ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

三又沼 あたり

2014-02-24 22:39:00 | 日記

2月22日・・・三又沼にて

 

雪を被った竹藪の竹が、倒れて、地に頭をくっつけています。ほとんどは折れていないようです・・・・・。

 

 

三又沼・・・

 

 

沼の、散策ようの木橋・・・

 

 

沼の辺りに、残雪もいくらか残ります・・・

 

この辺りの、およそ20年ぐらい前の思い出・・・

まだ整備される前でした・・・  横文字の自然公園?の名前もない頃・・・ 沼は、雑草と水草と木立に囲まれて薄暗く、水は淀んでいるように見えました。沼はぬかるみ、底なしのようで、気味が悪かったのを覚えています。荒川の堤防に沿って、砂利道の道路が上流に向かって、続いていました。ところどころに、電化製品の廃棄物やらが転がっていて、・・・不法投棄の場所だったようです。この道を通ったほうが、”ホンダエアーポート”への早道かな、と単純に思って、車を走らせた記憶があります。途中で、対岸のゴルフ場への冠水橋があり、更に行くと、また荒川をまたぐ冠水橋がありました。当時は木の橋でした。渡るのを躊躇していると、反対側から”四駆”が渡ってきて、それから、木の冠水橋を車で渡った記憶があります。調べたら・・・桶詰橋というのだそうです。・・・

三又沼の先の、”ホンダエアーポート”から上流の河原は、桶川の飛び地になります。中世の場合、地域の境界線は、川である場合が多く、荒川が旧荒川流域を流れていた頃、川島と桶川の境界線は市野川だったのだろうと思います。それが、伊奈忠治の”荒川の西遷で”桶川領が荒川を挟んで”飛び地”になってしまった。大宮地区にも同じような”飛び地”が見られます。大宮から治水橋を渡って、川越に入ると思いきや、そこも大宮で、飯田新田とか塚本とか、大宮の区域内になります。この場合は、びん沼川が境界線であったようです。・・・ややこしい・・ですね。個人的な意見としては、経済的生活圏を行政単位にする方が合理的と思いますが、それによって歴史ある地名が消滅したり改名したりするのも、どうかと思います。 ・・・なんて考えながら・

久しぶりに、本当に久しぶりに、降りたら、・・いい公園になっていました・・・。

 

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