思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

マーラー交響曲9番 わたしの愛聴盤は、ジョナサン・ノット指揮 バンベルク響です。

2020-08-16 | 芸術

マーラーの9番、最後の交響曲ですが、わたしは、とても好きです。1楽章から終曲(4楽章)まですべて好きです。最期の消えゆく音の美しさは、なんともいえません。

手元にあるCDは、8枚です。

バルビローリ・ベルリンフィル。
クレンペラー・フィルハーモニー。
バーンスタイン・ニューヨークフィル。
バーンスタイン・ベルリンフィル
カラヤン・ベルリンフィル。
テルソントーマス・サンフランス響。
小沢征爾・サイトウキネン。
ジョナサンノット・バンベルク響

1番よく聞くにのは、ノット・バンベルク響の演奏です。解析力が最高ですが、冷たさは皆無で、人間的な愛に溢れ、マーラーの音楽イデーがもっともよく分かります。深く考え抜かれ、誠実で、曲と作曲者への敬意を感じますが、親しみがあり聞きやすいのです。

カラヤンのは、マーラーの哲学など関係なく、見事な音響の追求と自己への耽溺があります。この自我主義の極北は、競争主義の現代人に合っているのようです。

小沢・サイトウキネンは、カラヤンの日本版(すっきり)のよう。見事な音響があり、「音楽に思想や哲学はいらない」という宣言のようでもあり、音響的なシャープさと迫力があります。カラヤンも小沢も曲の意味・真髄からは遠く、この意味に満ちた長大な交響曲を彼らの演奏で最後まで聴くのには、忍耐が必要です。小沢の悲しみは、生(なま)の悲しみで二次化(高次化)されていません。 意味を味わうという聞き方をしないで、流れゆく音としての音楽に浸るように聞けばよいのでしょうが、それではあまりに哀しい。

この曲の真髄、よい意味での恐ろしさを教えてくれたのは、クレンペラー最晩年の録音でした。クレンペラー83才、1967年の演奏です。形而上的名演というほかなく、心身の奥深くから感動し、痺れてしまいます。ただ、ノットの演奏のような親しみはありませんので、連続して聞くことはできません。ほんとうに凄い演奏です。

というわけで、ジョナサン・ノットが指揮するバンベルク響をよく聞きます。9番(2枚組のSACD)が気に入りましたので、その後で全集を買いましたが、3番も最高の演奏で、一番のお気に入りになりました。


武田康弘

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