のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

小バトル続出

2007-02-09 22:02:05 | 娘の事・謎
まったく、どうして何にでもこんなに時間がかかるんだろう。
のんびり娘とせっかち母の生活で、母にはこんな不満がたまっていくのです。

そしてのんびり娘には
「何かというと『早くしなさい!』をいう。私だってちゃんとやってるのに」
という不満がたまり、それぞれ許容量をこえると、バトル勃発となる我が家です。

今日は小爆発が3回かな。
1回目は出かけるとき。朝は忙しいので何かとバトルも置きやすいのです。
順調に支度が整っていったと思ったのに、最終段階で
のんびり娘が手間取っています。ライティングデスクの机が締まらないのです。
机の上に乗っているものを棚に突っ込み、なんとか閉めようとするのですが
ものがつっかえていて締まらない。
何度もやり直すのですが、ひっかっかっている原因をなかなか見つけられずに
時間がかかります。
それはいいんです。よくあることでしょ。
でもね、のんびり娘、何だか動きがおかしいの。やたらに時間を食うなと思ったら、
片手に持った雑誌を手放さずに全ての作業をするんですね。

これ、着替えの時にも良くします。
片手に、これから着ようというシャツを持ったまま、パジャマを片手で脱ぎ始める。
効率悪い事この上ないので、
「片手でやらない。ものを離して両手を使う。」
と、口を酸っぱくして言っているのに、またまた時間のかかるやり方をしてしまう。
「一体いつになったら直すのよ!」
のお説教で、学校に送り出す事になってしまいました。


さて、2回目は学校へ迎えにいった時の出来事です。
今日は教育相談があるので、
「授業が終わったら、学校側の交差点に来てね。そこで車に乗せるから。」
といってありました。
なかなかこない娘に不安を感じて、学校の下駄箱までダッシュ(駐禁が怖いのです)して見に行くと、靴がない。
これは併設の児童館に真っ直ぐ向かったなと、慌てて児童館に電話をかけ、
館長さんにお願いして出して貰いました。
この時点では、「忘れちゃったのかな。もっとしっかり言って置けばよかったかな」
と、冷静な私だったのですが、やってきた娘の、
「私がきた時、ママいなかったから・・」
といういい訳を聞いたとたんに爆発。
「ママがいなかったら、なぜ電話しない!
4時からだって知っているのに、時間が迫っても車を見にくることもしないで
遊んでたのか!!」
「自分がやるべき事を何もせず、自分の脳みそを使いもしないで、
人のせいにして終わるのか!!!」って、
われながら凄い剣幕でした。

私は、この手の「ひとのせい」発言が大嫌いなのです。
いえ、他人様がそういった発言をするのは少しも気になりません。
夫が言っても、まぁ許しちゃいます。
だけど、自分の子ども達がそういう物言いをした時はカチンときます。

「人のせい」にしている間は、自分を成長させる方向に行かないから。

「失敗は成功の元」であるのは確かだけれど、それは
失敗の原因を分析し、次はどうしたらいいかを考えた場合に限られます。
失敗を「人のせい」にしてしまうと、自分の中にある原因に目がいかず、
分析も対策もうやむやのうちに終わるのです。

自分の子どもの場合にのみ強く反応する私の心の中には、
そうして自分の成長のチャンスを無駄にする「勿体無さ」を嫌う気持ちが
あるのだと思います。

とことん「無駄」が嫌いな私です。

なのに・・・
夕食は1時間以上もかけてゆっくりと。
トイレにいけば10分近くもでてこない。
お風呂にはいったかと思えば、洗面台で一人まったり5分以上。
ようやくはいった音がしたと思えば、今度は1時間もでてこない。

「無駄」だらけの君の時間はどうなっているんだ!!!
と、先ほど3回目のバトルがありまして(バトルというのは、娘からの反撃もあるからですよ。)、ようやく1日が終わります。







政治的な話ですが・・。

2007-02-09 14:16:34 | 日本って・・。
勤務先の小学校で2年生の先生がふたり同時に倒れてしまいました。
夫々、症状は別ですが、かぜをひいても無理に仕事をし続けた結果、
こじらせてしまったようです。
それで、算数のTTを専門にやっている私も、
他の教科や、生活全般の指導にもかかわる事になりました。

もちろん他の先生方が交代で入りますし、学年の先生が責任を持って色々やっていますから、あくまでも「お手伝い」で、出来る範囲のことなのですが、
それだけでも、かなり大変な仕事なんだという事が良くわかりました。
内容もですが、むしろ「仕事量」という点でです。

作文を書かせれば、一人一人チェックして、適切なアドバイスをしてあげたいし、
プリントを解かせれば、丸付けをしてまちがいをなおしていきたいし、
連絡帳がキチンと書けているかどうか、
音読カードに一言つけてあがられるか、等々。
全てが×三十数名なのですから、ていねいに色々やる先生ほど仕事量が増え時間がなくなっていくようになっています。
こうした机を前にした作業だけで、かなりの時間を使うのに、給食も掃除も遊び時間も子ども達と一緒。
もちろん、次の日に使う教材も用意しなくちゃいけません。
放課後には、親御さんからの電話を受けている先生を良く見かけます。
若いお母さんの相談に乗っているうちに、1時間たってしまったなんていうこともあるようです。


こういう状況を見て、うちの子ども達が通った保育園の先生方の事を思い出しました。
公立の保育園だったのですが、パートのおばさん達が補助として入っていてくれて、
掃除とか、片付けとか、色んなサポートをしてくれていました。
親がオムツを外すのをためらっていると、先生方は決まって、
「やらなきゃ出来ないんだから、やっちゃいましょ」って言ってくれましたが、
それもね、ぬれた床をサッと片付けてくれるパートのおばさんがいたからだと
思うんです。
もしも、そのクラスに2人の担任しかいなければ、
おしっこを漏らした子どもの着替えにひとり、床の掃除にひとりとられて、
その間他の子を見る目がおろそかになります。
事故というのはまた、そういう時に起こるものです。

「オムツ外しちゃいましょ」と、ただ子どもの成長を考えてそう言える先生の後には
雑用を片付けてくれる心強いおばちゃん達がいました。
だから、担任の先生達は子ども達一人一人をしっかり見ることに集中でき、
皆が楽しく成長できる環境を整え、夫々の子どもにあった課題を考え、
対応してくれたんだと、そんな風に思います。

これを、小学校にあてはめて考えた時、
担任の先生には、なんのサポートもありません。
体育の時間の前には大急ぎで着替えてグラウンドに白線をひき、
プールの時には、水面に浮いた葉っぱを取ったり、水温や水質を調べたりと、
授業以前の雑用も、全て先生たちの仕事です。
子ども達の数は、保育園より1クラスで10人以上も多いのに、
一人で何もかも抱えて頑張っていくしかないのです。

先生の仕事のうち、雑用だけでも請け負ってくれる人がいたら、
他にかわれるものをかわってもらって、本来の
「子ども一人一人をじっくり見て教えていく」事に
もっと時間をさいてもらえるのではないか・・・
そんな事を思います。

「教育再生会議」で色々と議論された事。

先生達の資質の向上のために、研修を受けさせるというけれど、
その間留守になる教室の子供達は、どうなるんでしょう。

問題のある生徒は廊下に出してもいい。立たせてもいいというけれど、
廊下に素直に立っているような子どもなら、そもそも廊下に出すほどのこともないのです。
勝手にどこかに飛び出しちゃうかもしれない子、
大人の制止が効かない子を担任の目の届かないところに置くのなら、
その間見てくれる人間が必要なんですよ。
でも、先生がたは手一杯。


この国の教育論議は「論議」ばかりで、お金と人手がでてこない。
きっとそれが一番の問題なんでしょう。

「機械の数は限られているのだから、頑張っていただくしかない。」
と発言された方の言葉にも共通するのですが、
「やる気」と「頑張り」があれば何とかなるという状況ではない事を、
政策をたてる方々がちっともわかっていない事、
或いはわかっていないふりをすることが、問題なんだと思うのです。