蓮は、どうも陽のなかで咲くのが似合う。
前回のブログの後日談。
写真は睡蓮です。水蓮とは書きません。
前回、「・裕くん、一句、どうですか・」
と、投げてみたら・・応えてくれた。
○羅漢らもおどけてみせる酔芙蓉 裕
○遠き世の命を今に古代蓮 〃
○水音の晴ればれとして大賀蓮 木魂
川越の喜多院に五百羅漢がある。・・・そこそこ有名・・・
羅漢とは、修行して悟りを開いた高僧の石像と聞く。そこは500もの羅漢がひしめき、中には、笑ったり、哀しんだり、怒ったり・・・の顔もある。あれー、修行をして悟りを開いた、えらい坊さんでも喜怒哀楽があるんだ、と妙なことに感心し、修行が足りなかったんじゃないかなんて、不遜なことを思い、思わず「くす」っとしたことを思い起こす。
芙蓉(=蓮)が酒を飲んで酔い、顔を赤らめたさまを、羅漢が見ておどけたのでしょうか。この句は、かなり楽しくて好きです。始めはしろく、あとでピンクに染まる・・こんな蓮もあるのだと知りました。池に蓮が浮き、ほとりに羅漢が何体かある風景の画なのでしょうね。
古代蓮は、大賀博士が昭和20年代に、船橋で発見され、その後20年ぐらいたって、行田でも発見されたと聞きます。同じものです。言葉としては、古代蓮の方が、ロマンを感じます。
俳句については、読む力も、作る力も、素養もありません。素人ながら、語彙から風景を思い浮かべ、季節を感じ取り、そこに動くもの、動物や虫や風などで、情況や叙情を感じれば、自分にとっていいものだということになります。言葉の綾なす画とでもいうのか・・・ですから・・・俳画は好きです。改