ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

蓮の華 に 句が三つ (前回後日談)

2013-06-17 23:41:51 | 日記

蓮は、どうも陽のなかで咲くのが似合う。

前回のブログの後日談。

 写真は睡蓮です。水蓮とは書きません。

前回、「・裕くん、一句、どうですか・」

と、投げてみたら・・応えてくれた。

○羅漢らもおどけてみせる酔芙蓉      裕

○遠き世の命を今に古代蓮          〃


○水音の晴ればれとして大賀蓮       木魂

 

川越の喜多院に五百羅漢がある。・・・そこそこ有名・・・

羅漢とは、修行して悟りを開いた高僧の石像と聞く。そこは500もの羅漢がひしめき、中には、笑ったり、哀しんだり、怒ったり・・・の顔もある。あれー、修行をして悟りを開いた、えらい坊さんでも喜怒哀楽があるんだ、と妙なことに感心し、修行が足りなかったんじゃないかなんて、不遜なことを思い、思わず「くす」っとしたことを思い起こす。

芙蓉(=蓮)が酒を飲んで酔い、顔を赤らめたさまを、羅漢が見ておどけたのでしょうか。この句は、かなり楽しくて好きです。始めはしろく、あとでピンクに染まる・・こんな蓮もあるのだと知りました。池に蓮が浮き、ほとりに羅漢が何体かある風景の画なのでしょうね。

古代蓮は、大賀博士が昭和20年代に、船橋で発見され、その後20年ぐらいたって、行田でも発見されたと聞きます。同じものです。言葉としては、古代蓮の方が、ロマンを感じます。

俳句については、読む力も、作る力も、素養もありません。素人ながら、語彙から風景を思い浮かべ、季節を感じ取り、そこに動くもの、動物や虫や風などで、情況や叙情を感じれば、自分にとっていいものだということになります。言葉の綾なす画とでもいうのか・・・ですから・・・俳画は好きです。改

 

 

 


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