拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

90年代少年マガジン的熱さ

2008-10-04 10:34:51 | 漫画
『HUNTER×HUNTER』26巻を読んだ。26巻収録部分は当然ジャンプでチェック済み。多くの読者を論争に巻き込んだキルアの「『それはどっちの?』問題」の真意や、やっと再会したゴンとネフェルピトー、ピトーの急激なデフレ(?)など、今回も重要ポイントの多い内容だったが、この巻の多くの部分を占めるはナックル・シュートVSユピーだ。
細部に渡る駆け引きや心理を逐一追った描写に沿って進む両者のバトルは、「あの、終わってから結果だけ教えてもらってもいいっすか?」と思わなくもなかった。…長いよな、本当。で、ここの部分が『HUNTER×HUNTER』に珍しく暑苦しいセリフ満載。「生きろよ!!シュートォ!!死ぬなァアーー!!!」「必ずオメーの分も!!ぶち込んで来っからよ!!!」「畜生ッ!!!あの野郎…オレを…オレを…ゴミみたいに見やがった」…この熱さは『ジャンプ』どころか『マガジン』の血みどろ漫画のノリだ。しかも最盛期だった90年代の。
「友情・努力・勝利」なんてフレーズを掲げてるから、『ジャンプ』は少年誌で最も熱い漫画のような印象がある。しかし『ジャンプ』の熱さは常に何処か少年的であり、ある意味クールと言ってもいいほど爽やかなものだ。主人公達には思春期的なモヤモヤは薄く、スカッとしている。無邪気な子供がそのまま大人になったような『ドラゴンボール』の悟空が典型例だろう。そして『HUNTER×HUNTER』のゴンも。一方『マガジン』の熱さは思春期的。コンプレックスにも性欲にもドロドロにまみれたある種のやるせなさが、『マガジン』、特にヤンキー系の漫画の熱さに繋がっている。そしてその熱さは、時に『ジャンプ』の熱血路線を凌ぐのだ。ヤンキーの世界なんて自分には無縁だけど、何故か入れ込んでしまうのだ。思春期的だから。
ルックスからして『マガジン』や『チャンピオン』のキャラっぽかったナックルの熱さは、『HUNTER×HUNTER』26巻で遂に沸点に達した(多分)。強大な敵・ユピーに、シュート共々ゴミ扱いされたナックルは、その屈辱感を払拭しようとにブチ切れる。それは90年代の『マガジン』を彩った、『カメレオン』『湘南純愛組!』等でのヤンキー同士のバトル、『特攻の拓』の壮大な「族」の抗争、『サイコメトラーEIJI』でのチーマー相手の殴り込みシーンを彷彿とさせる。ただ、『HUNTER×HUNTER』には常に第三者目線のナレーションが挿入されているので『マガジン』的熱さは緩和されているが。
それにしても、『HUNTER×HUNTER』って本当に色んな種類の漫画の要素が混在してるなぁ。キメラアント編は『寄生獣』との類似がよく指摘されてるし、絵的にはザ・『ジャンプ』な奴、『コロコロ』っぽい奴、渋い劇画っぽい奴、アニメキャラっぽい奴、少女漫画っぽい奴など様々だし、必殺技の名前はオカルト映画・漫画・小説からの引用だし、詳しくないからわかんないけどゲームからの引用も多いだろうし……。冨樫って本っっっ当にオタクなんだなぁ…(『テレプシコーラ』とかもチェック済みなのかな)。そりゃ漫画描く暇ねーわ(失笑)。
…そういえば、コムギを治療するピトーを見て、瞬時に状況を把握したキルアの思考力は「この女、王と子作りしたんだろーか…」ぐらいの考えにまで及んだのだろうか。王と軍儀やってたなんて知らないわけだし。


■「それはどっちの?」問題
「計画を実行しに行こう」「ピトーを殺しに行こう」のどっちか。幼い頃から人殺しをさせられ続けてきた闇の子供・キルアは、光のようなゴンの心に何度も救われた。故にゴンの心がピトーへの復讐心で満たされて一気に闇に転じる事を恐れている、というか寂しいと思っている。しかし、変わり果てた姿になったカイトを見たゴンが「アイツはオレ一人でやる」と言った場面、モラウに「俺を仇と思って殴れ」と言われた場面などのゴンの瞳は暗く深く沈んでいる。特に「オレ一人でやる」の部分が重要。ここからゴンの瞳の変化が顕著になり始めるから。そしてピトーの居場所を知り、ピトーと対峙した場面のゴンの瞳は復讐する気マンマン。「あー、完全にダークサイドに落ちてもうた…」と悲しげな顔をするキルア…。だから今後は二人の仲が決裂するか、逆にキルアが光に転じて、ゴンを闇から救う、とか?
…あぁ、でもこれじゃキルアが死にかけた時の「役に…立てな…か…」と上手くつながらないな。あ、これは「キルアはいいよね、関係ないから」発言とつながるのか?…もういいや…。

「魅せてくれるぜ神さん!」―『スラムダンク』

2008-09-23 18:21:01 | 漫画
『アメトーーク』の特番で放送された『スラムダンク芸人』を見た。時々挿入されるアニメの動きのカクカクっぷりに失笑。でも、作者が監修した『BUZZER BEATER』ではバスケの動きを再現すべく結構頑張ってたから、今の技術でリメイクしたら良いアニメになりそうだよね。ゲスト(準レギュラー?)のケンコバが陵南7番のユニフォーム着て、さらに「負けん気の強い越野」についてさらっとふれてたので、陵南のカリスマ・ディフェンスに定評のある池上を讃えたりしてくれたりすんのかな?と思ったが…仕方ないか、ゴールデンだし。まぁ、深夜だったとしてもディープにはならんだろうけどね、『エヴァ芸人』や『ジョジョ芸人』なんかを見る限りでは。この手のシリーズで面白かったのって『ガンダム芸人VS越中詩郎芸人』だけだった気がするなー。明らかに周りの芸人と「好き」のレベルが違うガンダム芸人・土田と、虚言を交えながら越中を祭り上げるケンコバのバトルは『アメトーーク』屈指の名場面だ。
さて、この番組がきっかけで再び『スラムダンク』を読み返してみて、感想の記事でも書こうと思ったのだが、「あれ、スラダン関連の記事って昔書いたかも?」と検索してみたら、やっぱり2006年3月20日の記事で既に書いてた。しかもそこに書いてあることと今回書こうと思った事が大して変わらなかった。その記事で「好きなメンバー」として挙げてるキャラも一緒。やっぱ海南だよ海南。「中から」牧と「外から」神、そして「ルーキセンセーション」清田の3人が「好きなキャラベスト3」だなー相変わらず。…良い奴だよね、清田。山王戦では必死で湘北を応援してたし。
ただ、キャラに関しては、幼少の頃から現在までで好みがコロコロ変わってきている。私が初めて『スラダン』を読んだのは確か小1だった92年頃、従兄弟にジャンプを借りたのがきっかけだが、その時好きになったのは、やはり一番華のある流川。まぁ、従兄弟が「流川カッケー!!」を連発してたので、流川を好きになるよう刷り込まれた可能性もある。小2の頃、アニメが始まっていよいよ教室中にスラダンブームが巻き起こった時には三井に心変わり。この頃は少女漫画を色々と読み始めた時期でもあったので、ルサンチマン的なものを抱えた「挫折体験のある男」に魅力を感じたのだろう。しばらくミッチー好きは続くが、小学校高学年頃になると突然「選手兼監督」の翔陽・藤真に衣替え。ベンチとコート上とでキリっと変わる表情に惹かれたというのもあるし、主人公チームに負かされる立場のキャラにも深いドラマが作りこまれていることに注目し始める時期でもあったのだと思う。試合終了のブザーが鳴った瞬間の、藤真のやるせない表情…。
高校1年、あの豪華本『スラムダンク』完全版が刊行され、ブームが再燃した頃は、とにかく細部まで『スラムダンク』を読み込むようになり(クラスもそういう雰囲気だったのです、男女問わず)、脇役にどんどん注目。陵南の池上や海南の武藤の地味なる活躍をつつきあいながら爆笑する、という光景が教室のあちこちで見られた。あのクラス最高だったなぁ…。完全版が発売されるたびに「おぉ!12巻のノブナガ超カッケー!」とか「ちょ、田岡かよwwww」とか言いながらみんなで盛り上がってたな。お金に余裕が無かった私は美麗な完全版に憧れつつも、「完全版には話と話を繋ぐおまけイラストが無いし」と意地を張っていた(でも実際、単行本で集めた方が絶対良いよな?)。で、まぁこの時期に今まで重要視してなかった海南VS陵南戦をじっくり読み込み、牧・神・清田の魅力に気づいて今に至る…という。

…あぁ、読み返す度にあふれ出す「スラダン愛」。過去の記憶もセットであふれ出しちゃうね。全31巻読破してもまだ足りん。押入れから「あれから10日後」のポストカードセット引っ張り出してこよっと。

おいでよ、「シュロッターベッツ学院」に

2008-09-17 00:33:23 | 漫画
男性が本屋の少女漫画コーナーに立ち入るということは、かなりの抵抗感が伴うらしい。少年・青年漫画コーナーに女の子が居るというのはよく見る光景だが、逆は殆ど見掛けない。あの華やか過ぎる領域に立ち入るのは尻込みするもんなんだろう。というか少女漫画を楽しめる男性自体が少数派なのだろう。線の細い画風、キラキラの瞳、読む順番すら曖昧な流れるようなコマ運び。男性読者を突っぱねる少女漫画の三大ハードル。評論家・夏目房之介はこれらの要素を「少女漫画の文法」と呼び、少女漫画に幼い頃からなれ親しんだ者ならば自然に身につけているが、そうでなければ習得は難しいものであるとしている。少女漫画に目を通す機会があってもコマを読む順番がわからなきゃ読めないもんな。で、距離を置くようになり、少女漫画コーナーに立ち入る事すら嫌になる…。ただ、近年の少女漫画のヒット作は、男でも気軽に読める物が増えている。『NANA』『のだめカンタービレ』などはコマ運びも絵柄も大人しいから、自分で買うのには抵抗があっても友達や彼女などを経由して読んでる人は多い。私も貸した事あるし。
でも男の子に本当に読ませたい漫画って『NANA』とかじゃないのだ。まるで華やかなハリウッド映画に対するカウンターとして生まれた映画、1960年代末~70年代に次々と作られ、映画史を塗り替えた「アメリカンニューシネマ」のように日本の漫画史を塗り替えた1970年代の少女漫画たちを読ませたいのだ。でも読んでくれないのだ。2~3ページで「も、もうダメ…」とリタイヤされる。腑抜けめ…いやいや、仕方ないんだ。私だって小学生の頃は70年代少女漫画クラシックスを読むのに抵抗あったし、特に『ベルばら』のコマ運びにはかなり翻弄された。『りぼん』で鍛えてたつもりだったのに。でも、気付いたら時間を忘れて読んでたけど。
ただ、萩尾望都や竹宮惠子など、所謂「24年組」の作家の作品が、70年代80年代の男性達にとっての少女漫画の入口であったことはマンガ史上の事実である。手塚治虫や石ノ森章太郎の漫画に馴れ親しみ、それらのテイストを彼女達が少女漫画の世界に巧みに持ち込んだめ、当時の男性読者を一気に虜にした、とのことで、彼女達の作品を読んで少女漫画の文法を受け入れられるようになった、と。
岡田‘レコーディングダイエット’斗司夫が高校時代、同級生の女子に無理やり萩尾望都の『ポーの一族』を読まされたのがきっかけで少女漫画リテラシーを鍛えた(『トーマの心臓』を渡されたときはさすがに絶望したらしい)、とか、‘喋る時限爆弾’勝谷誠彦が同じく高校時代に竹宮惠子にどっぷりハマり、竹宮惠子のファンクラブの会員No.1をゲットし、早稲田大学少女漫画研究会を創設して少女漫画に狂ったりだとか(この人の口から「『変奏曲』最高ですよ!」って言葉が出てくるのが面白すぎる)、男性著名人と少女漫画に関するエピソードは興味深いものが多い。だからまぁ…何が言いたいかというと…「若者よ、少女漫画クラシックス読んでみようよ」ってことか?大体「有名だから」とかいっていきなりコッテコテの『ベルばら』とか読むから挫折するんですよ。『ポーの一族』か竹宮惠子の『地球へ…』とかにしとこーよ。
 

ギムナジウムには制服が無い、と知った時の衝撃…―『ポーの一族』

2008-05-31 03:00:03 | 漫画
小学6年の時、漫画『ガラスの仮面』がドラマ化された。ドラマを無駄に盛り上げまくるB'zの主題歌「Calling」も手伝い(?)人気を博し、作品の知名度を若い世代に一気に広げたテレビドラマ。私もドラマをきっかけに原作を読んだ。それまで少女漫画は『りぼん』掲載作品ぐらいしか読んだことがなかったため、70年代少女漫画の画風に初めは畏縮したが、気付けば作品の持つ強すぎる引力に導かれ、あっというまに既刊40巻(当時)を読破してしまった。引力…そう、あの時代の漫画が持つ、読み手を引き付けて止まない魅力は初体験だった。やがて『りぼん』の漫画では物足りなくなり、私は少女漫画クラシックスに手を出し始めた。その時出会った漫画で未だに印象深い作品、クラシック中のクラシックである、萩尾望都原作『ポーの一族』を、最近読み直した。
人の生き血とバラの花を好み、銀の十字架を恐れながら永久の時を生き続ける吸血鬼バンパネラ。彼らは気に入った人間に自身の血を送り込むことで、相手をバンパネラの仲間に加えることが出来る。基本的に不老不死だから、バンパネラになった時点でその人間の「時間」は止まる。主人公エドガーと、その妹メリーベルは、14歳で仲間に加えられ、永遠にその姿のまま生きることを余儀なくされたバンパネラだ。バンパネラは不老不死の怪物だが、銀製の杭を心臓に打ち込まれると砂になって消える。ナイフで切られても銃で撃たれても平気だが、ナイフや銃弾が銀製ならアウト。『ポーの一族』は、主人公たちがバンパネラとしての生をスタートさせた1700年代中盤から1976年までの200年余りの期間に起きた出来事の物語である。物語は時系列に並んでおらず、エピソードごとに時代を行ったり来たりする。一見、繋がりが薄いように思えるエピソード同士が、終盤で一気にまとまっていくのが圧巻。何度読んでも凄い構成だと思う。
19世紀末。ある事件がきっかけで愛する妹メリーベルを失ったエドガーは、同い年の少年・アランをバンパネラの仲間に加える。同い年と言っても、アランは普通の14歳だがエドガーは14歳の姿のまま100年以上も生きている。人間同士ならば出会うはずのない関係だ。『ポーの一族』は、こうした出会うはずのない関係がてんこもり。不老不死のエドガーたちの時間は止まっているが、彼らと関わる周囲の人々は普通に年をとって普通に死んでいくのだ。同じ場所に長く留まれば周囲に怪しまれるため、エドガーとアランは時に国境を越えて街を転々とする。いつか悲しい別れが来る事は明らかだから、人間と深く関わることは殆どしない。生き血に飢えたり、十字架を見て震えあがったりする度に、自分がアウトローな存在であること実感しながら、永久に生きていくバンパネラ…。
「明日もあさってもしあわせな 今日の日の続きだと信じていた」というエドガーのモノローグは、不老不死である彼の悲哀をストレートに表している。妖しくも儚げなルックスも相成って、多くの場面で悲壮感を漂わせるエドガー。しかし私はエドガーの生き様を少し羨ましくも思うのだ。200年以上も生き続けてきたエドガーは、常に普通の人間より数段高い所に居て、飄々とした態度で接する。接する相手が大人でも、生きてきた年数はエドガーの方が圧倒的に長いから、易々と手玉に取ってしまう。作中にいくつか登場する、若き日にエドガー達と関わった人間が数十年後、当時と変わらぬ姿の彼らと再会…みたいなエピソードは、アウトローな存在であるが故の悲哀と自由さが同時に感じられ、何度読んでも胸を打つ(バンパネラハンターの老人との再会シーン大好き)。また、作品の舞台となる18世紀中盤~20世紀のヨーロッパが辿った激動の時代も、不老不死というヘヴィな運命を背負ったエドガーにとってはどこ吹く風。「西ドイツ…西ねぇ…まえにきた時は東西にわかれてなかったのにな。ま…いいさ、これからどう変わるかも神のみぞ知る」なんて余裕発言、一度でいいから言ってみたいぞ。
そんな飄々とした、悟りの境地に達したようなエドガーに対し、バンパネラ歴の短い相棒のアランはいつまでたっても子供のまま。「短い」と言っても19世紀から生きてるわけだから少しくらい大人になっても良さそうな気がするが、エドガーにお守りされてるせいか、ドイツのギムナジウム(日本だと中学・高校にあたるのかな)に潜入したエピソードでは、同級生達とつまらん事でトラブルを起こしまくるという無邪気っぷりを発揮する。うん、こんな無邪気な相棒を連れて、送ってみたいぜバンパネラな人生…………うーん、やっぱどうかな?
 

さようなら、エプシロン―『PLUTO』

2008-05-25 11:09:58 | 漫画
久々に浦沢直樹『PLUTO』の感想を。毎月「ビックコミックオリジナル」で20ページずつ淡々と連載されているこの漫画。情報量の多さ故、立ち読みでざっと読んでるだけだと「あ、あれ、つまりこれはどういうことだっけか?」と混乱することもしばしば。やっぱ浦沢漫画は単行本でまとめ読みするのがベストだよなぁ。でも単行本発売ペース遅すぎ&続きが気になって仕方ないので毎月本誌でチェック。『20世紀少年』の連載が終わり、『PLUTO』一本に全力を注いでいるだけあり(今のこの状況、常に連載を掛け持ちしてきた浦沢にとっては異例なことだろう…)、毎回濃厚だ。
『PLUTO』は言わずと知れた手塚治虫『鉄腕アトム』のエピソード「地上最大のロボット」のリメイク。ロボットと人間が当たり前のように共存する未来世界。世の中に溢れる様々な種類のロボットの中でも特別な存在…破格の大金を注ぎ込んで製造された特殊なロボット達が、謎のロボット「プルートゥ」によって次々と破壊される事件が発生。原作の手塚治虫版では特殊なロボットの中の一人であり、プルートゥに命を狙われる主人公のアトムを中心に物語が進むが、浦沢版では同じく特殊能力を仕込まれて造られたドイツの刑事ロボット「ゲジヒト」が事件の解決に挑む。原作ではあまり見せ場もなく、プルートゥにあっさり倒されてしまうゲジヒトだが、浦沢版では捜査官として大活躍。主人公の交代により、必要最低限の分量でテンポ良く話が進む原作とは全く違う魅力を放つ作品となっている。
主人公が変わってもストーリー展開は原作を踏襲している浦沢版。コミック第一巻と原作版を併せ売りした「豪華版」が売られていることからもわかるが、浦沢は『PLUTO』を完読する前にまず手塚治虫の原作を読み、ストーリーを頭に入れておく事を推奨している。アトムを含む強い強いロボット達がプルートゥと死闘を繰り広げ、破壊されていく…という展開を頭に入れてから読め、と。これはかなりつらい。原作ではサラッと、そして子供向け故にどこかコミカルに描かれていた各ロボット達の境遇や性格、生き様は、浦沢版ではおもいっきりドラマチックに脚色されている。誰からも愛される存在で、ロボットなのに情にもろく優しかったり、あるいは暗い過去を引きずりながら頑張ってたり(『PLUTO』の世界では高性能ロボット=大量破壊兵器でもあるのだ…)。そんなロボット達が次々に破壊され、散っていく。分かってはいるものの、いちいち切なく、悲しい。
原作とほぼ同じ順番で、『PLUTO』で破壊されていったロボットたち…モンブラン、ノース2号、ブランド、アトム、ヘラクレス、ゲジヒト…そして今月、遂に最後の一人、エプシロンの番になってしまった。兵器として最強の力を与えられながらも徴兵を拒否した平和主義者。そのことで世界中から批難を浴びながら、オーストラリアで戦災孤児の世話に励む、心優しいエプシロン。
平和な世の中なら、エプシロンの莫大なエネルギーは平和的に利用されるだろう。しかし戦争が起きれば真っ先に戦力と見なされる。「ロボットを争い事に巻きこんではならない」というお茶の水博士のような主張は少数派だ…。ロボットの心理描写があっさりしている原作でも、主人公のアトム、そして、エプシロンだけは特別だった。原作エプは、ある事件がきっかけで瀕死状態のプルートゥに出くわす。そのまま放置すれば大量破壊兵器プルートゥは死ぬ。子供たちを見守りながら平穏に暮らすことを望み、戦いを拒むエプシロンはプルートゥを見捨てようとするも、「目の前で苦しんでいる者を見殺しにしていいのか?」と自問自答した末、手を差し延べる…。この設定は浦沢版でもしっかり生かされており、エプシロンは常に苦悩しまくり。あぁ…エプシロンよ…「戦いを拒んだ破壊兵器」という矛盾した生き様が素敵だぜ…。そして最終的に…。
思えば浦沢版エプシロンは貴重なキャラだった。普段クールなシリアスキャラのくせに子供の前だと優しいお兄さんキャラに変貌。保育士という仕事が憎たらしい程ハマってた。長髪のイケメンというルックスは、渋いオッサンだらけの『PLUTO』に確実に華を添えていた。そもそもあの世界ではロボットのルックスをどう決めているのだろう。生みの親である博士に一任されるのか?アトムは生みの親である天馬博士の息子そっくりに造られた。プロレスラーとして造られたヘラクレスとブランドはルックスも見るからに強そう。しかし刑事ロボ・ゲジヒト…何故あんな、薄毛が気になる枯れたオヤジ風に造られちゃったんだ!?エプシロンはあんなにイケメンに造ってもらえてるのに…。兵器として造られたのに、平和主義者のエプシロン。戦争に行って戦ってくれないロボットなんて世間から見れば失敗作であろう。しかし自らの意志で人間の命令に背いているという意味では超進歩的なロボットとも言える。実際、「ロボットが仕事をサボるようなことがあれば、それは進化だ」という主旨のセリフも作品内にあるしね。


タコ閃いた!!

2008-05-12 17:08:43 | 漫画
あっという間に「HUNTER×HUNTER」10週連続掲載が終わってしまった。これでまた月曜日のお楽しみは無しか。今回も衝撃シーン多数だったが、相変わらずストーリーはあまり進まず。フラストレーションが溜まるぜイェーイ!というわけで前のように、キャラクターごとに10週の動きを振り返ってみる。

ゴン→今回は主人公らしく大暴れ。待ってました!のネフェルピトーとの対峙シーンは今回の10週連続掲載の目玉だろう。気迫でピトーを圧倒するシーン、何度読んでも胸が熱くなる。前も書いたが、覚醒した『ドラゴンボール』の悟飯みたいだ。結局二人のやりとりは気になる所でプツリと途切れてしまったが、実際の所、ゴンの力はピトーに何処まで通用するのだろうか。

キルア→出番は少なかったが、「それはどっちの?」というモノローグで論争を巻き起こしたキルア。「HUNTER×HUNTER」はこんなにも行間を読む力を要する漫画だったっけ…。ネット上に挙がってるあらゆる解釈は個人的にどれも100%納得出来るものでは無かったが、かといって自分の解釈にも自信は無い。まぁ、様子見。でも、ゴンに「関係ないから」とか言われちゃった時のあの消えそうな表情がヒントになりそうだよね。あ、あと、最後の最後で約5年ぶりの「落雷(ナルカミ)」出てきたね。嬉しかった。

ネフェルピトー→元々超人気キャラだったが、今回さらに人気者になった感のあるピトー。オーラ全開のゴン相手にうろたえる姿は、初登場時の不気味さや普段の飄々とした表情からは全く想像出来ず、「デフレ」とまで言われた。少年漫画は「主人公や敵の強さがインフレしていく」と揶喩されたりするものだが、「デフレ」は珍しい(あ、デスノートの最後の方の月はデフレ気味かな?)。私は飄々としたピトーが好きだったから、うろたえるピトーには複雑な思いがあるが、相手が主人公のゴンだってのがせめてもの救いだ。あれ、相手がウェルフィンとかの場合でも土下座したりしてたのかなぁ…。

モラウ→スモーキージェイルでシャウアプフを監禁したモラウ。本人も言ってたが、本っっっ当に応用が効きます、あの能力。蟻編では要所要所で敵を煙に巻いて来たモラウ。ノブの「マンション」と共に「なんて都合の良い能力なんだ!!」と思ったりもしたが、元を辿れば「蟻殲滅に最も有効な能力を持つハンター」としてネテロに連れてこられたわけだから活躍して当たり前か。でもどーやらプフ相手だと一筋縄ではいかないようで…。

ナックル→「メレオロンと組み、相手に気付かれずポットクリンをくっつける」という作戦。彼の能力を思えば完璧だが、彼の性格には全く合っていなかったようだ。姿を消して、相手に気付かれない状態。自分だけそんな安全な場所に居て、黙って仲間達を見ていられる程冷静な奴じゃないもんな。

シュート→瀕死!でも死ななそうだよね、なんとなく。「あーんシュート様が死んだ!美形薄命!」的なことにならないことを祈るよ。

モントゥトゥユピー→「無我故の強さ」を持ってるはずが、実は結構色々考えてたユピー。しかも結構策士で。ただの暴れ者だと思ってたけど、やっぱ護衛軍だけあるわね。ユピーの心の動き、かなり丁寧に描かれていてビビったぜ。

シャウアプフ→「スピリチュアルメッセージ」でモラウの心を読むプフ。モラウの強靭な精神力を、プフを使って読者に解説するという展開は気が効いている。ていうか何を企んでいるのだ、プフよ。

ウェルフィン→懐疑主義者だということが明らかになったウェルフィン。女王の命令にいち早く背いたのも、きっとコイツだったんだろうな。コイツの能力「卵男」、ちょっと強すぎやしないだろうか。あれ、今のピトーなら倒せるんじゃ…。

プロヴータ→通称えびボクサー。間の抜けたルックスだが、フラッタの不自然さをあっさり見破る洞察力は持ってたみたいね。

ヂートゥ→お調子者キャラの最期はあまりにも呆気なかった。確かにウザい時もあったが、愛嬌のあるキャラだったじゃないか。初登場時、身勝手な師団長たちを纏めようと必死のコルトに「大変だな。体壊すなよ」と呑気なコメントを残してたのが印象的だった。それなのに…圧死(苦笑)。2chに「ヂートゥがこの先生きのこるには」というスレがあったのを思い出しました。死んじゃったよ…。

メレオロン→ナックルと分離し、急遽キルアと組むことになったメレオロン。「完全に存在を消す」という能力のせいか?あまり印象に残らず…。

イカルゴ→ジャンプ編集部による煽り予告文「タコ閃いた!!」があまりにも最高だったイカルゴ。イカルゴ可愛いよイカルゴ。

ゼノ→ターゲットは100%仕留める、という信条を抱いているはずのゼノ。逆に、ターゲットじゃない者には絶対手を出さない、みたいな鉄の掟を定めていたりもするだろう。今回ターゲットではない人間を殺めてしまったかもしれないゼノ、ちょっと落ちてましたね。

シルバ→久々に出てきたと思ったらヂートゥを圧死させたキルアの父。ゼノからキルアの変化を聞いた彼は何を思ったのだろうか。ポーカーフェイス過ぎて読み取れん。「自分より強そうな奴には手を出さず逃げる」という呪縛から解かれたキルア。暗殺者としてはマズいだろうが、「計画通り!!」(By夜神月)の可能性も…。呪縛から解かれて数段強くなったわけだしね。念を知らない=無防備で危な過ぎる状態のキルアが家を出るのを許したシルバの思惑、そして「絶対帰ってくる。あいつは俺の息子だからな」の真意は長らく謎だったけど、あの針に何か関係はあったのか…。ていうか改めて思う。この漫画、伏線多すぎ!!回収する気あんのかね。


さて、次の再開はいつでしょうか。今回の再開は予想よりあまりにも早かったから次も早期復活を期待してしまうけど、そうするときっと痛い目見るよな(笑)。

おそらく。多分。

2008-04-01 09:51:45 | 漫画
今週も面白かったな『HUNTER×HUNTER』。ゴン、凄く良い感じです。感情をコントロール出来ずに暴走してる感じが素晴らしい。ヒソカが見たらさぞ喜ぶだろう。「そうか、ゴンにとって大切な人を傷つければ彼は全力以上の力を出すのか◆」なんて味をしめるかもしれないけど…。なんか今週号読んでて『ドラゴンボール』のセル編のクライマックスの悟飯を思い出したなぁ。覚醒して父・悟空やセルを超える力を身につけた悟飯。悟空の「セルにとどめをさせ!」という指示をかわし、「まだまだこいつをこらしめてやらなくちゃ」という、かつて「良い子」だったのが嘘みたいなドS発言でストーリーを盛り上げた悟飯。あの時の彼の顔は作中No.1の好戦家・ベジータみたいになってたが、今回のゴンも通常モードとは掛け離れた顔をしていた。
人間を散々食い物にしてきた輩が、ある理由で人間の命を懸命に救おうとしている。ゴンが発した「ずるいよ」は、「お前最低な奴のハズなのになんでそんな善行してんだよ。遠慮無く戦いを挑めるように、もっとわかりやすい悪人でいてくれよ」という意味なのだろう。もの凄く勝手な発想。だが、かつてメレオロンと出会った時、「俺が裏切ってたらどうする?」という問いにシレっと「そしたら遠慮なく倒せる」と答えてたゴンだから仕方ない。この「遠慮なく倒せる」は、裏を返せば「悪人じゃなきゃ手は出さない」という事だろう。ゴンはおそらく生まれて初めて葛藤する。「コイツ絶対倒す!」「でもコイツ、今凄く良い事してるみたい…」…攻撃的な発言や身に纏うオーラの暴走は、後者の考えを必死で打ち消そうとする所から来てるのだろう。でも打ち消せない。じゃなきゃとっくに手が出てる。「畜生…」なんて言う前に殴ってるよ。…「おそらく」とか「だろう」とか「きっと」とか多いな。ゴンに怒られそうだ。
そんなゴン。「いくらなんでも暴走し過ぎだろ」「キルアに暴言吐き過ぎだろ」と読者に袋叩きにされてるようだが、ゴンはまだ子供だってこと忘れてんのかな。念能力は大人顔負けだが年齢的には思春期に突入したばっかり。そんな子が、頭にフッと浮かべるだけでオーラを増強出来るような仇敵と対面したら…ね。「子供だったら何やっても良いのかよ」とつっこまれそうだが、良いんだよ主人公なんだから。あの状況でピトーの要求やキルアの意見をすんなり受け入れる優等生・ゴンなんて逆に見たくないぜ。百戦錬磨のゼノやネテロとは違うんだから、ゴンは。さすがにキルアは少し可哀相だったけど。今回の件が無事に済んだら、二人共一気に大人になったりするのかな(精神的に)。グリードアイランドでは極悪人のゲンスルー達に「大天使の息吹」を使い、読者の共感を得難いリベラルな態度を見せたゴンだが、仲間が被害受けてる今回の場合はどうなるんでしょうねぇ。
そいえばキルアは今週号で意味深な表情をしていた。宮殿突入前、シュートに「消え入りそうな」と言われていたのとよく似た表情。「あの悲しげ無な表情…まさか死亡フラグ?」と当時騒がれてたけど、どうもそうじゃなさそうだな…。


追記
映画『靖国』、上映中止だって。どんな内容であろうと、上映してどんなトラブルが起きる事が予想されようと、「上映中止」だけはあってはならないよねぇ…。

約4年半ぶりの再会。ゴンとネフェルピトー

2008-03-25 19:42:15 | 漫画
「仲間思いの奴がいたらどうするんだ…?」(「HUNTER×HUNTER」19巻)


思えば「HUNTER×HUNTER」に、ガチでタイマン張るような戦闘シーンは今まで殆ど皆無だった。ルール無しで己の全てを賭けて戦う、みたいなシーンが極端に少なかった。序盤のハンター試験編は試験ごとに明確な課題があり、それをクリアしていく物語だったし、最終試験のトーナメントでのタイマンも「まいったと言わせれば勝ち」「相手を殺したら失格」という鉄の掟があった。天空闘技場での戦いは審判によるポイント制だった。ヨークシン編は旅団が強過ぎてゴンとキルアはまともに戦う機会すら得られず、旅団員とのスリリングなやりとりが物語の中心。その旅団とまともに戦えるキルアの家族で暗殺者・ゼノとシルバも「依頼主が死んだから」という理由で試合放棄。ガチで旅団員と戦い、決着をつけたのはクラピカだけだった。グリードアイランド編はゲーム内に入る物語だけあって、己の念能力だけでなくゲーム特有のルールも駆使して強敵に立ち向かっていた。爆弾魔を完膚なきまでに打ち負かす実力を持ってたのはビスケだけだったから、ゴンとキルアは事前に策を張り巡らせてミスリードを誘うような戦い方をした。
このような「ガチで戦うシーンの少なさ」が「HUNTER×HUNTER」の魅力の一つだった。乗り越え難い大ピンチにいかに頭使って立ち向かっていくかが大事。誰よりも強い奴が勝つのではなく、相手を一泡吹かせた奴が勝つ。ゴンVSゲンスルー戦のように。
しかしキメラアント編に突入してからこの傾向は変わった。キメラアント達が猛威を奮うNGLでは、策を練るより問答無用で敵に立ち向かうこと、ガチで戦うことが推奨された。カイトはゴンとキルアに「(蟻を)迷わず殺せ」と命令。「ピトーには勝てない。勝ち目がない」と判断し逃げてきたキルアはモラウに「100%勝つ気で闘る。これが念使いの気概ってもんさ」と一蹴される。さらにナックルとシュートに勝つための作戦を練ろうとゴンに提案したキルアはゴンに「下準備が必要な勝ち方なんて意味がないよ」と返される。考え過ぎるな、戦え、と。策なんて練らずとも正攻法で敵を捻り潰せるような無敵の力を身につけなければならない、と(そいえば幻影旅団がザザン隊と対決した時、シャルナークが「正面突破で」とか行ってたな…)。子供の頃から策を練り、確実に敵をしとめる戦法を、ある意味「HUNTER×HUNTER」の醍醐味のような戦いを教え込まれたキルアはキメラアント編でそれを全否定されるが、やがて自らの殻を破り変貌を遂げた(脳みそに刺さってた針を抜くシーンは屈指の名場面!)。一方ゴンも、変わり果てた姿となったカイトと再会したことで、憎きピトーとガチバトルする決意を固めた。
キメラアント編では、王の宮殿に乗り込み護衛軍と王を分断するための綿密な作戦会議をハンターチーム内でしていたようだが、分断後に護衛軍とどう戦うか詳しく策を練ることは無かった。相手は化け物揃いだし、能力も全くわからないし、捨て身で立ち向かうしか無いからだ。当然ゴンも同様だ。ゴンが、力の差がかなりある相手と無策で命を賭けて戦うなんて今まで無かったから、ゴンVSピトーの描かれ方が全く想像出来ず、ずっと楽しみにしていた。そしたら今週の「斜め上を行く」(byクラフト隊長)展開。無防備なピトーがすぐそばにいるのに戦う事なんて出来ないという、序盤のカイトのモノローグが伏線として活きまくってる、地獄のようなシチュエーション。やっぱり冨樫はこの漫画では、ガチの戦闘シーンを描かないのだろうか。
や、別に描かなくても良いんだけど。面白ければなんでも良いんだけどね。今週本当素晴らしかったよ。かつてビスケが「まさにダイヤモンド」と例えたような固い意志と、キルアが「お前は光だ」と感じたような、誰の心も解かすような熱いハートを持つゴンが、今回すっごい顔してたもんね!旅団と対峙してるクラピカ並、いやそれ以上の迫力(そいえばクラピカの宿敵幻影旅団もただの残虐非道集団じゃなかったね)。何てったってあのピトーが焦ってたからね。それにしても、あんな状況でも相変わらず脳みそフル回転のキルアって…。数秒で全てを理解してるよね、あれ…。 

狩人

2007-12-10 14:12:40 | 漫画
10月の第一土曜日からスタートした『HUNTER×HUNTER』10週連続掲載がついに終了してしまった。多くの人が予想した通り、これからまた無期限連載休止期間に入るようだ。10回の連載でストーリー、全然前に進まなかったが、毎回濃い内容だったので満足……いや嘘。もっと物語進めようよ!当然「10週で全てが片付く」なんて思っちゃいないし、冨樫のことだからじらしまくるんだろうなぁとある程度は覚悟してたけれど、ハンターチームが王の宮殿に突入してから数秒しか物語が進まないだなんて、いくらなんでも予想できなかったぞ。ゴンとピトー、結局未だ対面せず…。だけどもだ、け、ど…いいのだ。漫画読んでて、本当に久々にドキドキわくわくできたのだから。夢をありがとう、冨樫。ストーリーが前に進まないのは出てくる奴らが殆ど全員超人だらけで、常人とは桁違いのスピードで行動するため「え、こんだけ動いたのに1秒も経ってないの?」という事態に陥ってたり、各キャラクターの心理描写をかなり細かく丁寧に描いたり(カオスと化したプフの脳内、最高)、効果的かつ非常に興味深い説明シーンが挿入されてたりするのが原因。これらの要素が無ければ物語もガンガン進んだんだろうけど、無ければそれは『HUNTER×HUNTER』じゃないしな。
10週目のラストのコマ。ピトーの居場所が明らかになり、怒り爆発寸前な表情のゴン。このゴン、ページ下に付記された「またしばらく休載します」宣言に対してキレてるような気がしてくる。10週連続掲載が終わってしまったことだし、この10週で主要キャラたちがどんな描かれ方をされたか簡単にまとめておこうと思う。あと感想も。

ゴン→連載開始当初から「凄まじい潜在能力」と「研ぎ澄まされた野生の勘」をフィーチャーされ続けてきたゴン。一旦集中力が高まると天井知らずであることをユピーと対峙した瞬間に証明。しかし肝心のピトーとのバトルには未だ至らなかったり、心理描写が一切無かったりして、この10週ではあまり目立たず。

キルア→「念を知らずに家出したお前が何故ゼノの能力を知ってんだ!?」と一部に騒ぎを巻き起こしたキルア。ミスなのか冨樫なりの脳内設定が存在するのか…まぁ、なんとかこじつけで解消できるだろう。兵隊蟻を瞬殺する「これぞキルア」なシーン、最高であった。結局彼の相手は師団長ウェルフィンになりそうだが、なんか勿体無いような…だってゴンの相手ピトーっすよ?せめてヂートゥやえびボクサーもまとめて抹殺するぐらいの派手なバトルを今後見せて欲しい。

ナックル→ユピーにハコワレをカマしたものの、ユピーの膨大なオーラ量に一瞬たじろぐナックル。「1秒が永遠ぐらいなげぇ…!!」というモノローグ、読者の思いを代弁してくれたってことでいいんでしょうか。

シュート→弱気キャラを返上したシュート。戦闘中に覚醒したようだ。「万一王が子作りしていたら…!?」と指摘された時の「覚悟無しでそんな場面にぶち当たってたらフリーズ確実」に笑いました。

モラウ→応用力有り過ぎの能力が素敵な熱き師匠モラウ。本っっ当に最高のオッサンですな。大好き。

イカルゴ→フラッタの死体に寄生して宮殿に突入し、読解力の無い読者を混乱させたイカルゴ。彼の念能力の名前最高。「死体で遊ぶな子供達」に「リビングデッドドールズ」。ホラー映画とアメリカ産のおもちゃからの引用だけど、なんだか深いよね。

ネフェルピトー→カイト抹殺以降、飄々とした表情で余裕かまし続けてたピトーだが、今回は様々な表情を見せてくれた。禍々しいオーラを放つ最強キャラだったピトーがネテロに奇襲されるシーンは新鮮であった。そして…まさか「歓喜の涙」を流すとは…あのピトーが…。次の連載再開時に彼の必殺技「テレプシコーラ」の全貌が明らかになることを願う。

モントゥトゥユピー→魔獣の血が混じっており、「無我故の強さ」を持つユピー。体は変幻自在、「目の前に出てきた曲者→殺す」という単純の思考力でナックル・シュートと戦闘開始。大階段破壊は結構衝撃的であった。

シャウアプフ→無人の玉座の間を見た時の微笑の理由がこんなに壮絶だったなんて(笑)。開花したな、プフ。本当、彼はツッコミ所満載だ。能力名「スピリチュアルメッセージ(麟粉乃愛泉)」って…(笑)。最強戦士の一人だってこと忘れそうになる。

王→重傷(死んでる?)のコムギを実に丁重に扱い、奇襲に来たネテロ・ゼノを立ち止まらせた王。「頼んだぞ」と言った時のあの凄い表情が何を意味するのか…笑っていいのかだめなのか…。まぁあれですな、モラウが言ってた通り、王は「暴君ではなく誇り持つ為政者」ってことで。

ネテロ→強さの秘密が少しずつ明らかになったネテロ。名前からして凄そうな「百式観音」に期待が高まる。冨樫が連載再開するまで正拳突き続けたら私も強くなれるかな。

ゼノ→ゼノが赤ん坊の頃、既にネテロはジイさんだったという衝撃の事実が発覚した。恐るべしネテロ。そんなネテロと同世代のゼノ祖父・マハが生きてるんだからゾルディック家も凄いのだが。ゼノとピトーの対面シーンはこの10週の中でも一二を争う名場面だったと思う私。
 

冥王

2007-12-05 17:35:31 | 漫画
久々に浦沢直樹の『PLUTO』の感想を。先週単行本5巻が発売されたが、読んでみて「まだここまでしか収録されてないのか…!」と愕然。単行本と本誌の連載とのストーリーの進度に相当開きがあるようだ。5巻の内容、遠い昔に立ち読みしたなぁ、コンビニで。ブログにも感想を殴り書きしたな。5巻は大波乱の一歩手前で終わっていた。…続く6巻は大変な事になっているので、単行本派は覚悟しておくように。いや、5巻に収録されたストーリーだって立ち読みした時は物凄く興奮したし、実際重大事件がバンバン起きてるのだが、今と比べると、あれでも平和な祭であったなぁ…。やっぱ「あの人」の身に何か起きると、動揺の度合いが違うっつーかね。
さて、それでは本誌の連載の方はどうか。先月はアトム再生にあたり、とんでもなくワクワクするような作業が天馬博士によって行われ、「あぁ!続きカモン!!」と期待が高まったが、今月はアトムも天馬も登場せず、久々に異色のイケメンロボット・エプシロン登場……。奴が登場すると、本来笑うべきシーンじゃないのについ笑ってしまうのだが、今回も期待に応えてくれた。もう…もう…エプシロンってばよぉ…。エプシロンは太陽光をエネルギーにしている「光子ロボット」。太陽を浴びるだけでエネルギーが蓄積されていき、太陽の下で戦うならばエネルギーが無くならないためほぼ無敵。見た目はひ弱そうなイケメン、しかし登場するロボット達の中では最も性能が良く、戦闘能力も相当ありそうというギャップが堪らない。ただ、太陽の出ない日が続くと、エネルギー保持に問題が生じる模様。今回、エプシロンは物憂げに、雨の日が三日続いていることを心配する。早くも死亡フラグが立ってしまった(フラグっつーかまぁ、原作どおりいけば………だけど)。
さらに追い討ちをかけるのが、エプシロンを慕う子供達。高い性能と戦闘力を持つ兵器として造られたはずのエプシロンだが、何故か彼に備わっている人格は「平和主義」。ペルシア戦争勃発の際は当然「最強兵器」として徴兵されそうになるが彼はそれを拒否し、世界中から批判を浴びてしまう。戦争参加を拒否したエプシロンは、大量の戦争孤児たちを引き取り、世話をしている。彼に備わっている性能からするとかなり勿体無い仕事ではあるが、本人の性格を考えるとこれ以上ふさわしい任務はないだろう。で、今回初めて、エプシロンが働く孤児院が登場したのだ。孤児院では、エプシロンの誕生日を祝うサプライズパーティーの準備が子供達によって進められていた。しかし、高性能ロボットだからなのか所詮子供の考えることだからなのか、パーティーの件はエプシロン本人に筒抜け。子供の様子を見てみぬフリして当日を待つ、「空気を読むロボット」エプシロン。…『PLUTO』の世界の高性能ロボットは本当に凄いな。空気読めるんだぜ?で、当日。「うわぁ~~びっくり!嬉しい!!」みたいなノリで子供たちと接するエプシロン、ロボットらしく、表情の作り方は完璧である。おまけにルックスも良いから、所作もいちいちソツが無い。ゲジヒトだったらあんな表情作れないだろう(笑)。とはいえ子供達のパーティーは当然、純粋にエプの心を打つものだった。ついでに読者の心も…あぁ…死亡フラグ…!エプシロンVSプルートゥは、『PLUTO』史上最高に読者の心を揺さぶるだろう。ああいう場面を盛り上げるのは浦沢直樹の得意分野だし。楽しみ…。