武田先生
私もいまだにいろいろ本を読んだり、学会へ行ったら恩師と勉強したりしておりますが、現実のレベルで武田先生の行っている運動が現実生活を活きる上で最も納得できるのです。それは如何に崇高な学問を構築しても現実生活から乖離していたらそれまでの話しです。
つまり純粋学問の探求は大切なことですが、私の望んでいることはそれだけではないということです。
その武田先生の哲学の根幹・柱をきちんと理解して、先生や皆さんと共に新しい哲学を開く橋げた(架け橋にはなれませんが)ぐらいにはなれたら良いと思います。難しいですね。(笑い)
【武田哲学の柱】
次元1.「自我の考察の問題」、「哲学的な実存論(哲学的エロース論)」
⇒よく活きる、楽しく、気持ちよく活きる、活き方にかかわる次元のこと。
峻別→-------------------------------------------
次元2. 「知の次元の問題」、「哲学的知の目的論(哲学的知性論)」
⇒知の目的である①「主観性の知」の次元と、知の手段である②「客観知(学)」の次元の違いを
明晰に自覚すること。
次元2-① 「主観性の知」⇒知の目的
峻別→---------------------------------------
次元2-② 「客観知(学)」⇒知の手段
次元1「自我の考察の問題」と次元2「知の次元の問題」は別次元
次元1 ≠ 次元2 次元1と次元2は哲学的な価値次元の高低はない
次元2中の次元2-①「主観性の知」と次元2-②「客観知(学)」は別次元
次元2-① ≠ 次元2-② (哲学的な)知の目的は 次元2-① であり
次元2-②ではない
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それに、先生と石橋さんのこと共感できたことは嬉しいことです。
私の研究もがんばらなければなりません。正に哲学者かくあるべし
で白樺思想と石橋さんの思想はやはり近いですね。
以下は感想です。
先ほどブログ拝読、石橋さんへの言及共感しました。『石橋湛山評論集』を読まれてのことですね。確かに石橋さんは、英米の哲学だけでなくルソーを始めフランスの哲学から影響を受けました。(ベルグソンなど)そして、田中王堂から指導を受け自らの思想を確立したわけです。
このような『民主主義・平和主義・自由主義』の思想家・言論人があの時代に日本にいたことは誇りです。戦後は、保守党の第二代総裁で総理大臣にまでなったのですから。ここのところが興味深いし大切です。
また、世界的にみても一国の宰相が、全集15巻にも及ぶ言説を公にした人は世界でも石橋さんだけでしょう。山県有朋を「死もまた社会奉仕」と言ったことは正に痛快です。今のジャーナリズムの低レベルには困ったもので、比較になりません。
さらに、石橋さんは官僚批判と共に現代的な文脈に耐えることの出来る初めての地方分権論を主張した人でもあります。
内田卓志
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内田さん
そうですね。
「生活世界」という海の中に「学」の小島はあるのだ、という強い自覚と言明がどうしても必要です。
うむ~、「武田哲学の整理」ですね。いろいろありがとう。
武田
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武田先生
こちらこそご多忙中にしつこく伺いまして失礼しました。
今後とも同朋同行でお願いします。
同朋同行と言えば親鸞聖人ですが、親鸞聖人は日本人の心の故郷のような人ですね。五木寛之さん親鸞を書き、今村仁司さんの遺著が親鸞です。
内田
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内田さん
あれだけ赤裸々に自己を見つめ、裸になり、しかも少しも崩れない。
世界の実存哲学の最高峰!にしてかつ宗教者。天皇制国家権力と根源的に闘い、しかも少しも過激ではないのは、彼が真の主体者として実践と共に生きたからでしょう。
どのような対象化(客体化)も色あせる能動性=主体性は、他力本願という深き受動性から生まれたのですが、これほどの深みをもつ人は、世界にもいないでしょうね。
武田
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武田先生
まったく賛成です。私も学生の頃から『歎異抄』を読んでどれほど感動したかしれません。
確かに『教行信証』は引用も多く大変難しいですが、いつか読破したいと思ってます。親鸞聖人の声がきっと聞こえるでしょう。正に、世界に誇りうる大人物です。憧れてやまない方です。
「悪」や「罪」の問題をこれほど深く思索した思想家はいなく、煩悩具足の凡夫の私には大変な救いになる方でもあります。
内田