朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

神の家族としての生き方を

2024-07-13 23:05:01 | 聖書から
あなたがたはもはや
外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する神の家族です。
         エフェソ書2:19(7/14の週の聖句)
 
地とそこに満ちるもの、
世界とそこに住むものは
主のもの。詩21:1
 
ですから、あなたがたは、
もはやよそ者でも寄留者でもなく、
聖なる者たちと同じ民であり、
神の家族の一員です。エフェソ書2:19
 
 福音書:ヨハネ6:1~15
 使徒書:使徒2:41~47
 説教/旧約:出エジプト記16:2~3、11~18
 通読:詩119:25~32
   〈ローズンゲン『日々の聖句』7/14(Ⅱ日曜)〉

   ―――― α&ω ――――

 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間を造られた方。
 
そして、人間が住む場所として、
この天地宇宙、地球の自然環境を創造された方。

それゆえに、「地とそこに満ちるもの、
世界とそこに住むものはわたしのもの」
ということができる方なのですね。

この方が、私たちをご自分の国民、
ご自分の家族として望まれ、
そのための手続きを、
イエスによって完了していてくださる
と聖書は言うのですね。
 
 
 それで、詩篇の作者は歌います。
私のたましいは、ちりに付しています。
みことばのとおりに私を生かしてください。
私は自分の道を申し述べました。
すると、あなたは私に答えてくださいました。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。
あなたの戒めの道を私に悟らせてください。
私が、あなたの奇しいみわざを
語り伝えることができるように。

私のたましいは、悲しみのため溶けさります
みことばのとおりに私を強めてください。
私から偽りの道を取り除いてください。
みおしえをもって、私をあわれんでください。
私は真実の道を選び取り、
あなたの定めを自らの前に置きました。
私はあなたのさとしに固くすがります。
【主】よ、どうか私に恥を見させないでください。
私はあなたの仰せの道を走ります。
あなたが私の心を広くしてくださるからです。
       (詩篇119:25~32)
 

 私たちも、イエスの十字架刑での死と、
三日目の死人の中からの復活によって、
神の子の身分を与えてくださる方、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と
思いを一つにして生きていくのですね。
 
イエスのように、自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが実現することを願いながら。
この新しい週も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
(聖書のことばへの疑問やご意見、
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また、婚活で広く出会いを求めたい
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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私たちを生かしてくださる方に

2024-07-05 16:24:45 | 聖書から
主を畏れる人々よ、
主に信頼せよ。詩115:11
空の鳥を見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、
倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は
鳥を養ってくださる。マタイ6:26
 
 ロマ書9:14~23(24~26)
 出エジプト記3:20~33(通読箇所)
    〈ローズンゲン『日々の聖句』7/5;金〉
 
   ―――― α&ω  ――――
 
 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
種まきも刈り入れもしない空の鳥も
養っていてくださる方。
私たち人間が生きていくうえで必要なものは
用意してくださる方。
だから、この方を信頼しなさいと
詩篇の作者は言います。
 
 
 しかし、世の中にはいろいろな差があります。
貧富の差とか、神に用いられる用いられ方の差とか。
だから神は、不公平ではないかと思います。
 
それに対してパウロは
ロマ書9:14~26で次のように述べています。
「それでは、どのように言うべきでしょうか。
神に不正があるのでしょうか。
決してそんなことはありません。
 
神はモーセに言われました。
『わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、
いつくしもうと思うものをいつくしむ。』
ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。
 
聖書はファラオ(エジプト王)にこう言っています。
『このことのために、
わたしはあなたを立てておいた。
わたしの力をあなたに示すため、
そうして、わたしの名を
全地に知らしめるためである。』
 
ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、
またみこころのままに頑(かたく)なにされるのです。

すると、あなたは私にこう言うでしょう。
『それではなぜ、神は人を責められるのですか。
だれが神の意図に逆らえるのですか。』

人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。
作られた者が造った者に
『どうして私をこのように造ったのか』
と言えるでしょうか。
陶器師は同じ土のかたまりから、
あるものは尊いことに用いる器に、
別のものは普通の器に作る権利を
得ていないのでしょうか。
 
それでいて、もし神が、
御怒りを示してご自分の力を知らせようと
望んでおられたのに、
滅ぼされるはずの怒りの器を、
豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、
どうですか。
しかもそれが、栄光のために
あらかじめ備えられたあわれみの器に対して、
ご自分の豊かな栄光を知らせるためであった
とすれば、どうですか。
 
このあわれみの器として、神は私たちを、
ユダヤ人の中からだけでなく、
異邦人の中からも召してくださったのです。
 
それは、(旧約聖書の)ホセア書でも
言っておられるとおりです。
『わたしは、
わたしの民でない者をわたしの民と呼び、
愛されない者を愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、
と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる』、と。
 
 
 エジプトを出たイスラエルの民、
シナイ山での神のことばは続きます(出エジプト記23:20~33)。
「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、
道中あなたを守り、
わたしが備えた場所にあなたを導く。
あなたは、その者に心を留め、
その声に聞き従いなさい。
彼に逆らってはならない。
わたしの名がその者のうちにあるので、
彼はあなたがたの背(そむ)きを赦さない。
しかし、もしあなたが確かにその声に聞き従い、
わたしが告げることをみな行うなら、
わたしはあなたの敵には敵となり、
あなたの仇(あだ)には仇となる。
 
わたしの使いがあなたの前を行き、
あなたをアモリ人、ヒッタイト人、ぺリジ人、
カナン人、ヒビ人、エブス人のところに導き、
わたしが彼らを消し去るとき、
あなたは彼らの神々を拝んではならない。
それに仕えてはならない。
また、彼らの風習に倣(なら)ってはならない。
それらの神々を徹底的に破壊し、
その石の柱を粉々に打ち砕かなければならない。
 
あなたがたの神、【主】に仕えよ。
そうすれば主はあなたのパンと水を祝福する。
わたしはあなたの中から病気を取り除く。
あなたの国には、
流産する女も不妊の女もいなくなる。
わたしはあなたの日数を満たす。
 
わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に送り、
あなたが入って行く先のすべての民をかき乱し、
あなたのすべての敵が
あなたに背を向けるようにする。
わたしはまた、スズメバチをあなたの先に遣わす。
これが、ヒビ人、カナン人、ヒッタイト人を
あなたの前から追い払う。
 
しかし、わたしは彼らを一年のうちに、
あなたの前から追い払いはしない。
土地が荒れ果て、野の生き物が増え、
あなたを害することのないようにするためである。
あなたが増え広がって、その土地を相続するまで、
少しずつ、わたしは彼らをあなたの前から追い払う。
わたしは、あなたの領土を、葦(あし)の海から、
ペリシテ人の海に至るまで、また荒野から
あの大河(ユーフラテス川)に至るまでとする。
それは、わたしが
その地に住んでいる者たちをあなたがたの手に渡し、
あなたが彼らを自分の前から追い払うからである。
 
あなたは、
彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。
彼らはあなたの国に住んではならない。
彼らがあなたを、わたしの前に
罪ある者としないようにするためである。
あなたが彼らの神々に仕え、
あなたにとって罠(わな)となるからである。」
 
 
 私たちも、私たちの造り主、
また、私たち人間の住まいとしてこの天地宇宙、
地球の自然環境を造り、
私たちが生きていくのに必要なもの
すべてを用意していてくださっている方、
この方に信頼し、この方と思いを一つにして生きていくのですね。

十字架刑での死と三日目の死人の中からの復活、
そして、今、【父である神】の右の座に
着いておられるイエスを通して、
私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださるのですから。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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恵み深い主によって

2024-07-01 17:01:11 | 聖書から
あなたがたは
恵みと信仰によって救われたのです。
あなたがたの力ではなく、
神の賜物です。エフェソ書2:8
           (6/30の週の聖句)
 
恵み深い主に感謝せよ、
慈しみはとこしえに。詩106:1
 
何を話すにせよ、行うにせよ、
すべてを主イエスの名によって行い、
イエスによって、
父である神に感謝しなさい。
       コロサイ書3:17
 エレミヤ書20:7~11
 出エジプト記19:16~25(通読箇所)
    〔ローズンゲン『日々の聖句』7/1(金)〕
 
   ―――― α&ω  ――――

 私たちが、イエスによって、
天の神,【主】、
「わたしはある(I am)という者」
(出エジプト記3:14)と名乗られる方の
救いにあずかったのは、
私たち自身の努力や成果によるのではなく、
天の神、【主】の側からの恵みによってであり、
その約束のことばに信頼して、
それを受け取ったからだと、パウロは言うのですね。
 
 それで、詩篇の作者は歌います。
「恵み深い主に感謝せよ、
その慈しみはとこしえに」と。
 
 私の側の何にもよらず、
ただ、この方の側の恵みと慈しみが
この人間の歴史の中で実行に移され、
【御子なる神】が、
人間イエスとして人間の歴史の中に来られ、
【父である神】の御思いに従って、
私たち、すべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださいました。
 
それによって【父である神】は、
私たちが「神のひとりのようになり、
善悪を知る者」になって(創世記3:22)、
「われわれのかたちとして、
われわれに似姿に」(創世記1:26)との、
ご自身の創造の目的から
「的外れ」になってしまっている
私たちの〔生まれた時からの私〕という霊を、
死刑が終わっている者、死んだものと
してくださっているのだそうです。
 
そして、十字架刑で処刑されたイエスは死んで
岩に掘った墓に納められましたが、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを
弟子たちに見せたのち、オリーブ山で、
弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。

【父である神】は、約束しておられたとおりに
このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記してくださいます。
それで、私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようになり、
私たちは、
〔生まれた時からの私〕という霊から
出てくる思いは、
死んだ者から出てきた思いであるとして、
これをイエスの御前に投げ捨てながら、
この、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いを私の思いとして
行動していく者にしていただけるのですね。
 
それで私たちは、パウロがここで言っているように、
「何を話すにせよ、何を行うにせよ、
すべてをイエスの名によって
(イエスがしていることとして、
イエスの代理人として)行い、
父である神に感謝するように」なるのですね。
 
 
 神が思われるとおりにしていくとき、
なんでもうまくいくということではなく、
神から遣わされてエルサレムの人々に
神のことばを伝えた預言者エレミヤのような
扱いを受けることもあるのですね。
 
エルサレムの人たちは、
バビロンの大軍に包囲されてもなお、
「ここは主の宮だから
異邦人のバビロン軍が攻め入って来ることはない
と信じて抵抗を続けていました。
 
しかし、神は、エレミヤに、
このことはエルサレムの人たちが、
自分の気に入った異邦の神々を拝み、
天の神、【主】に従わないから
起こっていることだから、
バビロン軍に投降して命を得るようにと伝えるように
命じられたのですね。
 
それを伝えた結果、エレミヤはみんなから憎まれ、
捕らえられ、殺されそうになりました。
それでエレミヤは言います。
 
「主よ。あなたは私をだまして、
あなたのなさるとおりにさせられました。
あなたは力をもって、私を思いのままにされました。
そこで、私は一日中、人々にあざけられました。
私は語り、叫ぶごとに、
『暴虐だ。滅亡だ』と言わなければなりません。
主のことばをこう語れば、人々はあざけります。

そこで、私は、『もう主のことばを語るまい。
主の預言者としてふるまうまい』と決意しますが、
主のことばが私の心の中で燃えさかる火のようで、
私は黙っていることができません。

私は多くの人のささやく声を聞きます。
『周りの人々が恐れる奴がいる。あいつを訴える。』

私の友だちも皆、私が倒れるのを待っています。
「おそらく彼はだまされるだろう。
その時は、仕返しをしてやろう。」

しかし、主は私と一緒にいて、
力強い勇士のようです。
ですから、迫害者たちは躓(つまず)いて、
私に勝つことができません。
彼らは失敗し、大いに恥をかき、
その恥は、いつまでも忘れられません」、と。
     (エレミヤ20:7~11尾山令仁現代訳)
 
 

 出エジプト記の記事は続きます。
三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、
角笛が非常に高く鳴り響いたので、
宿営の中の民はみな震え上がった。
モーセは、神に会わせようと、
民を宿営から連れ出した。
彼らは山のふもとに立った。
シナイ山は全山が煙っていた。
【主】が火の中にあって、
山の上に下りて来られたからである。
煙は、かまどの煙のように立ち上り、
山全体が激しく震えた。
 
角笛の音がいよいよ高くなる中、
モーセは語り、神は声を出して彼にこたえられた。
【主】はシナイ山の頂に下りて来られた。
【主】がモーセを山の頂に呼ばれたので、
モーセは登って行った。
【主】はモーセに言われた。
「下って行って、民に警告せよ。
彼らが見ようとして【主】の方に押し破って来て、
多くの者が滅びることのないように。
【主】に近づく祭司たちも
自分自身を聖別しなければならない。
【主】が彼らに怒りを発することがないように。」
 
モーセは【主】に言った。
「民はシナイ山に登ることができません。
あなたご自身が私たちに警告して、
『山の周りに境を設け、それを聖なるものとせよ』
と言われたからです。
 
【主】はモーセに言われた。
「下りて行け。
そして、あなた自身はアロンと一緒に登れ。
しかし、祭司たちと民は、
【主】のところに登ろうとして
押し破ってはならない。
主が彼らに怒りを発することがないように。」
そこでモーセは民のところに下りて行き、
彼らに告げた。(出エジプト記19:16~25)
 
 
 私たちも、イエスがそうであったように、
また、エレミヤやこのモーセのように、
神である【主】が話そうと思われることを話し、
しようと思われることをしていく者に
していただけるのですのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方によって。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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宝の民、私たちを子に、ご自身の家族にしようと

2024-06-28 18:32:30 | 聖書から
若き日に、
あなたの造り主を心に刻め。
災いの日々がやって来て
「私には喜びがない」と言う
よわいに近づかないうちに。
        コヘルト12:1
 
(私は)ここを立ち、
父のところに行って言おう。
「お父さん、
私は天に対しても、
またお父さんに対しても
罪を犯しました。
もう
息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」
        ルカ15:18~19
 
 エフェソ2:19~22
 出エジプト記19:1~15(通読箇所)
   〈ローズンゲン『日々の聖句』6:29(土)〉
 
   ―――― α&ω  ――――

 栄華を極めたソロモン王が、
思いつくこと、やりたいことを全部やってみて
達した結論がこれだったのだそうです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
『何の喜びもない』という年月が来る前に」と。
 

 父親に財産の生前贈与を要求し、
それを金に換え遠い町に出て行き放蕩三昧をした息子。
 
金を全部使い果たし、飢饉が来て
豚の餌でもいいから食べたいと思うのに
助けてくれる人は誰もいなくて、
飢え死にしそうな中、父の家を思い出し、
父のところに帰って謝ろうと決心し、
立ち上がったあの息子。
 
立ち上がって創造主である神に向き直って、
立ち返るのですね。私たちも。
 
この父親がまだ遠くにいる息子を見つけ、
駆け寄って抱きしめ、一番良い着物を着せ、
指輪をはめさせ、履き物を履かせて、
お祝いの宴会をしたように、
天の神、【主】は、
ご自分の側で私たちの尻拭いをし、
ご自分の子、ご自分の家族として
受け入れてくださるのだそうですから。
パウロがエペソ人への手紙2:19~22で
書き送っているように。
 
 こういうわけで、あなたがたは、
もはや他国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
使徒たちや預言者たちという土台の上に
建てられていて、
キリスト・イエスご自身がその要(かなめ)の石です。

このキリストにあって、
建物の全体が組み合わされて成長し、
主にある聖なる宮となります。
あなたがたも、このキリストにあって、
ともに築き上げられ、
御霊によって神の御住まいとなるのです。
 

 エジプトを脱出したイスラエルの旅は続きます。
エジプトの地を出たイスラエルの子らは、
第三の新月の日にシナイの荒野に入った。
彼らはレフィディムを旅立って、
シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。

イスラエルはそこで、山の前に宿営した。
モーセが神のみもとに登っていくと、
【主】が山から彼を呼んで言われた。
「あなたは、こうヤコブの家に言い、
イスラエルの子らに告げよ。

『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、
また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、
わたしのもとに連れてきたことを見た。

今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るなら、
あなたがたはあらゆる民族の中にあって、
わたしの宝となる。
全世界はわたしのものであるから。
あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、
聖なる国民となる。』
これが、イスラエルの子らに
あなたが語るべきことばである。
 
モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、
【主】が命じられたこれらのことばをすべて、
彼らの前に示した。

民はみな口をそろえて答えた。
「私たちは
【主】の言われたことをすべて行います。」

モーセは民のこのことばを携えて
【主】のもとに帰った。
【主】はモーセに言われた。
「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、
あなたに臨む。
わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、
あなたをいつまでも信じるためである。」
 
それからモーセは民のことばを【主】に告げた。
【主】はモーセに言われた。
あなたは民のところに行き、
今日と明日、彼らを聖別し、
自分たちの衣服を洗わせよ。
彼らを三日目のために準備させよ。
三日目に、【主】が民全体の目の前で
シナイ山に降りて行くからである。

あなたは民のために周囲に境を設けて言え。
『山に登り、この境界に触れないように注意せよ。
山に触れる者は、
だれでも必ず殺されなければならない。
その人に手を触れてはならない。
その人は必ず石で打ち殺されるか、
矢で殺されなければならない。
獣でも人でも、生かしておいてはならない。』

雄羊の角が長く鳴り響くときは、
彼らは山に登ることができる。」
モーセは山から民のところに下りて行って、
民を聖別した。
彼らは自分たちの衣服を洗った。
モーセは民に言った。
「三日目のために準備をしなさい。
女に近づいてはならない。」
     (出エジプト記19:1~15)
 

 このように、天の神、【主】は、
イスラエルを
単にエジプトの奴隷状態から救い出すだけではなく、
ご自分の特別な民をして他の民族から取り分け、
祭司とし、宝の民としようとされているのですね。
 
私たちも、エジプト、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
神の創造の目的から「的外れ」になってしまっている
〔生まれた時からの私〕という霊の支配から
脱出させ、「祭司の王国」、「宝の民」、
「ご自身の家族」にしようと
していてくださるのだそうです。

イエスを通してきてくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の思いを置いて、
私たちが自由意思で、自発的に、自分から進んで
ご自身と思いを一つにして生きる者となって。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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私たちの出エジプト

2024-06-27 15:53:30 | 聖書から
角笛のように、
あなたの声をあげよ。
わたしの民に
その背きの罪を告げよ。イザヤ書58:1
 
イエスは
「悔い改めよ。天の国は近づいた」
と言って、宣べ伝え始められた。
      マタイ4:17
 ルカ3:10~18
 出エジプト記18:1~12(通読箇所)
   〔ローズンゲン『日々の聖句』6/27(木)〕
 
   ―――― α&ω  ――――
 
 天の神、【主】は、角笛を大きく吹き鳴らすように
声をあげて、
民に罪(的外れの生き方)を告げ知らせるようにと
言われるのですね。
 
イエスは、「悔い改めよ
(方向転換して、神のほうに向き直れ)。
天の国が近づいたから。」と言われます。
 
ルカは、バプテスマのヨハネは人々に
次のように伝えたと記しています。
「下着を二枚持っている人は、
持っていない人に分けてあげなさい。
食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」

取税人(ローマのための税金を集めている人)には、
「決められた以上には、
何も取り立ててはいけません。」
 
兵士たちには
「だれからも、金を力ずくで奪ったり、
脅し取ったりしてはいけません。
自分の給料で満足しなさい。」

人々はキリストを待ち望んでいたので、
みなヨハネのことを、もしかすると
この方がキリストではないか、
と心の中で考えていた。
 
そこでヨハネは皆に向かって言った。
「私は
水であなたがたにバプテスマを授けています。
しかし、私よりも力のある方が来られます。
私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。
その方は聖霊と火で、
あなたがたにバプテスマを授けられます。
また手に箕(み)をもって、
ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、
麦を集めて倉に納められます。
そして、殻(から)を
消えない火で焼き尽くされます。」
 
このようにヨハネは、
ほかにも多くのことを勧めながら、
人々に福音を伝えた。(ルカ3:10~18)
 
 
 天の神、【主】、
「わたしはある(I am)という者」と
名乗られる方の介入によって
奴隷状態のエジプトを脱出したイスラエルの民。
出エジプトの記事は続きます。
 
 さて、モーセのしゅうと、
ミディアンの祭司イテロは、
神がモーセと御民イスラエルのためになさったこと、
どのようにして【主】が
イスラエルをエジプトから導き出されたかを聞いた。

それでモーセのしゅうとイテロは、
先に送り返されていたモーセの妻ツィポラと
彼女の二人の息子を連れて行った。
その一人の名はゲルショムで、
「私は異国にいる寄留者だ」という意味である。
もう一人の名はエリエゼルで、
「私の父の神は私の助けであり、
ファラオ(エジプト王)の剣から私を救い出された」
という意味である。
 
こうしてモーセのしゅうとイテロは、
モーセの息子と妻と一緒に、
荒野にいるモーセのところにやって来た。
彼はそこの神の山に宿営していた。
 
イテロはモーセに伝えた。
「あなたのしゅうとである私イテロが、
あなたの妻とその二人の息子と一緒に、
あなたのところに来ています。」
 
モーセはしゅうとを迎えに出て行き、
身をかがめ、彼に口づけした。
彼らは互いに安否を問い合い、天幕に入った。
 
モーセはしゅうとに、
【主】がイスラエルのために、
ファラオとエジプトになさったすべてのこと、
道中で自分たちに降りかかったすべての困難、
そして【主】が彼らを救い出された次第を語った。
 
イテロは、【主】がイスラエルのために
してくださったすべての良いこと、
とりわけ、エジプト人の手から
救い出してくださったことを喜んだ。
 
イテロは言った。
「【主】がほめたたえられますように。
主はあなたがたを
エジプト人の手とファラオの手から救い出し、
この民をエジプトの支配から救い出されました。
今、私は、【主】があらゆる神々にまさって
偉大であることを知りました。
彼らがこの民に対して
不遜にふるまったことの結末によって。」
 
モーセのしゅうとイテロは、神への
全焼のささげものといけにえを携えて来たので、
アロンとイスラエルのすべての長老たちは、
モーセのしゅうとイテロとともに神の前で
食事をしようとやって来た。
      (出エジプト記18:1~12)
 
 
 私たちも、自分の理性の善悪の判断にしたがって
生きる者となって(創世記3:22)、
イスラエルがエジプトで奴隷であったように、
罪(的外れな生き方)の
奴隷になってしまっています。
 
イスラエルが解放されるためには、エジプトの長子が
打たれるということがありました。
 
天の神、【主】は、私たちの解放のためには
ご自身の独り子を私たちの身代わりにして、
そのいのちを献げなければなりませんでした。
 
そして、神に向き変り、
このイエスによる身代わりの死をもらった者に、
【父である神】は、このイエスを通して
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わし下さり、
「聖霊と火のバプテスマ」を授けて、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって
ご自身の御思いを私たちの心に置いて下さり、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださいます。
約束のことばの通りに(エレミヤ31:31~34、エゼキエル11:19~20、36:25~28、ヨハネ17::21~23)。
 
そして、モーセのしゅうとイテロが
「【主】がほめたたえられますように。
主はあなたがたを エジプト人の手と
ファラオの手から救い出し、
この民をエジプトの支配から救い出されました。
今、私は、【主】があらゆる神々にまさって
偉大であることを知りました」と言ったように、
私たちの周りにも私たちの新しい生き方を見て
神をほめたたえる人々が起こされていくように
神はなさろうとしておられることと思います。
今日も。
 
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