 神社・仏閣

氷川神社の鯉!?

氷川神社 ・・武蔵一宮氷川神社(通称・大宮氷川神社)

氷川神社にはいくつかの池がありますが、龍が棲むという「神池」は、三の鳥居を潜って直ぐの左手、中ノ島に「宗像神社」が祀ってある池のことです。
この池は、かってコンコンと泉が湧き出し、それはそれはきれいな澄んだ池だったそうですが、今はよどんで面影すらありません。それでも、いつも鯉や亀の泳ぐ姿が、赤い桟橋から見られます。

氷川神社の池に鯉が住むようになった歴史は、そんなに古い話ではありません。かっての江戸時代以前は、魚が泳いでいたのかもしれませんが・・・。戦後10年ぐらい経った頃、信州佐久のホテルの女主人が氷川神社に参詣に訪れたそうです。敗戦から復興の10年、まだ世の中は、寂れた神社の整備には目が向いていなかったようです。「佐久のホテルの女主人」は、池に鯉を放つことを思い立ち、「佐久の鯉」をトラック一杯積んできて奉納したそうです。今ここで泳ぐ鯉のふるさとは、佐久なのかもしれません。

後に、埼玉水産研究所から緋鯉が奉納されました。なかに「金色にかがやく鯉」が混じっていて、池を”我が物顔”に泳ぎまわっています。見た人は(・行けばほとんど見られますが)なにか得をしたような気分になれます。「幸運を呼ぶ金色の鯉」を目的で、訪れる人もいるようです。
この金色の鯉は、サッカー場に近い方の池にいました。

氷川神社が、三社に分かれていた頃、・・・氷川神社はもともと、大きな御沼(=見沼)を挟んで、沼のほとりに三社がありました。
 ・男社 ・今の氷川神社
 ・女社 ・浦和・三室の女体氷川神社
 ・簸王子社 ・中川の中氷川神社
三室の女体氷川神社には、「片目の鯉」の伝承が残っています。
「片目の鯉」は、”ひょっとこ”に通じ、”たたら”に通じると言われています。
”たたら”は”金”や”鉄”の作り手のことです。
中氷川神社には、「火祭り」の祭事がつい最近まで行われていたそうです。
御沼(=見沼)は、砂金か砂鉄の宝庫であったのかもしれません。
出雲神族を祖先に持つ氷川神社の神官には、”たたら”の技術が伝えられてきたのかもしれません。

 

○ 谷の鯉 もみあう夜の 歓喜かな 金子 兜太

鯉を見ていたら、こんな句を思い出しました。

金子兜太の句は、池の鯉ではなく谷の鯉ですが、おそらく、幼年をすごした秩父の谷川を想像します。夜に鯉の情景ですから、月明かりを思い浮かべます。鯉が群れてもみあうさまは、生殖活動でしょうか。なまめかしさと躍動する生命力を感じます。金子兜太は、戦場に行って復員した人だと聞ききます。死と向かい合った人が、強烈に発する、生命への肯定のメッセージのように思えます。ここには表現されていないが、鯉の銀鱗が、月明かりに浮かび上がる光景が眼に浮かぶようです。この句はすごい・・

 

大宮公園の梅


 サッカー場、野球場入り口付近

 

梅が咲いています。暖冬で暖かいせいか、散策の人多し・・・


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。