ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

四万部寺・札所一番 巡礼の始め ・・・秩父巡礼

2013-06-27 11:59:11 | 史跡

四万部寺 札所一番

四万部供養納経蔵

まず、読み方が分からなかった。そこで縁起板を探し「しまぶじ」と確認します。 ここは札所一番

秩父巡礼は、最初三十三巡礼とされていました。そして、順序も今と違っていたようです。江戸時代、秩父巡礼が人気化し、江戸からの巡礼者が急増すると、彼らのために順序の入れ替えが行われ、江戸からの道順に札番が変更され、併せて寺院の改装や改名までも行われ、さらにひとつ加番されて、三十四巡礼になったそうです。江戸時代の外秩父越えの秩父への峠は粥新田峠(カユニタトウゲ)だそうです。今の定峰峠より少し寄居寄りで、降りてきた取っ付きに札所一番の四万部寺があったのでしょうね。ちなみに四万部寺は二十四番だったそうです。その昔の最初の札番はどんなだったのでしょうか。まさか地元の巡礼順序とは考えぬくいので、どこからの巡礼が多かったのか気になります。

四万部寺の謂われ

「師の遺命により秩父で開山を志した幻通が、京都から十二万部の経文を取り寄せた。だが経文を運んだ一行も山間地ともなるとしだいに重くなり、とても全部の経文を運べなくなってしまった。そこで途中の峠に六万部の経文を埋めて塚を建てた。一行はさらに都幾川に向い、椚村に二万部を埋めて経塚とし、残り四万部を寺に運びこんだ。その後、経文を埋めて開山した寺の名を四万部寺といい、その寺のある場所を四万部山と呼んだという。」

開山は永延2年(988)に天台宗の高僧・性空の遺命によって弟子の幻通が堂宇を建立し、法華経四万部の読経供養を行った

 

門前に旅籠があります。 今でも営業中のようです。

本堂に、彫刻があります。 極楽絵図と地獄絵図です。

 

・・順礼の服装、札所一番の役目・・満願軸、満願巡礼の服装・・・

巡礼の服装は軽装で構わないのですが、気を引き締めて順礼する人のために、順礼の用品や巡礼の服装(おいずり)を整えることが出来ます。札所は、一番と十三番です。団体のかたは、軸、巡礼の服装については、前もって枚数、本数をお申し込み下さい。・・・お申し込みお問い合わせは、札所一番、札所十三番までお願いします。

 四万部寺 札所一番 場所;埼玉県秩父市大字栃谷418