きぼう屋

生きているから生きている

クリスマスの希望

2009年12月13日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言

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「クリスマスの希望」

本日午後はいよいよ子どもクリスマス。
年々参加者が増えている行事。
今年も丁寧に参加者をお迎えいたしましょう。

神さまは、集まられる子どもと親にクリスマスの希望を伝えます。
子どもも親も希望を必要としています。

親子はかかわることから逃げることが許されない決定的な人間関係です。
だからこそいつも困窮だらけです。
子どもの成長、教育のこと、愛し方、接し方など、
なにをどこまですべきか、すべきでないか、
かかわるほどにわからなくなります。

だからクリスマスの希望が必要です。
クリスマスは平和を起こします。
それは権力と貧困からの解放として起こされます(以上ルカ書「マリアの賛歌」)。
権力とは神以外の力です。
この時代、この社会では、
実は自分自身の力が権力として神に対峙します。
自分の理想、感覚、感情、方法など、
子育てに限らず、人とかかわり人を愛することにおいて、
私たちは自分のそれらが通用しない不安の中で深い困窮を味わいます。

また貧困は生命維持に全神経を集中せざるをえない状況に人を追い込み、他者との関係を壊します。

そんな中で「神にできないことはない(ルカ書)」とクリスマスが起こされます。
それは、「主イエスが共にいます(マタイ書)」という仕方で起こされます。
つまり赤ん坊の主イエスゆえに、私たちが主イエスとかかわることから逃げることが許されない状況を与えられつつ、
しかし
逆に、
だからこそ!
主イエスが必ず共にいてくれることによって、
私たちが赦され解放され、
自分の力ではなく主イエスの力を頂き、
主により愛しかかわる凄みを驚きつつ喜び、
ゆえに他者とのかかわりは貧困を補いあうほどまでに具体的にひろがり、
ますます主イエスの愛がひろがるというクリスマスの希望を知ることとなります。

そして当教会では
次週の礼拝で2名の仲間が信仰告白とバプテスマを予定しています。
主の愛によるひろがりの究極の出来事です。
この希望をたくさん頂きつつ、
祈って祈ってクリスマス礼拝を迎えたいと願います。

希望は満ちています!!