拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

90年代少年マガジン的熱さ

2008-10-04 10:34:51 | 漫画
『HUNTER×HUNTER』26巻を読んだ。26巻収録部分は当然ジャンプでチェック済み。多くの読者を論争に巻き込んだキルアの「『それはどっちの?』問題」の真意や、やっと再会したゴンとネフェルピトー、ピトーの急激なデフレ(?)など、今回も重要ポイントの多い内容だったが、この巻の多くの部分を占めるはナックル・シュートVSユピーだ。
細部に渡る駆け引きや心理を逐一追った描写に沿って進む両者のバトルは、「あの、終わってから結果だけ教えてもらってもいいっすか?」と思わなくもなかった。…長いよな、本当。で、ここの部分が『HUNTER×HUNTER』に珍しく暑苦しいセリフ満載。「生きろよ!!シュートォ!!死ぬなァアーー!!!」「必ずオメーの分も!!ぶち込んで来っからよ!!!」「畜生ッ!!!あの野郎…オレを…オレを…ゴミみたいに見やがった」…この熱さは『ジャンプ』どころか『マガジン』の血みどろ漫画のノリだ。しかも最盛期だった90年代の。
「友情・努力・勝利」なんてフレーズを掲げてるから、『ジャンプ』は少年誌で最も熱い漫画のような印象がある。しかし『ジャンプ』の熱さは常に何処か少年的であり、ある意味クールと言ってもいいほど爽やかなものだ。主人公達には思春期的なモヤモヤは薄く、スカッとしている。無邪気な子供がそのまま大人になったような『ドラゴンボール』の悟空が典型例だろう。そして『HUNTER×HUNTER』のゴンも。一方『マガジン』の熱さは思春期的。コンプレックスにも性欲にもドロドロにまみれたある種のやるせなさが、『マガジン』、特にヤンキー系の漫画の熱さに繋がっている。そしてその熱さは、時に『ジャンプ』の熱血路線を凌ぐのだ。ヤンキーの世界なんて自分には無縁だけど、何故か入れ込んでしまうのだ。思春期的だから。
ルックスからして『マガジン』や『チャンピオン』のキャラっぽかったナックルの熱さは、『HUNTER×HUNTER』26巻で遂に沸点に達した(多分)。強大な敵・ユピーに、シュート共々ゴミ扱いされたナックルは、その屈辱感を払拭しようとにブチ切れる。それは90年代の『マガジン』を彩った、『カメレオン』『湘南純愛組!』等でのヤンキー同士のバトル、『特攻の拓』の壮大な「族」の抗争、『サイコメトラーEIJI』でのチーマー相手の殴り込みシーンを彷彿とさせる。ただ、『HUNTER×HUNTER』には常に第三者目線のナレーションが挿入されているので『マガジン』的熱さは緩和されているが。
それにしても、『HUNTER×HUNTER』って本当に色んな種類の漫画の要素が混在してるなぁ。キメラアント編は『寄生獣』との類似がよく指摘されてるし、絵的にはザ・『ジャンプ』な奴、『コロコロ』っぽい奴、渋い劇画っぽい奴、アニメキャラっぽい奴、少女漫画っぽい奴など様々だし、必殺技の名前はオカルト映画・漫画・小説からの引用だし、詳しくないからわかんないけどゲームからの引用も多いだろうし……。冨樫って本っっっ当にオタクなんだなぁ…(『テレプシコーラ』とかもチェック済みなのかな)。そりゃ漫画描く暇ねーわ(失笑)。
…そういえば、コムギを治療するピトーを見て、瞬時に状況を把握したキルアの思考力は「この女、王と子作りしたんだろーか…」ぐらいの考えにまで及んだのだろうか。王と軍儀やってたなんて知らないわけだし。


■「それはどっちの?」問題
「計画を実行しに行こう」「ピトーを殺しに行こう」のどっちか。幼い頃から人殺しをさせられ続けてきた闇の子供・キルアは、光のようなゴンの心に何度も救われた。故にゴンの心がピトーへの復讐心で満たされて一気に闇に転じる事を恐れている、というか寂しいと思っている。しかし、変わり果てた姿になったカイトを見たゴンが「アイツはオレ一人でやる」と言った場面、モラウに「俺を仇と思って殴れ」と言われた場面などのゴンの瞳は暗く深く沈んでいる。特に「オレ一人でやる」の部分が重要。ここからゴンの瞳の変化が顕著になり始めるから。そしてピトーの居場所を知り、ピトーと対峙した場面のゴンの瞳は復讐する気マンマン。「あー、完全にダークサイドに落ちてもうた…」と悲しげな顔をするキルア…。だから今後は二人の仲が決裂するか、逆にキルアが光に転じて、ゴンを闇から救う、とか?
…あぁ、でもこれじゃキルアが死にかけた時の「役に…立てな…か…」と上手くつながらないな。あ、これは「キルアはいいよね、関係ないから」発言とつながるのか?…もういいや…。