対米戦争を実際上決定したのは、東条英機ではなく昭和天皇であることは、長く封印されていた第一級資料に基づく実証的歴史学が教える事実です。裕仁天皇は、戦争回避の「軟弱」な近衛文麿を辞めさせ、お気入りの東条英機を首相にし対米戦争に踏み切りました。天皇を生き神として崇拝していた東条が、天皇裕仁の意思と異なる決定をすることは不可能でした。
アメリカは、東京裁判による戦後処理で、裕仁の戦争責任を免責し、戦争の最高責任者を首相であった東条英機一人に負わせることにしましたが、それは、日本をアメリカの同盟国(実際は属国)としてつくり直す戦略によります。東条が処刑された七日後に、皇居からの勅使が東条家を訪れ、勝子夫人に「東条は本物だった」と天皇の言葉を伝えたのは、東条が何もしゃべらずに一人で罪を背負い死んでいったことへの謝意でした。
天皇裕仁は、マッカーサーと握手することで、皇室を無傷で残し、アメリカ駐留軍と自らの意思により、日本人と日本全土のコントロール(支配)に成功したわけです。
昭和天皇は、幼いころから「天皇絶対の帝王学」を学び身に付けていましたから、日本の国体(皇室の存立と日本国とはイコールである)を守ることは、全てに優先しました。原爆投下の時も、まず最初に心配したのは、アメリカ軍の上陸によって「三種の神器」を奪われないか、ということでした。
一人ひとりの「個人」の意思で日本という国をつくるという欧米の社会契約の考えほど日本に合わないものはありません。神話から続く連綿たる天皇中心は、日本の国体そのものですので(もちろん史実ではありませんが)、主権者を個人としての国民とする民主主義は、日本の国体を破壊するものであり、決して許されません。日本人は「個人」ではなく、あくまでも日本国民という集団の一部であり、それは古代からの神話を受け入れて、天皇中心の国を守る「人」でなければなりません。自民党の新憲法案が「個人」という言葉を消し「人」にしたのには、そういう背景があるのです。《自由と責任をもつ個人の育成》を柱とするわたし(ソクラテス教室・白樺教育館)の教育理念+実践とは正反対です。
日本人という塊があるのであり、個人の意思が日本をつくるのではない。これは明治維新政府がつくったイデオロギ-(近代天皇制=靖国思想=国体思想)なのですが、いまなお絶大な力で、政治と人々の心を縛っています。現在「神社本庁」が喧伝しているのは、この明治維新政府の思想です。
明治維新政府は、平等思想と平和主義の仏教を廃し、神道(明治政府が新設した国家神道の総本山が靖国神社)による新たな国づくりをしました。いわゆる「廃仏毀釈」です。日本に律令政治を起こした聖徳太子(厩戸皇子)が「十七条の憲法」で、神道を排して仏教による国づくりを宣言したのとはアベコベです。明治維新政府とは、このように日本の文化と伝統の破壊者でしたので、いまの天皇夫妻や皇太子夫妻は、この国体思想=靖国思想を忌避しているわけです。
こういう歴史的背景を知れば、臣民であり、天皇の赤子であった戦前の日本人の精神状態が分かります。『教育勅語』は、日本独自の「忠」(上位者への恭順)という絶対道徳を現実のものとするための方途として個々の道徳律を掲げ、それを韻を踏んだ文章にしたものです。政府は、文章の添削を文豪・島崎藤村に依頼しました。
この天皇現人神思想による『教育勅語』の威力は絶大で、日本人は、白旗を掲げて負けを認めることは恥であり、玉砕し、女も子供も死ぬのをためらわない人になるように躾られたのです。「武士道とは死ぬことと見つけたり」。まさしく「忠」の精神の発露です。今なお忠臣蔵や忠犬ハチ公はアイドルですし、部活では先輩の命令は絶対ですし、過労で死ぬまで働くのも日本人です。上位者に忠誠を誓うことは、日本人の根本道徳であり、個人の自由と責任意識を基底とする古代アテネ出自のフィロソフィー道徳とも、みなが唯我独尊だとするブッダ(釈迦)の徹底した実存的=民主的倫理とも全く異なります。正反対の思想です。
維新という革命で、日本を新たに支配するシンボルとされた天皇家は、江戸城に住むことになった(維新の志士により暗殺されたと言われるオサヒトの子は16歳で京都から連れて来られ、伊藤や山県らに明治天皇になるべく教育された)わけですが、その皇居の目の前にある「近代美術館」に、藤田嗣治の渾身の大作『サイパン島 同胞臣節 全うす』があります。わが日本人同胞は、臣民道徳をまっとうし、捕虜とならず、全員が死を選ぶのです。まさに『教育勅語』の最高の成果です。
写真は4月4日 武田撮影。近代美術館で。ソニーRX-1R(ゾナー35mm)
下は、「アッツ島玉砕」 データは同じ