朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

預言の言葉をしっかりと握って

2020-12-26 22:17:17 | 聖書から
言(ことば)は肉となって、
私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た。ヨハネ1:14a



いかに幸いなことか、
主に信頼をおく人は。詩40:5



私たちには、預言の言葉は
いっそう確かなものとなっています。
夜が明け、明けの明星が
あなたがたの心の中に昇るときまで、
暗いところに輝くともし火として、
どうかこの預言の言葉に
留意していてください。Ⅱペトロ1:19



 ルカ2:(22~24)25~38(39~40)
 詩2(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/27;Ⅳ日曜)




 ヨハネは言うのですね。
「私たちは、その栄光を見た」と。



 イエスこそ、言(ことば)である神、
【父である神】の御思いを、
そのとおりに表現しておられる方だ、と。



 その方が人間と同じ肉体をとって、
人間の世界に来てくださったのだ、と。
預言のことばのとおりに。



 旧約聖書に書かれている
メシヤ(キリスト)についての預言は、
イエスによってことごとく成就したのだそうです。
また、これから先の事への預言も、必ずそのとおりに成る、と。



 だから、暗いこの世の中にあって、
聖書の預言のことばにしっかりと目を留めているように、と。



 神から
「キリストを見るまでは決して死を見ることはない」と告げられ、
エルサレム神殿で、
今日か、今日かと待ち望んでいたシメオンが、
両親に抱かれて来た赤ん坊のイエスを見、
これを腕に抱き、
「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、
しもべを安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです。
あなたが万民の前に備えられた救いを。
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を」と、
神をほめたたえたように。(ルカ2:25~32)





 この方、イエスについて【父である神】は言われるのですね。
「わたしが、わたしの王を立てたのだ。

わたしの聖なる山、シオンに。



 あなたはわたしの子。
わたしが今日、あなたを産んだ。
わたしに求めよ。
わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。
地の果て果てまで あなたの所有として。
あなたは、鉄の杖で彼らを牧し、
陶器師が器を砕くように粉々にするそ。」



 それゆえ今、王たちよ 悟れ。
地をさばく者たちよ 慎め。
恐れつつ 【主】に仕えよ。

おののきつつ震え 子に口づけせよ。

主が怒り お前たちが道で滅びないために。

御怒りが すぐにも燃えようとしているからだ。

幸いなことよ すべて主に身を避ける人は、と。(詩篇2:6~12)



 私たちも、この方に信頼し、
この方のことばをしっかり握って、
この方の栄光を見ている者に。

今日も。





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安心の中で眠り、希望の中で起きられるようにと

2020-12-23 20:21:17 | 聖書から
身を横たえて眠り、
私はまた、目を覚ます。
主が支えてくださいます。詩3:6



はっきり言っておく。
子どものように
神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。マルコ10:15



 イザヤ7:10~14
 ルカ1:57~66(通読箇所)  
   (ローズンゲン日々の聖句12/23;水)




 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私を支えてくださる方。


 それで私は、安心して眠り、
また、希望をもって起き上がることができます。
小さい子どもが親の世話をそのまま受け入れているように、
私たちがこの方のなさることをそのまま受け入れることが、
神の国、この方の統治の中に身を置くことになるようです。



 ユダの王アハズがのとき、隣国が今にも攻め登って来用としていたのだそうです。

その時、神である主は、そのことは決して起こらないと言われ、
また、そのしるしを求めよと言われたのですが、
アハズ王は、「私はそれを求めて、主を試みることはしません」と
答えたのだそうです。



 「主を試みてはならない」という律法の教えによる自分の信仰が、
神から直接「しるしを求めよ」と言われたことよりも優先していた、
ということでしょうか。



 こういう、自分の信仰、自分の考えを
神の御思いよりも先だてる大人びた心が、
神の国を拒否することになるようです。
幼な子ではなく、大人びた心に。



 そのような、自分の理性の判断で神を受け入れようとしない私たちに、
神御自身のほうで、一つのしるしを与えてくださったのだそうです。



 「処女がみごもり、男の子を産む。
その名はインマヌエル(神が共にいてくださる)と呼ばれる」(イザヤ7:10~14))との。


 天の神、主が私たちを救ってくださるしるしとして、
神御自身が立ててくださったしるし。



 確かに、イエスは、
「女の子孫」として(創世記3:15)、処女マリアから生まれ、
「インマヌエル」という名で呼ばれた方なのだそうです。



 【父である神】は、この方、イエスによって
私たちを救おうと計画しておられるのだそうです。



 御自身の支えの中で、
私たちが安心して伏し、

また、安心して起きられるようにしようと。
今日も。



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見ておられたのだそうです。胎児の私の人生のすべてを

2020-12-19 14:36:06 | 聖書から
胎児であった私を
あなたの目は見ておられました。
わたしの日々は
あなたの書にすべて記されている。
まだその一日も造られないうちから。詩139:16



あなたがたの名が
天に記されていることを
喜びなさい。ルカ10:20



 イザヤ書11:10~13
 ルカ1:18~25(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句12/19;土)




 見ておられたのだそうです。この方は私を。
まだ、私がこの世に生まれる前、
母親のお腹の中にいるときに。すでに。
私が生きる、その一生のすべてを。



 なぜなら、この方が私たち人間や
すべてのものの造り主であり、
その全知の御力で、私の一生を予知しておられる方
なのだそうですから。



 そして、イエスが私たちすべての人間の身代わりとなり、
十字架刑で死刑を受けてくださったことによって、
私たちの「背き」、「的外れ(ハマルティア)」の責任が
果たされたものとしてくださるのだそうです。



 それで、私たちは無罪放免になるのだそうです。
それで、私たちは、

今からの自分の歩みを自分で決めることになるのですね。



 解放された、元の自分の生き方、
この方に背いた、「的外れ」の生き方に戻るか、


この方の愛の内に自分の身を置いて、
この方と思いを一つにして生きる生き方を選び、
天の、「いのちの書」に名を記された者、
天の御国の国籍を持つ者としていただくか、を。





 その日になると、
エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼の留まるところは
栄光に輝く(イザヤ11:10)ことになるのだそうです。



 この方のことばは、ご計画の時が来れば、必ず、
そのことばのとおりに実現するのだそうですから。(ルカ1:20)



 私たちも、この方のことばに留まり、
天に名が記される、
この方と思いを一つにして行く人生を選び取って。

今日も。





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「そうです」と言えば、そのとおり「そうである」方が呼びかけてくださって

2020-12-17 22:13:08 | 聖書から
主の言葉を聞け。
主はこの国の住民を告発される。
この国には、誠実さも慈しみも、
神を知ることもないからだ。ホセア書4:1



悔い改めよ。
天の国は近づいた。マタイ3:2



 Ⅱコリント1:18~22
 ルカ1:1~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句12/18;金)




 この国に、誠実さも慈しみもなく、
神を知ろうともしないことを、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
悲しんでおられるのだそうです。



 ご自身に背を向け、
自分の思いのままにさまよい出ている私たちに、
自分のほうに向きなおってほしい、
心の通い合う、思いを一つにし合う関係、
天の御国に入ってほしいと願って。




 この方は、わたしたちのように、「そうです」と同時に
「違います」というようなお方ではなく、
話されたことばのとおりの
「そのとおり」の方なのだそうです。



 この方は、私たちが神の国(統治)に入っていることの証印、
保証として、
「聖である霊】と呼ばれる方を私たちに
遣わしていてくださるのだそうですから。(Ⅱコリント1:1~18)



 この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに来てくださるためには、
私たちの「背き」、「ハマルティア(的外れ)」が
解決されなければならなかったのだそうです。



 「背き」、「的外れ」の責任が果たされないままの私たちに
この聖なる方が来られるなら、
私たちはたちどころに滅びてしまうほかないのだそうですから。



 それで、【父であある神】は、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣される前に、
救い主である方を派遣して、
私たちの「背き」、「的外れ」の責任が果たされているように
しなければならなかったのだそうです。



 そして、【父である神】は、
その救い主が人間の世に来られる前に、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
道ぞなえをする者が現れると
預言しておられたのだそうです。(イザヤ40:3)



 【父である神】は、その言葉のとおりに、
ユダの王ヘロデの時代(今から2000年余り前)に、
祭司ザカリヤとエリサベツという、
子どもを産めない老齢の夫婦を通して、
「荒野に呼ばわる者の声」として、
バプテスマのヨハネを生まれさせようとされ、
夫のザカリヤにそのことを告げられたのだそうです。



 これらのことは、よく考えられた作り話ではなく、
この人間の歴史の中で起こった事実の目撃者の証言として
ルカはこれを記録しているというのですね。(ルカ1:1~18)


 私たちも、
この、ことばのとおりに在る方の呼びかけに応えて。

この方と思いを一つにしていく関係へ。

今日も。





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私たちの将来には、希望があるのですから

2020-12-17 12:15:26 | 聖書から
あなたの未来には希望がある、
と主は言われる。エレミヤ書31:17



見よ、
わたしは戸口に立って、たたいている。
だれか私の声を聞いて
戸を開ける者があれば、
わたしは中に入って
その者とともに食事をし、
彼もまた、わたしと共に
食事をするであろう。黙示録3:20



 ルカ1:26~38
 イザヤ書66:18~24(通読箇所)
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 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「あなたの将来、未来には希望がある」と。



 天の、【神の御子】という栄光の座を後にして人となられて、
人の世に来られ、
私たちが問われるはずの「背き」、
「ハマルティア(的外れ)」の責任をご自分の身に負って、
神に背き、神に呪われた者となって、
十字架刑での死刑を受けてくださった方、イエス。



 このイエスは、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、雲に迎えられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。



 そのイエスが、【父である神】の右の座にあって、
私たちに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださる、
というのですね。



 この方は私たちの心のドアをノックしていてくださる。
それで、そのことに気づいてドアを開けるなら、
この方は私たちの内に入ってくださって、
食事を一緒にしてくださる。
【父である神】の御思い、そのみことばをともにするよ、と
仰られるのですね。



 マリアが、御使いガブリエルから、
「あなたは身ごもって、男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなるものとなり、いと高き神の子と呼ばれます。



 また神は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、
その支配に終わりはありません」と告げられた時、



まだ、結婚もしていなくて、
「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。
私は男の人を知りませんのに」というしかないマリア。



 「聖霊があなたの上に臨み、
いと高き方の力があなたを覆います。
それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
神にとって不可能なことはなにもありません」との
ガブリエルのことばに、
「ご覧ください。私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどうり、この身になりますように」と
自分を明け渡したマリアのように。(ルカ1:26~38)



 神である主が言われるのですから。
「わたしが造る新しい天と新しい地が、
私の前にいつまでも続くのと同じように、
あなたがたの子孫とあなたがたの名もいつまでも続く。
すべての肉なる者がわたしの前に来て礼拝する」と。



 その、将来、その未来の希望の中で。
今日も。







(聖書のことばへの疑問、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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