朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

ありのままの、このままのところから

2018-03-20 07:41:30 | 聖書から

 主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。イザヤ書52:9

 あなたがたは、
恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、
自らの力によるのではなく、
神の賜物です。エフェソ書2:8

 ヨブ記19:21~27
 ヨハネ16:5~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句3/20;火)


天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自分の民を慰め、エルサレムを贖われ、
さらに、ご自分の民ではなかった私たちをも、ご自分の民にしようと、
御子イエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって
贖(あがな)ってくださったのだそうです。

 そして、これを、恵みの、無代価の、
タダでもらえるプレゼントとして差し出してくださっているのだそうです。

 それで、私たちは、このことを信用して、受け取るだけ、もらうだけで、
自分の力で何も出来ていないのに、救いに入れていただけるのだそうです。


ヨブが激しい苦しみの中で待ち望み、
「私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、
後の日には、ちりの上に立たれることを」(ヨブ19:25)と言った、
その贖い主として、
イエスは確かにこの地の上に、人間の歴史の中に立たれ、
ご自分の身と命を、私たちを贖う代価として献げて、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうですから。


それで、私たち一人一人の「的外れ」、背きの罪は、処罰済みとしていただけて、
聖である方が私たちに来ても私たちが滅びてしまわないようになり、

神が妬むほどに愛しておらあれる方、
〔聖である霊〕とか〔真理の御霊〕と呼ばれる方が
もう一人の助け主として、
受け入れる者に来てくださる道が開けたのだそうです。


 この方は、イエスがそうであったように、
自分から語るのではなく、
〔父である神〕から聞くままを話し、
イエスが〔父である神〕から受けたものを、
そのまま、私たちに知らせてくださるのだそうです(ヨハネ16:13~15)。

 この方が、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思い、
語ろうとしておられることをそれぞれの心に置いてくださるので、
私たちの内に〔父である神〕の御思いがあるようになり(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、
私たちがその思いについていくとき(ガラテヤ5:24~25)、
私たちは神がしようとしておられることをしていく器として、
用いていただけるようになるのだそうです(ヨハネ14:12)。

 御心を地にもたらす者、
新しい契約に生きる者として。

 「主はその民を慰め、
エルサレムを、私たちを贖われた」と喜び歌いながら。
今日も。

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すべてを成し遂げる方。この方が。

2018-03-19 08:51:17 | 聖書から

我々はあなたを待ち望みます。
あなたこそ、
すべてを成し遂げる方です。エレミヤ書14:22

 何事でも
神の御心に適うことを私たちが願うなら、
神は聞き入れてくださる。
これが神に対する私たちの確信です。Ⅰヨハネ5:14

 エフェソ書2:11~16
 ヨハネ15:18 ~16:4(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/19;月)


 すべてのことが、
神から発し、
神によって成り、
神に至る(ロマ11:36)、のだそうです。

 神は、私たちの内に働きかけて、その願いを起こさせ、
志を立てさせ、
事を行わせ、
実現に至らせてくださる方(ピリピ2:13)、なのだそうですから。

 だから、
イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来た、
〔父である神〕の御思いを、
私たちは、願い続け、待ち望んでいればいいようですね。
確信の中で。

 私たち、以前は肉においては異邦人であり、
キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 しかし、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、
キリストの血、十字架によって近い者とされ、
神との和解をいただくことが出来るように
していただいているのだそうですから(エペソ2:11~16)。

 イエスが、〔父である神〕のもとから遣わしてくださる助け主、
〔父である神〕から出る〔真理の御霊〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださり、
イエスによって成っている事実を証ししてくださり、
願いを起こさせ、
信頼と確信を与えてくださり
実現に至らせてくださるのだそうですから(ヨハネ15:26)。
今日も。

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仕えるために、自分のいのちを与えるために、来られて

2018-03-18 20:06:10 | 聖書から
人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分のいのちを献げるため来た。マタイ20:28(3/18の週の聖句)

 主よ、
慈しみを私たちに示し、
私たちをお救いください。詩85:8

 恵みと真理は
イエス・キリストを通して現れた。ヨハネ1:17

 マルコ10:35~45
 詩43(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/18;Ⅲ日曜)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たち人間に対する、ご自身の恵みと真実によって
慈しみを私たちに現そうと、
〔御子である神〕を人として、人の世にお遣わしくださったのだそうです。


〔御子である神〕は、
〔父である神〕のお心に従って、
私たち人間に仕えてくださり、
ご自身のいのちを、
私たち人間の身代金、贖(あがな)い代として差し出し、献げて、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
神に反逆した者、神に拒まれ(詩43:2)、呪われた者として。


けれども、弟子たちは、このことが理解できず、
人々が待ち望んでいたように、
イエスを、王として立ち、民を率いて立ち上がり、
ローマ軍を打ち破ってダビデの王国を再現するキリストとしてしか、
見ていなかったようです。


それで、十字架刑での処刑を受けるためにエルサレムに向かうイエスに、
イエスの親戚であったヤコブとヨハネは、
母親とともに来て、願ったのだそうです。

 「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左に座らせてください」と。
そして、これを知った弟子たちは、腹を立てたのだそうです。


それで、イエスは言われたのだそうです。
「異邦人の支配者と認められる者たちは彼らを支配し、
権力を振るいます。

 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
みなに仕える者になりなさい。

 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、
みなのしもべになりなさい。

 人の子(イエスご自身のこと)が来たのも、
仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、
また、多くの人のための、贖いの代価として、
自分のいのちを与えるためです」(マルコ10:35~45新改訳)、と。


私たち、イエスの弟子たちのように、
人の上に、人の先に立ち、権力を振るいたい者ですが、
その、私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスに合わせていただいて、十字架刑で処刑された者としていただき、


イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えするなら、
この方が、受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
受け入れる者が〔父である神〕、〔御子である神〕と思いを同じくし、
心を一つにしていただけるのだそうです。


それで、私たちも、
イエスと同じように、人に仕える思いも、
心に持つ者にしていただけるのだそうです。
神のいつくしみと恵み、真実において。
この新しい週も。

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激しい叫びと涙で願い

2018-03-17 07:39:34 | 聖書から

私の神、主よ、
呼び求める私を、
あなたは癒してくださいました。詩30:3

 キリストは、
肉において生きておられたとき、
激しい叫び声をあげ、
涙を流しながら、
御自分を死から救う力のある方に、
祈りと願いとをささげ、
その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。ヘブル書5:7

 ヨハネ14:15~21
 ヨハネ15:9~17(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/17;土)

 〔御子である神〕ご自身が、
私たちと同じ人間となり、
同じ肉体を取ってくださって、
私たちが苦しむ苦しみを苦しんでくださり、
〔父である神〕に激しい叫びと涙で祈り、願われた方なのだそうです。

 それで、私たちの苦しみも思いやってくださることが出来、
聞いてくださり、いやしてくださるのだそうです。

 イエスは、ご自身が、
私たちに代わって、
私たちの「的外れ」の責任をとって十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちの贖(あがな)いをなし終えて、
〔父である神〕のもとに帰ったときには、
〔父である神〕に願ってくださると約束してくださったのですね。


私たちに、もう一人の助け主を派遣してくださるように(ヨハネ14:16)、と。

 この方が来てくださるとき、
イエスが〔父である神〕におり、
私たちがイエスにおり、
イエスが私たちにおることが実現していることが、
私たちにも分かる(ヨハネ14:20)、のだそうです。


本当の愛は、
いつも、その愛する相手と一緒にいたいもの、
愛する相手の思っていることを自分も思い、相手の思っているとおりにしたいもの、
相手の思っていることが成ることを願うもの、なのだそうです。


〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
いつも、いつまでも私たちとともにいたいと願っていてくださり(ヨハネ14:16)、
〔父である神〕、〔御子である神〕も、
私たちと共に住んでくださる(ヨハネ14:23)、のだそうです。


 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心に
〔父である神〕の私たち一人一人に持っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 それで、私たちの心にも、〔父である神〕の愛の思いが来て、
私たちも、いつも
神である主、「『私はある』という者」と名乗られる方と一緒にいたくなり、
私たちにも、
イエスが愛しておられた、
周りにいる人を思いやる思い、
大切に思う思いが来るようになるのだそうです(ヨハネ15:12、17)。

 〔御子である神〕、イエスの名によって願うなら、
与えていただけるのだそうですから。
今日も。

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明るい光、祝福の中を

2018-03-16 09:32:10 | 聖書から

あなたの神、主は、
あなたの手の業をすべて祝福し、
この広大な荒れ野の旅路を守り通された。申命記2:7

 イエスの言葉:
わたしは世の光である。
私に従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。ヨハネ8:12

 ヨハネ16:16~23b
 ヨハネ15:1~8

  (ローズンゲン日々の聖句3/16;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
イスラエルの民が、エジプトを出てから、約束の地に入るまでの、
荒野の旅の40年を祝福し、守り、昼は雲の柱、夜は火の柱で導き、
その着物は擦り切れず、足がはれることもないようにされたのだそうです。


私たちのこの世での旅路にも、
イエスが派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
命の光として、私たちの内に来てくださり、
光である、明るい、〔父である神〕の御思いを心に置いてくださり、


私たちが、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている自分の理性の暗闇、
自分の思い、自分の判断の暗闇を歩かなくていいようにしてくださるのだそうです。

 イエスは、しばらくの間、
弟子たちが見ることが出来ないようになられましたが、
しばらくすると、見るようになられました(ヨハネ16:16~22)。

 イエスが、十字架刑での処刑を受け、息を引き取られたのは、
金曜日の午後の3時頃、
そして、日没からは過ぎ越しの祭りの安息日が始まるので、
いそいで、近くにあったアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
葬られたのだそうです。



そして、日曜日の早朝、
三日目の朝に新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを証明し、神の国のことを語った後、
オリーブ山から、弟子たちの守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。

 その、イエスが、〔父である神〕の右の座にあって、
受け入れる者に、〔真理の御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方の働きによって、ご自分が語ろうとしておられること、
〔父である神〕の御思いを私たちの心の置き、知らせて、
心が一つになっている者にしてくださり、
受け入れる者が、もう、イエスに尋ねなくていいほどに、してくださるるのだそうです(ヨハネ16:13~14、23)。


 それで、イエスと受け入れる者との関係は、
ぶどうの木と、その木の枝のような関係。
ぶどうの木の枝が、ぶどうの木につながっており、
つながった場にとどまり続けているなら、
木からの樹液が枝の隅々にまで流れ来て、豊かな実を結ぶように、
受け入れる者にも、〔父である神〕の御思いが心の隅々にまで来て、
〔父である神〕の思われるとおりをしていく者にしていただけるのだそうです。
豊かな実を結ぶ者に。

 この世の旅路の中で、光である御思いのとおりを求める者に。
祝福の中を。
今日も。

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