「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

生活者への負担増

2007-09-11 23:46:56 | 日記
今年の参議院選挙前の負担増。定率減税の廃止、老年者非課税措置廃止、住民税額を基準にした国保保険料や介護保険料の増額など国と地方の財源調整の詭弁に隠れたとはいえ多くの国民の生活に不安を与えたのが現実だ。
選挙の結果によって消費税の増税への切迫感はなくなったものの、難問山積の中、政策の供給圧力は弱まることはなく、別の形での負担増は今後も続くだろう。
その一つが、来年4月から40~74歳の全国民を対象とした特定健診・特定保健指導が保険者に義務付けられることによる負担増だ。
多くの企業がビジネスチャンスと捉え動き出していることからもわかるが、何か新しいことをしようとすればお金がかかる。そして、それを誰かが負担しなければならない。
今の国をはじめとする行政にそれだけのお金があるか。ノーである。
多少の補助は行われるものの、多くは保険者、すなわちその加入者である国民に負担は転嫁される仕組みである。国民に納得いく説明がないままに。
さすがに厚生労働省も負担増が現実化したときの批判を和らげようと、先日行われた来年度予算の概算要求に特定健診・特定保健指導にかかる自己負担分を医療費控除の対象とするよう盛り込んだが、国民、とりわけ近年の負担増で疲弊している国民に対する暖かいまなざしは皆無である。
多くの国民が今年6月の負担増に驚いたように、事前に意識することなく、既に決した負担増という形で我々を襲うのを待つのみだ。

舛添厚労相が、「残業代ゼロ制度」と批判を浴びた「ホワイトカラー・エグゼンプション」の名前を「家庭だんらん法」という名前にして、事実上批判をかわそうとしている。
今のところあまり大きな批判・ニュースにはなっていないようだが、国民をその程度と見ているということであり、イメージが一変する事実だ。

安部総理も「灼熱のインド洋で黙々と勤務に従事する自衛隊員こそ、世界から期待される日本の国際貢献の姿だ」として職を賭す覚悟まで示したようだが、生活者、普通に暮らしている国民の姿が全く見えていないことを披露したようなものだ。
安部には、自身の高揚感と国民の冷めた目とのギャップという空気が読めていない。
この法案に衆議院でまた強行採決、強行再議決して理解が得られると思っているのだとしたらこれまた国民をばかにしている。
公務員批判の民意に連動した郵政民営化法案とは明らかに状況が違うことに気づかないようでは、以って瞑すべしだ。

1円領収書

2007-09-07 23:30:13 | 日記
法の対象となる資金管理団体以外の団体に支出をつけかえたり、1件5万円未満の集まりと主張すれば領収書の添付義務を免れる「ザル法」、政治資金規正法。
安部は厳しい民意を意識してか、参院選後、法の再改正を指示し、自民党もすべての政治団体について1円以上の支出すべてに領収書添付を義務付ける考えを一旦は打ち出した。
しかし、ここにきて雲行きが怪しくなってきたという。

「香典に領収書は困難」であるとか「切符や自販機での購入にも領収書は困難」などという主張であるが、これら例外を強調して原則をゆがめるのはもうやめたほうがよい。

国民が求めているのは香典に領収書を求めよということではない。
要は不透明な金の流れをすべて透明にしてほしいということだ。
もはや、国民にとって「1円領収書」問題とは1円以上のものすべてに領収書を義務付けるか否かの問題ではないのである。

実際1円で買える物がどれほどあるかは知らないが、そういったもので領収書が取れないか取る合理性がない場合は明細の記録の添付でも良いではないか。
香典にしても一定金額を超えたら添付で超えなければ添付しなくても良いという性質のものではないのだから領収書に代わる使途明細で良いはずだ。

原則は原則として定め、例外は例外として定める。
これがよりよき未来に向けての議論の方向であり、危機管理である。

「1円領収書」には分かりやすさがある。
改革に前向きか後ろ向きかを象徴する力がある。
このことは、法案の内容を「郵政民営化に賛成か反対か」という分かりやすい言葉で象徴したのと共通する。
未だKYな政治家を抑えてこそ指導力の見せ場というものだ。
この手の象徴化された言葉で表された問題は決して小さな問題ではない。

腐国有毒

2007-09-04 22:01:20 | 日記
年金横領・着服99件で3億4千万円超。(柳沢厚労大臣時代に明らかになったのは、うち1億3291万円)
といっても、3日現在、発覚したケースの集計だ。
氷山の一角という言葉があるが、水面下に隠れ闇に消えた金額は今となっては誰も知ることはできまい。
しかも、社会保険庁だけでなく、市区町村職員まで着服していたという。
市区町村職員が保険料を預かり払い込んだ特例納付の際の着服らしい。
さらに問題なのは、公表せずに隠蔽していた事件、処分をしなかった事件の存在だ。
社会保険庁の50件のケースのうち自発的に公表したのは半数に満たない24件。
横領した職員の依願退職を認め退職金を払って処分しなかったケース。

舛添厚生労働大臣は、これらを「どろぼう」「盗人」と称し、「もし、刑事告発していなければ、今からでも告発する。横領のようなことをやった連中は、きちんとろう屋に入ってもらう」と述べたが、まさに国民の声を代弁したものだ。
中には既に時効になったものもあるだろうが、是非とも有言実行が望まれる。

話し変わって、静岡県のかつての防災船「希望」。
今年2月にエンジンを除く船体を40,000,000円の参考価格で入札するも、結局買手なく、スクラップとして6,584,067円で売却処分。
この度、ようやくエンジンが売却され62,586,425円を得るも、購入額の約22億円を含め総額で約110億円を投じた末路が6千9百万円。差額の109億円に見合う成果があったのかの検証もされないまま幕引きとなりそうだ。
しかも、エンジンのリース代金として毎年1億円を昨年まで支払っていたというから驚きだ。エンジンの売却価格よりも高いリース料というのは異常だろう。
62,586,425円の価値しかないものを100,000,000円を毎年払って借りるというのは国民目線で考える以前の問題だ。(時価625万円の高級車を年間1千万円で借りる人はいないだろう。)はっきりいって不適正契約だ。
貸していた会社は石川嘉延知事様様だったと思われるのだが、県議会もオール与党化して存在価値を失った今、すべてが闇に消えてしまうのだ。
無責任と無反省と無言が支配する国へ。
これが石川県政のめざす腐国有毒の実践だ。
今、そしてこれからも現実化していくのだろう。

(無題)

2007-09-01 00:57:44 | 日記
補助金詐欺ともいえる組合の代表の遠藤農水大臣、補助金交付団体の代表からお小遣いをもらっていた厚生労働省松嶋前九州局長。
早くも安部、舛添両人を試すかのような問題が発生した。
はっきりいってこの程度の問題をクリアできないようでは国益を守ることなど到底できないわけで、早かったのは幸いかもしれない。
国民の目線に立てれば難しいことではないのだから。

もっと本質的で難しい問題ともいえる事件は奈良の妊婦死産事件だろう。
昨年8月には妊婦自身がたらいまわしにされ死亡している。
医師自体が不足している現実から目を背け、厚生労働省は未だ偏在などと詭弁を弄し自らの政策の過ちを認めようとはしない。
官僚に過ちなし、過ちなければ責任なし。この不遜な姿勢が国民不在の行政を存続させている。
期待されているのは破壊者だ。現状維持は罪だ。破壊は素人でもできるのだから、よくよく考え何事も効果的にひっくり返していただきたいものだ。

今日は防災の日だが、私は発災時にも本来の業務である感染症対応に従事しなければならないため今年から防災要員をはずしてもらったため、普段と変わらない静かな土曜日であった。
しかし、県庁には激震があったようだ。
知事が口腔内のがんのため入院するという。
生命に直結するような状況ではないようなので大勢に影響はないが、意欲を見せていた5選には異論が出そうだ。
彼には生きて空港の現実を見てもらわなければならない。
死んでもらっては困る。早く完治してもらいたい。

明日は久しぶりに空港建設地を見に行くことに。
何年ぶりかとなるので、どのように変わっているのか・・・
感想・報告は後日。