刈り入れ間近の圃場が雨上がりの陽の光に輝いていました。新しい私の散歩道です
道の遠くの小さな聚落のはずれに小さな社(やしろ)がありました。
ひっそりと鎮まるやしろの鳥居はふしのいっぱい残る杉の細木で支えられ「八幡神社」とやしろの額が掲げられ、氏子の方が心を籠めてよられた細いしめ縄が回されていました。 私は本当のやしろの鳥居がここにあったと思いました。
私はある神職の方に「今あちこちの神社の鳥居には業者に依頼してつくった太さが30cmもある大きな藁の束に大きな藁のたわしのようなものをぶら下げられているがあれはしめ縄ではない。あれは藁で作られた飾りである。しめ縄というのは身を清めた氏子達が心を籠めてよりあげた藁の縄に祈りを籠めた和紙の切り紙をつけた細くて長い縄が本当のしめ縄である」とおっしゃるのを聞いたことがあります。
この鳥居の奥の境内は静で綺麗に清掃され草ひとつありませんでした。やしろを守っている駒犬も素朴ですけど威厳のある姿で境内を守っていました。
ここにこそ神があわします。私は心静に鈴を鳴らし無心に柏手を打ってお祈りしました。もちろんなにを願うのでもなくひたすらに心を捧げてお祈りをしたんです。
新しい道での心洗われた今日の散歩に私の心は満ち足りていました。
今、毎年1万数千のお社が無くなっていっているそうです。
その土地土地の守り神様が無くなっていくのは、住民の心が集まる場が無くなることと同じような気がして悲しいです。
坂下町のこの集落のお社は、さんたろうさんのご説明通り住民の方々の心の在り様を示しているようでとても素敵ですね。
農村のお社がひとつ消えると言うことは集落がひとつ消えると言うことです。年に1万数千のお社が消えると言うことは恐ろしいことだと思います。
今農村は大きな変革の時を迎えています。若者や子どもの数が激減しています。でも鎮守のおやしろは集落の心を支える信仰の中心です。だからどんな小さな聚落でもみんなで鎮守を信仰しお社を守り時々の参詣を欠かさないのです。お正月秋の祭りお盆七五三のお祝いなどで帰省した人たちは必ず揃って鎮守様に参詣するのです。それが農村集落の心の絆だと思うんです。