思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

NHKの音楽解説者の無知には呆れました。クルレンツィスは民主的でない指揮者!?(笑)

2019-01-04 | 芸術


 1日のウィーンフィルによる恒例のニューイヤーコンサート(マンネリであまり面白くないですが)の後で、

音楽評論家のような人が、世界中で高評価のクルレンツィスに注目、と言い、現代に珍しい民主的でない指揮者と話しました。うむうむ、なにも知らず、聴けていない=見えていない人で、NHKの解説者としてはピッタリと変な納得をしてしまいました(笑)。

 かつてのカラヤンがつくったのは全体主義のような音楽ですが、クルレンツィスのはアベコベなのですよ。
 例えばモーツァルトのレクイエムを聴けば、歌手も奏者も一色で全体一致のカラヤンはファシズムのようですが、昨年、ザルツブルク音楽祭でのクルレンツィス+ムジカエテルナのライブを聴くと、歌手もオケも個性と自由をもって歌い奏しているのがよく分かります。つくられる音楽は、命令による一致ではなく、曲のもつイデーへの共感による一致なので、聴く者は、指揮者の自我とそれに従う演奏家の世界に引き込まれるのではなく、曲のイデーに直接触れるかのようで、深い感動を持ち痺れるのです。

 要するに、運動会や軍隊のような機械的な統一・マスゲームのような統一(そういうものに感動するタイプの人も多いですが)でしかない昔のクラシック音楽とは異なり、一音一音が嬉々として輝き、生きている音楽を生みだすのがクルレンツィスなのです。宗教の教祖のような絶対ではなく、ソクラテスのフィロソフィーのような納得をつくるのです。これをして民主的ではない指揮者!?とはな~~にも知らない人で、さすがNHKの解説者ですが(失礼)、彼のようなアベコベの見方の人も多いのでしょう。

 民主主義には、稟議制(みなでガヤガヤやりながらまとめる)とリーダーシップ制(皆が認める人が中心になりまとめる)の両方があり、意見・考えの合意のつくり方は、その二つでは大きく異なるのですが、どちらが適当かは、分野や目的により決まります。
 リーダーシップ制で、もし皆の共感や合意がつくれないなら、リーダーば辞めるしかなく、そこに権力的な上下関係(パワハラ)がないのが民主主義なのです。

 もう少し、物事や言葉の意味を学んでほしいものです。

第九の練習風景と公演のラスト2018(必見です)。



武田康弘

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