今日来た仕事には、クライアントからの注意書きとして「漢字、平仮名、カタカナを適切に使用して」とありました。でも、それって普通に常識だし、20年弱、翻訳業をやってるけど、そんな注文があったのは初めてなので、やや面食らいました。でも、考えてもたら、日本語を母国語にしていれば当然のことだけど、日本語初級、中級レベルで、しかも元々が漢字圏ではない人にとっては、漢字、平仮名、カタカナを適切に使うというのは、なかなかハードルの高い部分かも?
少し違うけど、「Cost」という単語を費用とするかコストとするか、とか、「Seat」を座席とするかシートとするか、なんてのも、適切な訳語に悩むところです。その文章の内容や目的、トーンで自然と決まる場合もありますが、翻訳者のセンスや、クライアントの好みを予想する知識が要求される場合もあります。これは、別にクライアントの心を読む超能力じゃなくて、依頼者である組織の種類や職種、業界のスタンダードや、クライアントのウェブサイトから日本語漢字表記と横文字をカタカナにした言葉のどっちが多いかで判断することです。それでも、後から「です・ます」調を「だ・である」に変えろ、グーグルはカタカナにせずにGoogleにしろ、顧客はクライアントに変えろ、とかってのは頻繁にあります。
不思議と中途半端な大きさの組織が依頼者であるときに限って、恐らくはオフィスの日本人が指摘するのでしょうが、「こんな翻訳は間違ってる!下手すぎる!」と、翻訳を付き返してくることがあります。こういう場合、正当な誤訳の指摘ならば兎も角、「いちゃもん」としか言いようのない理不尽な注文である事が殆どで、そんな時には、自分で訳したらあなたの会社もわざわざ高い翻訳料を払わなくて済むのに、と、思ってしまいます。だいたい、私が今の仕事を始めたのも、元々は本来の仕事の合間に書類の訳をしていて、出産を機に仕事を辞めた後も、元の職場から引き続き訳を頼まれたのがきっかけ。それこそ、Seatを座席じゃなくてシートと訳したから、「すべて」を漢字で「全て」を書いたから間違ってるなんてレベルで文句を書いてくる暇があったら、訳をする時間くらいありそうなもの。翻訳者側もプロとして、お客様に満足していただける仕事をお届けすべく、こういった不満にはきっちり対応しますし、それに備えてますので、中傷レベルで翻訳を突き返したと認められる場合には、手数料として追加料金が課されることも稀にありますので、クライアント側にも責任が有ることを承知しておくべきかもしれません。
プロの訳をけなすのは、マンガやアニメをボランティアで翻訳しているファンの間でよく見られる傾向です。きっと、自身の日本語・英語能力をひけらかしたいのでしょうが、実際には、第三者の目から見れば、日本の慣習や歴史を知らずに訳してたり、諺や四文字熟語の意味を汲み取れていなかったりと、結局は自分たちの自己満足であることも多い。プロはお金をもらってるぶん、下調べも十分にしていますし、いい加減な仕事はしていないものです。クライアントと翻訳者の一対一の関係なら、対応の仕様もありますが、なまじっかな日本語知識を持つファンが、勝手にネットなんかで文句つけてくる場合は、一方的な中傷と何らかわりはありませんから、翻訳者は凄いストレス溜まるだろうなって思います。
ところが、出版されているアメリカの小説の翻訳を読むと、アメリカで生活してたら誰でも直ぐピンとくるようなことが全く反映されずに、不自然な日本語で訳されていることが多くて驚きます。ちょっとは裏を取ればいいのにと。ネットでいくらでも調べられるんだから、ちょっと不自然だな、とか、おかしいと思ったら、ググればいいのに。私が読んだ中で、そういった点が特に気になったのはパトリシア・コーンウェルのケイ・スカーペッタのシリーズですが、最近、とある犬の躾の本で、子犬のしつけに「木箱」を使えって、何度も書いてあるのを見て、かなり驚きました。多分、オリジナルは「Crate」だったのでしょうが、犬の躾に使うクレートってのは、木箱じゃなくて檻のことですぜ…
少し違うけど、「Cost」という単語を費用とするかコストとするか、とか、「Seat」を座席とするかシートとするか、なんてのも、適切な訳語に悩むところです。その文章の内容や目的、トーンで自然と決まる場合もありますが、翻訳者のセンスや、クライアントの好みを予想する知識が要求される場合もあります。これは、別にクライアントの心を読む超能力じゃなくて、依頼者である組織の種類や職種、業界のスタンダードや、クライアントのウェブサイトから日本語漢字表記と横文字をカタカナにした言葉のどっちが多いかで判断することです。それでも、後から「です・ます」調を「だ・である」に変えろ、グーグルはカタカナにせずにGoogleにしろ、顧客はクライアントに変えろ、とかってのは頻繁にあります。
不思議と中途半端な大きさの組織が依頼者であるときに限って、恐らくはオフィスの日本人が指摘するのでしょうが、「こんな翻訳は間違ってる!下手すぎる!」と、翻訳を付き返してくることがあります。こういう場合、正当な誤訳の指摘ならば兎も角、「いちゃもん」としか言いようのない理不尽な注文である事が殆どで、そんな時には、自分で訳したらあなたの会社もわざわざ高い翻訳料を払わなくて済むのに、と、思ってしまいます。だいたい、私が今の仕事を始めたのも、元々は本来の仕事の合間に書類の訳をしていて、出産を機に仕事を辞めた後も、元の職場から引き続き訳を頼まれたのがきっかけ。それこそ、Seatを座席じゃなくてシートと訳したから、「すべて」を漢字で「全て」を書いたから間違ってるなんてレベルで文句を書いてくる暇があったら、訳をする時間くらいありそうなもの。翻訳者側もプロとして、お客様に満足していただける仕事をお届けすべく、こういった不満にはきっちり対応しますし、それに備えてますので、中傷レベルで翻訳を突き返したと認められる場合には、手数料として追加料金が課されることも稀にありますので、クライアント側にも責任が有ることを承知しておくべきかもしれません。
プロの訳をけなすのは、マンガやアニメをボランティアで翻訳しているファンの間でよく見られる傾向です。きっと、自身の日本語・英語能力をひけらかしたいのでしょうが、実際には、第三者の目から見れば、日本の慣習や歴史を知らずに訳してたり、諺や四文字熟語の意味を汲み取れていなかったりと、結局は自分たちの自己満足であることも多い。プロはお金をもらってるぶん、下調べも十分にしていますし、いい加減な仕事はしていないものです。クライアントと翻訳者の一対一の関係なら、対応の仕様もありますが、なまじっかな日本語知識を持つファンが、勝手にネットなんかで文句つけてくる場合は、一方的な中傷と何らかわりはありませんから、翻訳者は凄いストレス溜まるだろうなって思います。
ところが、出版されているアメリカの小説の翻訳を読むと、アメリカで生活してたら誰でも直ぐピンとくるようなことが全く反映されずに、不自然な日本語で訳されていることが多くて驚きます。ちょっとは裏を取ればいいのにと。ネットでいくらでも調べられるんだから、ちょっと不自然だな、とか、おかしいと思ったら、ググればいいのに。私が読んだ中で、そういった点が特に気になったのはパトリシア・コーンウェルのケイ・スカーペッタのシリーズですが、最近、とある犬の躾の本で、子犬のしつけに「木箱」を使えって、何度も書いてあるのを見て、かなり驚きました。多分、オリジナルは「Crate」だったのでしょうが、犬の躾に使うクレートってのは、木箱じゃなくて檻のことですぜ…