いまの『日本国憲法』は、明治の「自由民権運動」から地下水脈として脈々と受け継がれてきた民主主義思想が結実したものであること=最良の日本人たちのリレーの上にあることを、2月10日(土)夜10時~11時30分放映のNHK(教育テレビ)・ETV特集『焼け跡から生まれた憲法草案』は、見事に示してくれました。
アメリカ占領軍(GHQ)が日本政府に示した憲法案は、高野岩三郎・鈴木安蔵ら七人の民間人がつくった憲法草案を下敷きにしていて、その思想内容はいまの日本国憲法そのものですが、彼らが日本国憲法草案をつくるにあたり、一番大きな影響をもったのが、明治の自由民権運動の思想家、植木枝盛の私擬憲法草案でした。
(ソフィーの世界の訳者である池田香代子さんの講演文もご参照下さい・クリック)
では、植木枝盛の思想とはいかなるものであったのか?
以下に、家永三郎著「革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想―」(岩波新書1955年初版・現在は絶版)を参照して、簡潔にまとめてみましょう。
植木枝盛(うえきえもり)は、1857年1月20日、土佐(現・高知県)生まれ。一人子で激しいいたずらをする悪童であった。父の直枝は、国学に造詣が深く、枝盛の学問好きは、父譲りのもの。1890年(明治23年)に第一回衆議院議員選挙に当選。1892年(明治25年)36歳で病死(毒殺説も)。
若き頃、福沢諭吉の近代精神―啓蒙思想に影響を受けるも、藩閥政府の専制的開明政策に協力する姿勢をもった福沢ら啓蒙思想家の事なかれ主義には満足しなかった。
大久保利通や伊藤博文等と「官民調和」の相談をする福沢は、明治政府を日本近代化の推進者とみていたが、植木枝盛は、
「今の政府は文明開化をはかっても、私利のためであり、国民のためにはなっていない、人民を拘束するための細かい法令をつくりながら、政府の人民に対する圧制は依然として続けられている。維新の改革は政府の変革であって、単に治者と治者の間だけのできごとに過ぎず、被治者には何の関係もないことであった。明治政府は専制政府であり、明治維新は家を建てようとして牢屋を建てたようなものである。」(1877年~81年・明治10~14年の論説の要旨)
として、福沢ら啓蒙思想家の維新観と鋭く対立した。
1876~77年(明治8~9年)に明治政府による激しい言論弾圧があり、枝盛も新聞への投書「猿人政府(人を猿にする政府)」のために禁固二ヶ月の刑に処せられたが、強靭なる精神は、かえって弾圧によって鍛えられていく。枝盛は政府に対する反抗の決意を一層固くし、板垣退助と意気投合し、板垣のつくった立志社に入り、土佐自由民権運動の組織に身を投じ、文筆と実践の両面から民主主義改革のために挺身することとなる。枝盛は板垣にはなくてはならぬブレーンとなり、民権派の最も有力な理論的代表者に地位に就いたのであった。
「古今の書物はみな糟粕なり、顧みるに足らず」と公言し、欧州に遊学し学んだとてそれだけでは何の役にも立たぬ。それよりも民主主義化した主体的精神を持っているかどうかが問題であるとして、「ロンドン・パリにて学問してきたるものは畏るるにたらず、心中にロンドン・パリをつくるものこそ恐るべけれ」と言った。ルソーの社会契約説も、ベンサムの功利主義も、別にヨーロッパ人の専売特許ではなく、東洋にもその思想的伝統を求め得る普遍的真理であるとし、どこまでも日本的現実立脚した自己の主体性の上に、その思想を形成しなければならないことを自覚して、独自の思想を築き上げていった。
枝盛は、単なる実践的活動家ではなく、職業的文筆人も及ばぬほどの著作を書き続け、充実した思想の体系を残した。彼の場合、思想と実践とは分かつことのできない一体となり、社会問題・家族制度・風俗改良等について驚くべき民主的見解を示した。子どもの独立原理、男女の完全なる平等、家父長制度・長子相続の廃止、などすべてにおいて徹底している。また、封建制の風俗の象徴としての「おじぎ」を廃止し、代わりに「握手」を奨励、徳川の政略による「あきらめ」主義への痛烈な批判等々は、すべて合理主義的生活改良の目標から出ている。娼婦を毎夜抱いた枝盛が女性解放を唱えるのに疑義を挟む人もいるが、逆に女性のために心魂を抜き去られるほどの多情多感な人物だからこそ、全力で女性解放に取り組んだ、とも言えよう。
彼の憲法草案は、立憲君主制で、天皇の存在を認めている(ただし「皇帝」と改名)が、自分と天皇をまったく平等の存在と見なしていて、民主的機構さえ確立しておけば、当分の間存置しておいて問題はない、やがては共和制に移行するのが理想、と考えていたようである。「君主はこの俗世界の政治にあずかるものである。日本の天皇陛下が神であるならば、すみやかに日本の政治法律世界を抜け出し、一瞬でも早くこの穢れた国家をお離れ遊ばして、清浄無垢の天に行ってしまわれるようにして上げずばなるまい」(1881年・明治14年)
また、国民の公論によって政治を行うためには、なるべく国家を小さくする必要があるとし、日本を幾つかの州に分けて自由独立を保障する=連邦国とするのが望ましい、とした。人権については極めて強く配慮し、特に警察の人権侵害に対しては神経質にならずにはいられなかった。死刑も廃止している。憲法草案の冒頭・第一編は、「国家の大則及び権利」である。「皇室及び皇族」については、ようやく第四編で取り上げられている。
植木枝盛は、国家の主体を人民に求め、人民の主体性にもとづいて国家を運営していくとし、また人が自主独立を保つためには、財貨がなければならず、経済の理を軽んじてはならぬとした。私有財産の権利を謳う枝盛の思想は、面白い事にいま私(武田)が参照している家永三郎の「革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想―」において、まだ「社会主義」にまで至っていない弱点として語られているが、逆に左翼よりもはるかに「進んで」!いたわけだ。
国家の主体は人民であり、政府はたんに人民に雇われてその事務をとるにすぎないとした枝盛は、「人民の力が衰えれば国の力も衰えることは議論の余地がない、国とはもともと人民が集まってできたものであるから、国の権を張るには、まず人民の権を張らねば、ほんとうの国権は張り切れず、人民の独立がなければ、国家の独立もおぼつかない」(要旨)と『民権自由論』で述べている。
また、福沢諭吉の態度(「日本の権利を外国に主張していくためには、国内の人の苦痛などかまっていることはできない・・国権伸張のためには東アジアの隣国を犠牲にするのもやむをえない」として「官民調和」を主張)を批判し、「福沢の態度は、ただ自ら官民の中間にたって、一種の方便を用いようとするものであって、その言は理を失えるもはなはだしい。元来、国は民権のために立てたものである。故に人民が国家などいらないといえば、国家はなくてもすむのである。民権は国権の奴隷ではない。民権を張ろうとするのは民権を張るためのみで、国権を張るものもまた民権のためにこれを張るにすぎない」(1880年・明治13年)と主張した。
彼の哲学は人間の内に神性を認めるものであり、キリスト教の核心である神の前におののく罪人という意識は全くなかった。人の能力は使えば使うほど発達して、けっして限界はないという確信をもっていた。「ああ大いなるかなこの人間、ああ大いなるかな人間の力、天上天下に貴重高大にして有力有勢の者は、それ唯人間か」と人間賛歌を謳った。
最後に、
家永三郎は次のように述べている。
「彼(植木枝盛)が横文字を解さなかったのをとり上げて、彼は西洋の学問や思想を正確に理解しなかった、というふうに批評するものもあるようだ。・・しかし、外国語に熟達するというのは、たんなる技術であり、真理を獲得するための手段にすぎない。いったい横文字を自由自在に解した学者たちの誰が、彼以上の高度の民主主義精神に到達したというのであろうか。明治30年代の以前の知識人の中から実例をあげてもらえたら、幸いである。むしろ、横文字を自由に解した学者たちの多数は、その尊い武器を逆用して、専制政治や反民主主義の政治のために忠勤をぬきんでたのではなかったか。・・彼は、横文字を解さなかったにもかかわらず、横文字を解した何人よりも、西洋近代精神の精髄を的確に把握することに成功したのである。われわれはそこから無限の教訓をくみとるべきである。」
武田康弘
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