拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

Ponyo on the cliff by the sea

2008-08-17 19:13:21 | 映画
『崖の上のポニョ』見た。以下感想。

映画見る前、ポスターやCMでポニョの造形を見た時に感じた「だ…大丈夫か!?…可愛くないぞ?」という不安は、本編を見てるうちにすぐに気にならなくなった。冒頭からオープニングまでの数分間、ポニョが暮らす海の中の描写が、ポニョの可愛くなさなど問題にならないくらい奇妙。これぞ駿ワールド…。主人公ポニョ以下、海の中のあらゆる生物がみ~んなポニョッポニョップニョップニョしており、画面の中に安定している物が一つもない、強烈なヴィジュアル。
極めつけは、ポニョが海の底から一気に海面に飛び出し、荒れ狂う波の上をアラレちゃんのように爆走するシーン。ポニョが恋をした男の子・宗介が乗ってる車を追い掛けるために爆走するのだ。「ワルキューレ騎行」みたいなけたたましいBGMに乗って、嵐の中、ポニョが荒波の上を走ってくる!しかも波には顔が付いてて、それ自体が生き物になってる。怖えぇ!でも迫力満点!また、宗介少年が乗ってる車を運転するお母さんの、ルパン三世並のドライビングテクニックも凄まじい。嵐の中、カーブの多い海岸沿いの道をドリフト走行。チャイルドシート意味ねー!そんな運転したら普通スピンして死ぬぜ!お母さん、元走り屋だな。絶対ドリキン目指してた。母親としては失格だけど、「宮崎駿キャラ」としては欠かせない存在だろう。このシーンの過剰さは映画館で見て良かったと思った。
しかしこの嵐のシーン以降、物語は急速にヌルくなる。物語の序盤でとっくに出てたような結論を問うようなラストシーンは「今までの物語は一体何だったんだ…」と脱力。大体、「顔の付いてる魚」の存在を結構あっさり受け入れられる人が多数を占めてる「博愛の町」だもんな、あそこは。中盤の嵐のシーンが良かっただけに、後半のヌルさは残念。
『ポニョ』否定派は後半のヌルさに失望した人が大多数だろう。「文句の付けようがない隙の無い物語を見せつけて観客を圧倒させ続けてきた宮崎駿作品がこの程度で良いはずがない」みたいな。しかし、「緻密に練られた物語」なんて宮崎駿にとってもはやどうでもよくて、ただただ脳内に溢れる人並み外れた狂ったイマジネーションをフィルムに焼き付けたかっただけなのかもしれない。「もう年齢的に長編アニメは最後になるだろーし、やりたい放題やるぜ」と。しかも、CG全盛のこのご時世にオール手描きのアニメで対抗し、世界に対して日本のアニメ…いや、スタジオジブリの技術の底力を見せ付けるような形で。
『崖の上のポニョ』に対する子供たちの反応はどんなもんなんだろう。とりあえず上映中は所々で笑いが起こっていた。じゃ、見終わった後は?「面白かった」「ポニョが可愛いかった」って喜ぶ子と「つまんなかった」「ポケモン(他、ナルト、ダークナイト等のシネコン映画)の方が面白かった」と不満を漏らす子に分かれるだろう。見てないからわかんないけど、物語としてはポケモンの方が面白くて興奮出来るだろうね。でも一部…1%ぐらいの子供は、あの狂ったヴィジョンに感化されて「自分もああいうの作ってみたいな」なんて思うかもしれない。未来の日本産アニメの担い手を沢山生み出すかもしれない。「子供の頃に見た『崖の上のポニョ』に感動してアニメ制作の世界に入りました」みたいな人が、20年後ぐらいに出て来るかもしれない。「子供たちのために作った」という発言は、現役を引退する自分が、次の次の次ぐらいの世代にバトンを渡したい、という意味があるのかもしれない。
子供の付き添いで見に来た大人とかはどう思うんだろうね。ポニョの父親に感情移入して「あぁ、可愛い娘がよくわかんない男に惚れて暴走しちゃったらどうしよう…」なんて心配したりするのだろうか。とりあえず、子供が魚の入ったバケツに水道水を注ごうとしてたら親なら止めるべきだよな。「ポニョは人面魚だから平気だけど普通の魚だったら死ぬよ」と。