朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

あの方の前での沈黙とは

2014-07-30 22:31:29 | 聖書から

(ローズンゲン日々の聖句7/31;木)


主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。ハバクク書2:20



 マリヤは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。ルカ10:39



口はつぐんでいても頭はくるくる回転している、あれこれ、しきりに考えていることもあるのですね。日本の古い歌に「見ればただなんの苦もなき水鳥の足に暇なき我が思いかな」というのがあるそうですが、表面上は口を閉ざし沈黙していても、水鳥の足のようにあれこれ思いめぐらせていることが多い私たちなのでしょうね。
あの方の御前での沈黙とは、自分の理性で判断していることをやめることなのでしょうね。そのとき、はじめて、あのマリヤのようにイエスの話に聞き入ることができるということでしょうか。...
自分の理性で善悪を判断していることが、創造の目的からはずれた状態であることを認めて、心に来るあの方の御思いに聞き入る今日を過ごしたいですね。








(ローズンゲン日々の聖句8/1;金)


わたしはあなたを形づくり、わたしのしもべとした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。イザヤ書44:21


 神は、前もって知っておられたご自分の民を退けたりなさいませんでした。ロマ書11:2





私たちは造り主を忘れていますが、あの方は、最初に選ばれた長子、イスラエルを、そして私たちを、忘れたり退けたりなさらないのだそうです。
目の瞳のように大切に思っていて下さるのだそうです。今日も。





(明日は、教会学校のキャンプに同行するので、更新出来そうにありませんので、2日分載せました。)





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あの方から誉れをいただけるとしたら、最高ですね

2014-07-29 23:46:53 | 聖書から
裁きを曲げず、

偏り見ず、

賄賂を受け取ってはならない。



賄賂は

賢い者の目をくらませ、

正しい者の言い分を

ゆがめるからである。

申命記16:19







互いに

相手からの誉れは

受けるのに、



唯一の神からの誉れは

求めようとしない



あなたたちには、

どうして

信じることができようか。

ヨハネ5:44
   



 (ローズンゲン日々の聖句7/30;水)







3500年ほど前の文章に

このように記されているとは

驚くべきことですね。





人を裁く立場にある人の心得、



まさに

今の時代のことでもあるのですね。



そして、

人からの誉れを求め、

あるいは

人におもねる気持ちが、

裁判をゆがめていくということでも

あるのでしょうか。




人からの誉れは

この世限りのものですね。

そして、

人は

一人の例外もなく、

唯一の神の前に立って、

言い開きをしなければならないときが

来るのだそうです。



その時、

誉れをいただけるとしたら、

その栄誉は

いかばかりでしょう。




イエスがそうであったように、

聖である霊と呼ばれる方によって

心に来る

私に関わるあの方の御思い、



その思いのように行動して行くなら、

あの方の御前に立った時、

「お前を通してしようと思っていたことが

全部出来たよ。

とっても良かったよ」と

言っていただけるとしたら、



その誉れ、

最高ですよね。




羊が

羊飼いの声を

聞き分けて、羊飼いについて行くように、



心に書き付けられる

あの方の御思いに

ついて行きたいですね。



今日も。





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やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者らを思いやることでも、思いを一つにして欲しいのだそうです。あの方

2014-07-29 00:02:15 | 聖書から
やもめ、

みなしご、

寄留者、

貧しい者らを

虐げてはならない。

ゼカリヤ書7:10







 人が

なすべき善を

知りながら、



それを

行わないのは、

その人にとって

罪です。

ヤコブ書4:17





(ローズンゲン日々の聖句7/29;火)







正しいさばきを行い、

互いに誠実をつくし、

憐み合え、



互いに心の中で悪をたくらむなと

あの方は

おっしゃっておられます。





けれども、

私たち人間は、

自分が一番になろうとし、

良いものを自分一人で独占しようとし、

人を

(他の会社を)

引きずりおろすことに

血道をあげているのですね。





イスラエル1500年の歴史において、

あの方は、

人が

なすべき善を知れば、



それを

行うことができるか、

実験をされたわけですけれど、



人は

あの方の言葉を聞こうともせず、

肩を怒らし、

耳をふさいで聞き入れなかった

(ゼカリヤ7:11)

のが現実であったようです。





また、

本気でこれを守ろうとした人も、

「私には善をしたいという願いがいつもあるのに、

それを実行することがない。



私は、

自分でしたいと思う善を

行わないで、



かえって、

したくない悪を

行っています。



私は

ほんとうに

みじめな人間です。



だれが

この死のからだから、

私を

救い出してくれるのでしょうか。」

(ロマ7:19~20、24)と

言うほかなかったのだそうです。







これが、

あの方と思いを一つにすることを

厭い、



自分が

善悪を判断する者となった

(創世記3:22)

人間の実態と

いうことなのでしょうね。





このことがはっきり現れた時点で、

あの方は

もう一つの道を

約束され

(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、



それを、

この人間の歴史のただ中で

具体的に

実現されたのですね。

(ヨハネ17:21~23、19:30、使徒2:1~4)





新しい霊とか、

聖である霊と呼ばれている方を

お迎えし、



心に

あの方の御思いが来るように

していただいている者は、



「やもめ、みなしご、貧しい者ら」を

思いやることにおいても、

あの方と

思いが一つになるのだそうです。



今日も。














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休んでいいのだそうですね。あの方が休まれたように

2014-07-27 22:19:18 | 聖書から
この日に

神は

すべての創造の仕事を離れ、

安息なさったので、

第七の日を

神は

祝福し、

聖別された。

創世記2:3







安息の休みが

神の民に

残されています。



神の安息にあずかった者は、

神が御業を終えて休まれたように、

自分の業を終えて

休むのです。

ヘブル書4:9~10





(ローズンゲン日々の聖句7/28;月)






安息に入る約束が、

私たちにも

残っているのだそうです。




私たちは、

自分の理性、判断に

自信を持ち、



あの方のおっしゃることよりも

自分の考えの方を良いとする者。



首筋の硬い、

心のかたくなな者なのですね。




あの方と

心を一つにし、

思いを一つにしている場を

離れ、



あの方々の一人のようになろうとし、

善悪を知る者となった者

(創世記3:22)。



自分の理性、自分の善悪の判断を

押し通して行こうとする者なのですね。




そのような、かたくなな者を、

あの方は

なお惜しんで下さって

生きる道を用意して下さった。





永遠の初めから一緒におられた方、

独り子と呼ばれている方を

人間イエスとして

人の世に生まれさせ、



およそ33歳のころ、

この方を十字架刑で処刑して、

私たち人間の罪の全部を

処刑済みとする手続きを

完了して下さったのだそうです。




この方が

十字架に付けられたのは、

金曜日、朝の9時、

息を引き取られたのが午後3時頃、



そして夕方には、

アリマタヤ出身のヨセフという人が自分のために掘っておいた墓に、

急いで納めたのだそうです。

(日没が過ぎると安息日が始まるので)




けれども、

あの方は、

このイエスを、

日曜日の早朝、

新しい「霊のからだ」に復活させ、



このイエスが

あの方から派遣されて来た

救い主、キリストであることを

私たちに指し示されたのだそうです。




さらに、

あの方は、

このイエスをもと居た場所、

天のご自身の右の座に帰らせ、



この方をとおして、

もう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方を、

お迎えする者に派遣して下さり、



この方によって

私たちの心に、

私たちをとおしてしようと思っていらっしゃるご自身の思いを

置いて下さって、



ご自身と一つ思いを思う者に

して下さるのだそうです。

(エゼキエル36:27)




イエスはおっしゃいました。

「わたしについて来る者は、

わたしのいる所にいるべきです」と。
(ヨハネ12:26)



だから、

誰でも、

イエスをとおして来られるもう一人の方、

「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、



あの方の、

私たちに関わる御思いを心に書き付けていただき、

その思いについて行くなら、

イエスのおられる安息の場にいるように

していただけるのですね。



今日も。



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@@@、急いで降りて来なさい。 今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから

2014-07-26 23:30:53 | 聖書から
恐れるな、

わたしは

あなたを贖う。



あなたは

わたしのもの、



わたしは

あなたの

名を呼ぶ。

イザヤ43:1

(今週の聖句)
 不正による富は

頼りにならない。



慈善は

死から

救う。

箴言10:2
 





ザアカイは

立ち上がって、

主に

言った。



「主よ、

私は

財産の半分を

貧しい人々に施します。



また、

だれかから

何か

だまし取っていたら、

それを

四倍にして

返します。

ルカ19:8
    



(ローズンゲン日々の聖句7/27;日)






この世の富は

頼りにすべきものではないようですね。




徴税人ザアカイ、

ローマ帝国の手先となって

税金を集める者の頭。



社会からつまはじきにされる職業。



それゆえに、

必要以上に取り立てて、

自分のふところに入れて

財を成した男。


「ザアカイ、

急いで(木から)降りて来なさい。

きょうは、

あなたの家に

泊まることにしてあるから。」との、

イエスの呼びかけを受け、



分け隔てのないイエスの接し方に触れ、

この世の富に頼ることをやめ、

神様との関わりを持ちながら生きる、

新しい生き方に

立ち返った男。





イエスは、

名を呼んでおられるのですね。



「@@@、

急いで降りて来なさい。



今日は、

あなたの家に

泊まることにしてあるから」と。



今日も。




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